第11話 不穏の影
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俺が情けない目標を打ち立ててから数分の後、ノックの音が聞こえた。優しく、遠慮がちに叩かれたその音は、まさに福音だった。
「ベルが鳴りましたので参りました。入ってもよろしいでしょうか?」
テラさんか。彼女にこんなみっともない姿をお見せするのは恥ずかしいが、致し方ない。
「お、お願いします……!」
肺を膨らませ、喉を震わせるだけで身体中が軋むような痛みに襲われる。呼吸するので精一杯なんて産まれてこの方初めての経験だ。これが今後も訪れると思うとどうしようもなく致命的な気分になる。
「では失礼しますね……まぁ!大丈夫ですか!?」
「大丈夫では、ないですね」
「し、失礼いたしました!そうですよね!すぐに治癒術師を!」
「あ~、治癒術師は……多分必要ありません、ただの、筋肉痛なので」
「は……え?」
単語ずつでしか喋れないレベルで身体が限界なので彼女のお顔は見えないが、呆けた顔をしているのが伝わる声色だった。
申し訳ないが一々説明している余裕はない、要求だけ伝えさせてもらおう。
「恐らく、丸2日は動けないので、部屋の掃除と、今日明日、僕を、付きっきりで、お世話してくれる人を、呼んで頂けると、助かります」
「わ、分かりました。少々お待ち下さい!」
必死さというか、瀕死さが十全に伝わったのだろう。特に疑問を挟むことなくテラさんは部屋を出ていってくれた。
更に15分が経ち、痛みがまたじわじわと和らいできたタイミングで、今度は力強いノックと声が部屋中を跳ね回った。
「コバヤシ殿!大丈夫っスか!?失礼します!」
返事を聞く前に入ってきたのは、意外なことにパロッツだった。てっきり別のメイドさんが来ると思っていたが……しかしそんなことより……。
「あの、もう少し声のボリュームを落としてください……頭に響くんです」
「し、失礼しましたっス!あ、失礼しましたっス……」
コイツは本当に良いヤツだなぁ……ちょっと馬鹿だけど。
「話はテラさんから聞いたっス。今日明日は自分が世話係につくので、ご安心ください」
「助かります」
「では、最初にシーツの交換から行うので、ちょっと体を持ち上げるっスよ」
そう言いながら、服が吐しゃ物で汚れるのを厭わずに俺を持ち上げて椅子に座らせた。体に負担がかからないよう、慎重に運ぶ繊細な動きに不覚にも泣きそうになってしまった。
先ず彼はシーツを手早く回収し、朝食まで食べさせてくれた。動けないとは言え、23歳にもなって人にご飯を口まで運んでもらうというのは恥ずかしいどころではなかったが、黙々と真剣に世話をしてくれる彼の顔を見ている内に、恥ずかしさはそのまま感謝の気持ちに変わった。
「とりあえず今日の魔術訓練は中止になったので、ゆっくり休んで下さいっス。何かあったらすぐに動けるよう、暫くは部屋に待機させてもらうっスよ」
「本当に、ありがとうございます。パロッツさん」
「さん付けなんてしなくていいっスよ!自分は貴方を尊敬しているっスからね!」
「尊敬?」
たった1日の訓練でこの体たらくになったのに?
