夢の妖精さんのお仕事
私たちはなぜ、眠っている時に夢を見るのでしょうか?
人は起きている時にはいろんな物事を目にします。
いろんな音を聞き、いろんな物に触れます。
そして、眠っている時には夢を見ます。
夢の内容は様々です。
起きている時に見た事のあるものを見る事もあったり、今まで見た事も無いようなものを見る事もあったり。
時には、自分でも全く意味が分からないような夢を見る事もありますよね。
それに、夢の内容を起きてからもちゃんと覚えている時もあれば、寝ている時ははっきりと分かっていたのに起きた瞬間に忘れてしまう時もありますよね。
実はこれは、夢の世界で働く妖精さんのしわざなんですよ。
人が起きている時に見たものや覚えたもの、いわゆる「記憶」は、人の頭の中に蓄えられます。
しかし、私たちは起きている時にあまりにも多くの物事を見たり聞いたり、感じたりしていますよね。
なので、それらを全くそのまま頭の中に蓄えておくことは出来ません。
頭の中がぱんぱんになって、何も入らなくなってしまいますからね。
そこで、妖精さんの出番です。
私たちが起きている間に集めた「記憶」は、夢の世界で働く妖精さんが持って行ってしまうのです。
そうすれば頭の中がすっきり片付いて、新しい「記憶」を入れる事が出来るようになります。
妖精さんが持って行った「記憶」は、夢の世界のどこかにあるという『全ての記憶の保管場所』に、大切にしまわれるのだそうです。
決して無くなってしまう訳ではないんですね。
え、なんですって?
もし本当に妖精が「記憶」を頭の中からぜんぶ持って行ってしまうなら、私たちは何も覚える事が出来ないのではないかって?
ええ、おっしゃる通りです。
確かに「記憶」を妖精さんが持って行ってしまうなら、私たちは夢から覚めた時に昨日の事もそれ以前の事も何もかも忘れているはずですよね。
だけど実際にはそうならない。
これも実は、妖精さんの働きのおかげなんです。
妖精さんは、私たちの頭の中の「記憶」を持っていってしまう代わりに、小さな「記憶のメモ」を残していってくれるんです。
この「記憶のメモ」はとても小さくて薄いので、「記憶」のかたまりが頭の中に入っている時と比べてはるかに少ないスペースしか必要としないのです。
私たちが昨日の事や過去の事を全て忘れずに済んでいるのは、この「記憶のメモ」を妖精さんが残してくれているおかげなんですね。
そして、ここからが肝心なんですが、こうやって妖精さんが「記憶」を持って行って、その代わりに「記憶のメモ」を残していくお仕事をしている時に、私たちは夢を見るのです。
どういうことなのか見てみましょう。
小さな男の子の頭の中に、妖精さんが入ってきました。
粗末な服を着た、小人のような姿をした妖精さんです。
「よし、今日はこの子はお母さんと公園に行って花を見て、帰ってから家族みんなで夕ご飯を食べて……っと」
妖精さんは、男の子の頭の中の「記憶」のかたまりを見ながら、ものすごい速さで「記憶のメモ」を書き下していきます。
「うん。メモも書き終わったことだし、あとはちゃんと読みこまれるかをチェックしないと……」
そう言うと、書き終えたメモを、男の子の頭の中にある「記憶のメモ」の保管場所に置きました。
その時、眠っている男の子の頭の中で不思議なことが起きたのです。
男の子が見たのは、お昼にお母さんと見たダリアの花。
あざやかな色が目に飛びこんできます。
お母さんの笑顔もかがやいていました。
男の子は、眠りながらうれしそうな顔をうかべました。
「良かった。ちゃんと再生されているみたいだ。さてと、さっさと「記憶」を持っていかないと!」
男の子の頭の中に残した「記憶のメモ」がちゃんと読みこまれたことを確認すると、妖精さんは大あわてで「記憶」のかたまりを持って、どこかへ行ってしまいます。
こんな具合に、妖精さんが残していった「記憶のメモ」と脳が反応することで、私たちは夢を見るんですね。
ところで、この夢の妖精さんたちは、いつもとても忙しく働いています。
妖精さんたちの支配者である『全ての記憶の女王』は、とにかく厳しいことで有名です。
おまけに最近の人間たちときたら、夜になってもなかなか寝ようとはしません。
寝てもすぐに起きてしまう事もざらです。
そんなわけで、妖精さんたちは、とても短い時間でたくさんの仕事をこなさなくてはいけないのです。
「ああ、もう! 何でこの男の「記憶」はこんなにごちゃごちゃしているんだ! もうヤケだ! メモは適当にマル書いて……終わりっ!」
妖精さんが書きなぐった「記憶のメモ」が男の脳に読みこまれると……。
「何だこの夢は……マル? ヘビがつながってマルを書いているような……これだ! これは未知の化学構造の解明につながるぞ!」
と、こんな具合に思わぬ発見や発明につながることもあります。
