呼ばれた聖女のその先は
深夜テンションでカッとなってやった。
魔法の言葉「ファンタジーだから」で許して下さい。
n番煎じ。
普通に、過ごしていた、筈だった。
次の日の予習をして寝て、朝遅刻ギリギリに起きて、友達と馬鹿みたいに騒いで、帰って家族とご飯を食べて、お風呂に入ってまた寝て。
そんな日常がずっと続くと思っていた。何気ない、それでいて私の大切な日常。当たり前のように私たちが享受しているもの。それが全て、一瞬で無くなるだなんて誰も思わない。私もそう。いえ、そうだった。
テレビもスマホも、友人も家族も、今となっては全てが遠く儚い、まるで夢のこと。
**
一年前、私はこの世界に呼び出された。
───本当に召喚出来たぞ!
───アレが聖女様?
───アレだなんて失礼な事を言うな、この世界を救ってくださるんだから!
……その時の私が感じられたものといえば多くの人の気配、好奇の視線、期待の視線、そして様々な思惑の交じったさらに視線、視線、視線。
足元には思わず厨二かしら?イタいわぁ……と引いてしまいそうな魔法陣。
うん、これはあれね、完璧にラノベ的な何かだわ。
敷き詰められた冷たい石のタイルの上にへたりこみ、私は冷静にもそう思ったことを覚えている。人間訳の分からない状況に陥ると一周まわって冷静になれるらしい。いや、逆に現実逃避ということになるんだろうか。まあ今の私にはどうでもいいことだし、確かめる術もないのだけれど。
そして玉座らしき所からいかにも王ですって雰囲気を醸し出している男性……50代くらい?が降りてくる。
私はじっとそれを見つめていた。
彼はよく知りもしない私に、初対面の小娘にこう言った。
「ようこそおいで下さった聖女殿。その力、ぜひ我が国に使っていただきたい」
私はただ頷いた。
頭には色んな思いが湧いてきて、ぐっちゃぐちゃになって。それでも私は頷くしかなくて。頷くしかないと、直感的に思って。
周りの人間の目が怖かった。過剰な感情を向けられる事がこんなに恐ろしいと初めて知った。
どんなに理不尽だと感じていても、とりあえず今はそうするしか生き残る術はないのだと、私が生かされる意味が無いのだと未だ覚めない頭ですら理解出来たから。
………とかなんとかちょっとシリアス風にプロローグを入れてはみたけれど、そんな情緒も神聖味も何も無い召喚から早一年たった。
私がどんなに喚いても時はどんどん進んでいく。
私の、『聖女様』の身柄は教会預かりとなり、あの日から1度も王には会っていない。教会が邪魔をしているのか単に忘れ去られているだけなのかは分からない。
私が呼ばれた理由はテンプレ中のテンプレ、魔王討伐のためだった。と言っても私が旅について行く訳ではないのだけれど、なんでも聖女の祈りで魔王の力を弱体化させるのだとか。
人々が教会で祈り、その祈りを乗せて聖女が勇者に届ける。勇者はその力を糧として戦い、魔王はその力によって弱体化する。
人々が真摯に祈れば祈るだけ、希望の光が降り注ぐ──。
そんな馬鹿な、と思ったわ。
ぶっちゃけ、それ私じゃなくても良くない?とも。
だっていくらファンタジーの世界だからって、ぽっと出の小娘が教本通りに祈りの言葉を唱えた所で何かが変わるわけがない。よくチートだとか聞くけれど、私にそれはなかったみたい。もちろん別の世界には神様に選ばれた召喚者がいるかもしれない。でも私が祈って光が降り注いだ事なんて1度もないし、そもそもこの世界のために私が真剣に祈れる訳がないのに。
だから教会はきっとシンボルが欲しかった。異世界からいらっしゃった聖女様っていう存在が。王の前で実際に人が現れれば教会の権力は跳ね上がり、もしかしたら本当に魔王討伐に役立つかもしれない、なんて淡い期待を寄せて。
私じゃなくても良かったじゃない。
この世界の人間でも『聖女』にはなれる。だって、それは特別な力を持たない小娘でもなれるただの『役職』で、『シンボル』だから。
なのに召喚を行ったのは本当に特別な人間が、王に民に特別だと認められた人間が欲しかったから。
「ふふっ…笑えるなあ」
口から漏れ出た言葉は、がらんとした部屋に思ったより響いた。
夜、夕食を食べた後は教会の塔の一室で過ごす。巡回という名の監視員が来るまで、万人に対してにっこり微笑む『聖女』がいなくなる時間。そして、一番孤独を感じる時間。
そして今日も神官長がウザかった。面白くもない自慢話を何回も聞かされるこちらの身にもなって欲しい。教会の結界を支えているのは私だの、魔族や魔物を撃退したことがあるだのとだらだらうるさいったらないわ。この世界に藁と五寸釘ってあるのかしら。
「ああもう、なんて面倒くさい」
今日の出来事を思い出させる、ゆったりとしたこの一時が一番好きで、一番嫌い。
「バカみたい」
「確かにな」
突然聞こえてきた低い声。ガタッと思わず椅子から立ち上がり辺りを見回してみるが、何一つとして変わった所はなく人影すら見えない。だが幻聴にしてはやけにハッキリと聞こえた。
「ついに老化が始まったのかしら……」
「そんなわけあるか」
「ふぁっ」
椅子に座り直し、首を傾げて本気でそう悩んでいるとまたもや先程の声が聞こえてきた。やはり姿は見えない。だから、変な声が出たのは決して私のせいじゃないと主張したい。