「そりゃそうっスよ!半日の訓練で自分に勝っちゃいましたからね!そんな凄い人を尊敬しないなんて有り得ないっス」
「でも、その半日の訓練で、一歩も動けなくなっていますよ?」
ボーナス倍率の反動だということを知らない人から見れば、これ以上なく貧弱な人間に見えるだろう。
「実は、あの勇者様も幼い頃は訓練の翌日に『体中が痛い』と大泣きしていたらしいっスよ。だから、よく分かんないっスけど、強くなる人にはきっとそういう試練があるんだろうなって思ってるっス」
「そんな話が……」
なるほどな、第一王子のレイドリスもボーナス倍率持ち側の人間だ。子供の頃であればこんな痛みに耐えられるはずもない。
それよりも、そんな話を持ち出してまで励ましてくれる彼の優しさが心に沁みる。
思わず泣きそうになってしまったのを誤魔化すために、適当な話題を振って話を逸らすことにした。
「そう言えば、どうして世話係になってくれたんですか?僕はてっきり別のメイドさんが来るものだと思っていましたよ」
「あー、メイドさん達は意外と数が足りていなくて、やることが多いんスよ。逆に、兵士の方は最近入隊した新米が多いっスからね」
「そうなんですね……」
「あと、噂話でしかないんスけど、数ヶ月後に大規模な戦闘があるらしいんス。そういった大規模戦闘においては新米の兵士を無為に減らさないために、入団から1年未満、或いは5等級の兵士は参加させない規則になってるんスよ」
そんな規則があるのか。よく考えられているんだな。
「そういうわけで、新米の中から1名の世話係が募集されていたので、立候補したってわけなんス!」
「立候補してくれたんですか!?」
大勢の先輩騎士の前でずぶの素人に一本取られてしまったんだ。悔しさで恨まれても仕方がないとすら思っていたのに…
「当然っスよ!言ったじゃないっスか!コバヤシ殿を尊敬してるって!」
「パロッツさん……」
こんなしんみりとしたタイミングで言うのは本当に申し訳ないんだけど…
「トイレに、行きたいです」
涙腺もヤバいが、膀胱もかなりヤバい。中々言い出せずにずっと我慢していたが、遂に限界が見えてきた。もう無理だ。
「もっとこう、心温まるセリフに感動して泣いちゃったりしてもいいんスよ?」
雰囲気をぶち壊した俺に便乗しておちゃらけてくれるコイツは、やっぱり本物だ。
「ほら、パロッツさん、本当に漏らしちゃいますよ!」
「さん付けも敬語も使わなくていいっスよっと!」
「痛い痛い!もうちょい優しくして下さいよ!」
「おっとすみません、つい加減を間違えてしまったっス」
わざとらしい棒読みしやがって……本当に上手いな。
「絶対に嘘だね」
「そう、それでいいんス。じゃ、コバヤシ殿が漏らしちゃう前に行きましょうか」
「あと5分くらいは我慢できるって」
「じゃあギリギリじゃないっスか!!」
「……確かに!」
城の広さをすっかり忘れていた…!最寄りのトイレまでなら本当に5分近くかかってもおかしくはない。
「急ぎますよ!」
「ぜ、善処する!」
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「危なかったっスね…」
「かつてない程にギリギリだった」
どうにか恥の上塗りは避けられた。1人では身動きできない人間が如何にしてトイレを済ませたのかは、どちらが言い出すわけでもなく、触れないとにする協定が速やかに締結された。
安心する2人の前方から、どこか見覚えのある騎士たちがこちらに向かって歩いてきた。彼らもトイレに用があるらしいので、邪魔にならないように道を空ける。
「おっと、これはこれは、半日の訓練でへばってしまった”英傑”コバヤシ殿ではありませんか。上手にトイレはできましたか?」
どうやら、用があったのはトイレではないらしい。
「やめてやれよノイント、泣いちゃったらどうするんだ」
「それもそうか!失礼しました、”英傑”殿」
わざわざ英傑を強く発音する安い挑発だ。こんな幼稚な喧嘩を買うほど幼くはない。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「フン。新人1人にラッキーパンチで勝ったくらいで調子に乗るなよ異世界人風情が」
「ちょっと、それは」
すかさず言い返そうとしてくれるパロッツ、だがここで無駄に衝突を起こすのは彼の今後に響きそうだ。止めよう。
「いいんだ、ラッキーパンチだったのは否めないからな」
「おぉ!なんと寛大な!さすが”英傑“!……いくぞウォード」
「あぁ」
挑発に乗る気がないことを悟ったのか、刺々しい視線だけを残して去っていく2人組。あぁ、今の視線で思い出した。見覚えがあると思ったら、トールさんが訓練場で俺を紹介した時に睨んできていた奴らじゃないか。
「……本当に、お気になさらないでください。ごく一部ではありますが、召喚者を嫌う者もおります」
「有難う。別に気にしてないよ。そんなことより、部屋に戻ろう」
今朝だけであれだけの優しさを受け取ったんだ。この程度の嫌味は少しも響かないし、記憶にすら残らないだろう。
「……そうっスね、戻りましょう」
だけど、ノイントとウォードか、念の為覚えておこう。後々また厄介なトラブルに巻き込まれる可能性もあるからな。
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