「ああっ!? もしかしてさっきの女の子の頭の中に、前の所で失敗したメモ書きを落っことしてきちゃったかも! でも朝までに仕事を終わらせるためには、もどってなんかいられない……!」
妖精さんがだれかの「記憶のメモ」の出来損ないを他のだれかの頭の中にうっかり落としてしまうと……。
「この景色は……何かしら? 私はここに来るのは初めてなのに、どこかで見た覚えがある……?」
と、こんな具合にだれかの記憶が頭の中に宿ることもあります。
「……おじゃましまーす……あったあった! うっかりこの男の頭の中に落としたメモを回収して……これで良し!」
妖精さんが誤って残していった「記憶のメモ」を元の場所にもどすと……。
「おや? 何か知らないけど、寝てるときに俺はものすごいアイデアを思い付いたはずなのに、目が覚めたらまるっきり忘れてしまった……」
と、こんなトラブルが起こることもよくあります。
「あれぇ? 「記憶のメモ」はちゃんと読みこまれているみたいだけど、何だか反応が悪いな。この人、疲れているのかなぁ?」
妖精さんが「記憶のメモ」をきちんと作っていたとしても……。
「今日も泥のように眠ってしまった……。そういえば最近、寝ている時に夢を見る事がまったく無いな……」
人によっては、必ずしもちゃんと夢を見るとも限らないようです。
夢の妖精さんたちの仕事ぶりは、お世辞にもていねいなものとは言えませんでした。
与えられた仕事があまりにも多すぎるため、どうしても一つ一つの仕事は適当になってしまうのです。
今日も、ある女の子の頭の中に、若い妖精がやって来ました。
「よし、『今日はいつもと違う事がありました。お母さんと花畑を見る事が出来て楽しかったです』と……これで良し!」
とてもざっくりとした文章とスケッチを加えた「記憶のメモ」を頭の中に残して、「記憶」のかたまりを持って行こうとしたその時でした。
――持って行かないで!
辺りに声がひびきました。
若い妖精は周りを見回しましたが、だれもいません。
少しだけ考えるそぶりを見せましたが、彼はもう一度「記憶」のかたまりを頭の外へ持っていこうとしました。
――私とお母さんの大切な思い出、持って行かないで!
また声がひびきました。
弱々しいけれどしっかりとした意思を感じる、女の子の声です。
若い妖精は困り果てました。
おそらくこの声は、この「記憶」の持ち主である女の子のものです。
普通の人間は、「記憶」を持って行かれても気が付くことはありません。
残された「記憶のメモ」の方が本当の記憶だと信じて疑わないのです。
ただ、それにも例外があります。
その「記憶」に対して特別な思い入れがあったりすると、自分の「記憶」が持ち去られることに敏感になる時があるのです。
あるいは、若い妖精の残した「記憶のメモ」があまりにも適当だったのがいけなかったのかもしれません。
「参ったなぁ。書くべきことはちゃんと「記憶のメモ」に書いてあるし、ちゃんと読みこまれているはずなのに……」
もう一度、きちんとした「記憶のメモ」を書こうかとも思いましたが、なかなか骨の折れる仕事になりそうです。
それに、他にもたくさんの人間の「記憶」を回収しなければいけないのに、ここで時間を使いすぎる訳にもいきません。
「この子には悪いけど、持って行かせてもらうよ。どうせ人間の「記憶」なんて、頭の中にそのまま留めておけるものではないからね」
そうつぶやいて、若い妖精が「記憶」を持って行こうとした時でした。
「お困りのようじゃな?」
いつの間にか、もう一人の妖精が女の子の頭の中にいました。
先ほどの妖精よりも、ずいぶんと年を取った妖精です。
「ああ……実は、この子の「記憶」を持ち出そうとしたら、持って行かないでと言われてしまって、困っているんですよ」
若い妖精は、年老いた妖精に事情を話しました。
年老いた妖精は話を聞きながら、女の子の頭の中にある「記憶のメモ」にざっと目を通しました。
たった今、若い妖精が書いた走り書きのようなメモ。
それ以前の妖精たちが書いて残していったメモ。
そこに書かれているのは、学校にも行けず、毎日を病院のベッドで過ごす女の子の日々でした。
自由に外へ出ることも難しく、この先どれだけ生きられるかも分からない。
そんな女の子の辛い日々がつづられていました。
それらのメモは大変短く、味気のないものばかりでした。
それから、目の前にある「記憶」のかたまりにも目をやりました。
女の子はこの日、主治医の先生から特別に外出を許可され、両親と花畑を見に行ったのです。
一面に咲きほこるピンク色の芝桜と湖が、あざやかなコントラストを描いています。
お父さんに頼んで、お母さんとの写真を撮ってもらったりもしました。
今日が終われば、今度はいつこのような機会が訪れるかも分かりません。
だから女の子は、この景色だけは決して忘れないようにと強く思っていました。
この「記憶」は間違いなく、女の子にとって宝物であることでしょう。
