第110話 回顧
いつも読んで下さり有難うございます!
────
「……何処だ、ここは?」
俺は、真っ白な空間にいた。いや、白いのかどうかも定かではない。ここには、何もない。
地面も天井も、水平線も地平線も、木も草もない。
前後左右は勿論、上下すら曖昧な空間。ただただ広大に、無が広がっている。
どうしてこんな所に?一体全体、何があった?
ややあって、俺は思い出した。
「……あぁ、そうか。アイツの魔法か」
あと一息で倒せると思ったタイミングで祖なる者が発した、耳慣れない言葉。魔力の流れは感じられたから、魔法の類なのは確定だ。
「幻覚、ではなさそうだ」
手足の感覚はしっかりとある。幻覚であれば、もっと精神的に追い詰めるような、目を背けたくなるような光景を見せつけてくる筈だ。
そもそもの話、動けなくなった俺をさっさと殺してしまえばいい。
そうだ、俺は負けたのだ。それなのに、何故まだ死んでいない?
「褒美、とか言っていたけど……」
何もない空間で暫くの間思考を巡らせたが、それらしい結論には至れなかった。
今の状況がどういったもので、何を目的としているのかは分からないが、奴が楽しむためだけにこのシチュエーションは用意されていると考えていいだろう。
「なら、やることは1つだ」
どうにかして、ここから脱出するしかない。空間に終わりがあるのか、魔法で破壊できるのか、ヒントも手掛かりもない。
「魔力は、無駄遣いできないよな」
突然目の前に奴が現れる可能性だってゼロではないし、ここを脱した後に祖なる者と戦うための魔力も残しておかないといけない。
であれば、前に進むしかない。
「よし、行くか」
念のため、魔力の出力を抑えてスキルの発動条件を常に満たしておこう。
実はこれが幻覚の類で、急に魔法が解けて玉座の間で意識を取り戻すかもしれないからな。
思い付く限りの想定を済ませ、俺は歩みを進め始めた。
────
一歩を踏み出してから、数時間が経った。
景色には一切の変化がない。自分が前に進めているのかも分からない。
頭の片隅に追いやった不安が、徐々に広がってきているのを感じる。
皆は、生きているのだろうか。
レイドリスさんにパルメナさん、それにガルまでいるのだから、そう簡単には負けるわけがない。
ヘラの“嗅覚”だってある。ダメージもそれなりに与えていたし、セリンさんも控えている。覇者級とは言わないまでも、覇者級の戦いに付いて行ける力を持った人だ。恐らく動けなくなっている俺の穴埋めに入ってくれていると思う。金剛のスキルも、あと2回は使える。
だから、大丈夫。
もしかすると、既に祖なる者が倒された後かもしれない。発動者が死んでも効果が消えない魔法だって沢山ある。土魔法で器を作るのだってその類に入る。
俺だけが目を覚ましていないだけ、なんて状況かもしれない。
「大丈夫、大丈夫だ」
揺らぎそうになっていた魔力を抑え直し、俺は歩き続けた。
────────
あれから数日は経ったかもしれない。腹も減らず、眠気も来ないのでとっくに時間感覚などないが、それくらいの時間が流れたように思える。
俺は、本当に生きているのだろうか。
最初はその可能性を即座に否定した。もし死んでいれば、あの詐欺女神の下へと送られると思っていたから。
けれど、よくよく考えると、そうなる確証はどこにもない。俺の思い込みに過ぎない。
何度も詐欺女神と話したが、契約の途中で死んだケースの話を真面目にした記憶はない。チラッと雑談レベルでしたことがあったかもしれないが、自分が死ぬだなんて思っていなかった。
死ぬことだって有り得る、とは何度も思ったが、その考えはすぐに「どのように回避するか」に繋がっていた。回避できなかったパターンなど、一度たりとも考えていない。
──だって、死んだらそこで終わりじゃないか。
当然の事実を、その芯から理解して、背筋が凍えた。
「ああああああ!!!」
大声で叫びながら、俺は走り出した。
これ以上考えないために。現実から目を逸らすために。