「……なるほど。事情は大体分かった」
「あの、こういう時どうすればいいんでしょうか。やっぱり「記憶」を持って行くしかないですよね?」
年老いた妖精は少しだけ考えて、こう言いました。
「ここはワシが引き受けよう。お前さんは、残っている仕事を片付けてきなさい」
「えっ、いいんですか? でもあなたも仕事があるでしょう?」
若い妖精は、とまどいながらたずねました。
「ワシの仕事は大体メドがついておる。それに、女王様もこんな老いぼれに出来る仕事はたかが知れていると思っているようで、あまり多くの件数は任されていないのだよ」
「はぁ……」
ほぼ毎日、一晩で終えられるか分からないほどの件数をこなしている若い妖精は、その言葉に少し不満げな顔をしました。
「……まぁ、それならお言葉に甘えさせていただきます。こっちの仕事のメドがついたら、またもどってきますね!」
そう言い残すと、彼は急いで他の人間の頭の中へと向かいました。
「さて……」
年老いた妖精は、しばらく「記憶」のかたまりをながめていました。
「こいつはメモ程度ではおさまらんな。少し骨の折れる仕事になりそうじゃわい」
そう言うと、どこからともなくイーゼルとカンバスが現れました。
他にも、絵を描くための道具が次々と現れてきます。
「さあ、思い出が色あせないように、きちんと描いてやらねばな」
年老いた妖精は絵筆を持つと、ものすごい速さでカンバスに絵を描き始めました。
他の人間たちの「記憶」の回収を何件か終わらせてから、さっきの女の子の頭の中に若い妖精がもどってきました。
「これは……すごい……」
そこにあったものを見て、彼は息をのみました。
何枚もの大きなカンバスには、美しい花畑の景色。
見るだけで、暖かな春の日差しが感じられるかのようです。
「……あなたが、これを描いたんですか?」
「その通りじゃ。老いぼれとはいえ、これくらいの事は出来るんじゃよ」
そう言って、年老いた妖精は笑いました。
「人間の言葉では、『絵は嘘をつく』というらしい。確かにこの絵は「記憶」そのものとは違うが、これをこの子の頭の中に残しておけば、なんとか「記憶」の代わりを果たせるんじゃないかの」
女の子の頭の中の「記憶のメモ」の保管場所に、出来上がった絵を並べます。
絵は「記憶のメモ」に比べるとかさばりますが、それでも「記憶」のかたまりに比べれば場所をとりません。
その絵に反応したのか、女の子の頭の中には花畑の景色が広がりました。
「うむ。問題無く再生されているようじゃな」
年老いた妖精が、小さくうなずきました。
それから若い妖精は、女の子の「記憶」を慎重に頭の外へ運び出そうとしました。
するとどうでしょう。
今度は声がひびいてきません。
「どうやら、上手くいったみたいですね……!」
「さて、それでは残りの仕事を終わらせるとするかの」
二人の妖精は、そのまま女の子の頭の外へと飛び出していきました。
その日の仕事が終わってから、若い妖精が年老いた妖精にたずねました。
「今日はありがとうございました。あなたのおかげで困難な仕事を片付ける事が出来ました。ですが……」
「なんじゃ?」
「これって、意味がある事なんでしょうか? 女王様は、私たちにただ「記憶」を集めればいいと言うだけですし、もしあの時自分が無理やり「記憶」を持って行っても、罰されたりはしなかったと思います。むしろ、「記憶」の回収に時間をかける方がよくないと言われたと思いますが……」
若い妖精の言葉に、年老いた妖精は笑いながら答えます。
「お前さんは、人間にとっての思い出とは「記憶」のかたまりの方なのか、「記憶のメモ」の方なのか、どっちだと思うかね?」
「えっ……?」
面食らったような顔をする若い妖精に対して、年老いた妖精は続けます。
「人間たちにとって、今生きている時間を思う事は大切な事だが、わしらの残していく「記憶のメモ」を頼りに過去の思い出をたどる時間もまた大切なものじゃ。だとしたら、わしらにはその時間をよりよいものにするという役割もあるんじゃないのかね?」
「はぁ……」
「お前さんにもいずれ分かる。女王様も、いつかきっと分かってくださる。ただ「記憶」を集めるだけではなく、人間たちにとって良い思い出を残していくのもわしらの大事な仕事だとな」
そう言うと、若い妖精を残して、年老いた妖精はどこかへと去っていきました。
女の子は、その日からずっと病院のベッドの上で過ごしていました。
身体は日々弱っていくばかりです。
それでも彼女にとって、あの日の思い出は忘れられない大切なものでした。
辛い時でも、あの日見た花畑の景色を思い出せば、心が救われる気がしました。
一面に広がるピンクのじゅうたん。
お母さんの温かな笑顔。
それは、この世にあるどんな名画よりも素晴らしいものでした。
その美しい思い出は、彼女が最後の日を迎えるまで、決して失われる事はないでしょう。