ぐちゃぐちゃになった頭の中で「自分の声が聞こえるってことは、空気はあるんだな。いや、呼吸ができている時点で気付くべきだったか」と変に冷静なことを考えている自分がいて、余計に気持ちが悪かった。
────────
「…………」
今、俺は座り込んでいる。
どれだけの時間が経ったのか、見当も付かない。
走るのも、歩くのもとっくに止めている。魔力制御だけは続けているが、多分意味は無い。
白だか何だか分からないが、明るく感じる空間にいるにも関わらず、俺の精神は発狂寸前だ。
頭の中が常に騒がしくて、まともな思考ができない。こんな状態になったのは、前世以来だ。
「…………前世、か」
自然と、声が出た。久しぶり過ぎて、乾ききっていた唇が切れてしまった。
拭った指に付いた血をぼーっと眺めながら、俺は前世のことを思い出し始めた。
10代の間は、大した苦労も経験せずに過ごせたっけな。大学ではちょっと苦労したけど、まぁそれなりに順調だった。
でも、友達は少ない方だったと思う。そんなに社交的なタイプじゃなかったし。必然的に、青春っぽい思い出とか、誇れるような思い出は殆どない。
「味気ない人生だったよなぁ」
大学を卒業してからは、味気ないどころか最悪だ。
周りに流されて就活したせいもあるし、両親の期待に応えたい、という殊勝な心掛けもあった。というよりも、期待に応えなきゃならないと思っていた。
前世では、ずっと人目を気にしていたから。人からよく見られたい、嫌われたくない。そう思いながら生きていた。
他人が怖かった。交友関係が狭かったのも、そのせいだ。
それ故に、本心からやりたいことではないのに、両親に喜んでもらうためだけに、有名な企業に就職した。
結果、疲弊した。
人生の何が面白いのか分からない。将来の楽しみなんて何もない。でも、やりたいことに手を出す勇気はない。
これからも自分の本心に嘘を吐いて、人目を気にしながら生きるのか。大した思い出もなく、ただ生きて、死んでいくのか。
そんな考えに思考を支配されて、身動きが取れなくなった。
それから、あの詐欺女神に騙されて、こっちの世界に来た。
「そこからはまぁ、前世よりは頑張った。今はこんな感じだが、悪くはなかったと思う」
最初の内はとにかく頑張った。ボーナス倍率のせいで苦労したし、ベリューズやら国王やらに騙されたて死にかけた。
それでも切り抜けて、セリンさんと出会って、ギド帝国で金剛を救った。
ベイルとヘルトイルに助けられて、新しい魔法まで習得した。格上のビズだって倒せた。今思い出しても、胸が熱くなる。
フェート大森林でも、中々上手く立ち回れた。自分にできることをフル活用して、メディーラ洞窟と教皇国での魔人戦を突破した。パルメナさんと協力関係も結べたし、輝かしい成果を出せたと思う。
「ネルー湿地では、失敗したけど」
正直、どうすればレイドリスやパロッツを呼ばず、尚且つピピさんが死なないように災厄を退けられるのかは今でも分からない。
詐欺女神もそこら辺については触れていなかったし、特に指示も出していなかった。
「……指示?」
そこで、ふと気付いた。
ここに来てからだって、別に自分の意志で道を選んだわけではないと。
勿論、それは詐欺女神と結んだ契約のせいではある。とは言え、最終的にはアイツに騙されることを許容して、アイツの──ファリスの期待に応えようと決意した。
「同じじゃないか」
そう思った瞬間、心が軽くなった。
確かに友達は少なかったし、キラキラした思い出も殆どない。でも、その数少ない友達と、彼らとの思い出はかけがえのないものだ。
本当にやりたいことができなかったことを悔やんでいたが、誰かの期待に応えようと頑張ったこと自体を悔やんだことはない。
いずれにせよ、後悔の無い人生なんてない。
多分、皆が気付いているであろう当り前の事実に、初めて正面から向き合った。
「そんなもんなんだよな、多分」
自分の中で、何かが変わった気がした。
「……ん?」
始めは勘違いだと思った。しかしそれは、勘違いしようのない人物の魔力だった。
「セリンさん!」
肺の中にある空気をすべて吐き出す勢いで叫んだ直後、眩い光が俺を包んだ。
感想、評価、ブックマークを宜しくお願いいたします。