「誰?どこにいるの?姿くらい見せてくれてもいいのではないかしら。それとも幽霊?悪霊ならご勘弁願いたいわ」
「随分と呑気な奴だ。いや図太いと言った方がいいか?残念ながら亡霊の類いではないが、そちらからすれば余程忌むべきものだな」
そう言って空中からすっと姿を現したのは、人とは思えない程恐ろしく整った顔にサラサラな黒髪、しっかりした体躯、そして───紅い目。
「あら……」
魔族。
私がこの世界に呼ばれた原因。
まさか会うことになるなんて。
魔族と人族は先祖が同じだという。人口比は圧倒的に人族の方が多かったが、魔族は魔力が高くコントロールに優れていたため、かつてはお互いが協力し合って過ごしていた。
だが長い歴史の中で魔族は自分の種こそが至高だと、人族に対して見下すようになった。魔族の特徴は、深い紅の目。紅い目こそが選ばれた証であるとし、魔族は下等生物であると思いこんだ人族を迫害し、差別し、こき使うようになった。
人族は、このままではいけない、私たちの誇りを取り戻そうと魔族に立ち向かうことを決めた。
人々は団結して立ち上がり、多くの犠牲を払いつつも苦戦の末に魔族をひとつの国に押し込めることができた。
そうして誕生したのが、魔族だけの国。そこは魔界と呼ばれている。
しかし彼らは地の果てに追いやった人族を今なお憎み、魔物を操って人を襲う。対して人族は勇者を魔界へ送り出し、魔王の討伐を望む。そうして互いに互いを忌み嫌い、憎み合っていると聞いた。
そんな魔族がどうしてここにいるのだろうか。
「確かこの教会には結界が張ってあったはずなのだけれど、どうやってここまで入ったのかしら?」
「人の作った結界など無いに等しい。この程度、魔族であれば指一本動かさずに通り抜けられる」
「わあ、今の台詞、神官長に無性に聞かせてあげたい気分だわ」
「ほう、いい性格をしている」
「ふふ、ありがとう。よく言われるわ。といっても、こちらに来てからは1度もないんだけれど……よく言われた、が正解かしら」
「ん?……そういえば魔力の質が少し違うな。なるほど、本物の聖女が現れたと聞いて寄ってみたが異界からの渡り人だった訳か」
「寄ってみたって……そんな買い物みたいなノリで」
しかももう1年経つのだけれど。随分ルーズね。
彼は優雅に足を組んだままぷかぷかと浮いている。魔法、すごい。お茶でもどうかと勧めたが断られてしまったため、私だけの分を淹れることにした。部屋に、カチャカチャとした無機質な音が響く。
あとこの人外、美貌に加えて声も良い。艶のあるしっかりとしたテノールボイス。これで萌えなかったら女子じゃないほど破壊力が凄い。……イイ。
「魔族は人間を憎んでいるのではなかったかしら。こんな所に来てもいいの?」
「別に構わない。それに別段、恨んでもいない」
「は?」
……わぉ。何だか一年間の常識がひっくり返るような衝撃的な言葉を聞いた気がしたわ。
「……神官長の出世欲に濁った目を見ていると嘘を教えられていたとしても納得できるわ。でも彼だけでなくて他の人たちも同じ考えなのよ。彼らぐるみで私を騙しているなんて思えないのだけれど」
「まあ、そもそもの基本知識が間違っているからな。異界の渡り人ならば騙せると思ったのか、この国の民全てが魔族を悪だと思っているのかは知らないが……まあいい。魔界の正史を教えてやろう」
彼は無表情で淡々とそう言った。
正直、この魔族を信じていいのかは分からない。けれど世の中のことを知らない私にとって少しでも情報が手に入るのは有難かった。
「よろしくお願いします」
「まず魔族と人族の祖先は全くの別物だ。なぜ紅い色なのかは知らないが、魔族の持つこの瞳は魔力媒体に適していることがわかっている。紅い目は人族の瞳と全く違う物質で構成されており、そもそものルーツも違う可能性が高いらしい」
「はい先生、祖先の違いはそんなに大切なのでしょうか?」
「ふむ聖女君、いい質問だ。簡単な事、排除しやすいだろう?人とは未知のものを恐れる。で、そんな得体の知れないモノが膨大な魔力と丈夫な体を持っていたとしたら?仲間意識もない人族が我らに抱くのは恐怖と多大なる羨望、人族は魔族に敵わないという事実」
「あー……つまり追い出されたと?でも魔族の方が強いんでしょう?」
「基本的に魔族は自由で適当な奴らが多い。当時も『なんかここに住むのダメって言われたからどっか行く?』くらいの反応だったそうだ。力の差は圧倒的で焦る必要となく、かといって抵抗するには時間や労力がいるしな。それに時期も良かった。ちょうど別の世界から来たという男が妻が喜ぶからという理由で山から湧き出る湯を発見して設備を整え、風呂代わりに使ってたんだが、魔族は見事それにどハマりした。『じゃあちょうどいいからあそこに住もう、湯にも入れるし』という感じで建国されたのが魔界だ。ちなみに湧き出る湯を発見した男が初代魔王だ。向こうの世界でも魔王と呼ばれていたらしいが」
……魔族ゆっる!え、緩くない!?湧き出る湯って温泉よね?温泉にとろける魔族たち……シュールな絵面だわ。私も入りたい。
というか当時の方に限らずこの人も先生のノリに乗ってくれたり、建国の歴史まで教えてくれたり、とっても親切。魔族の方々ってみんなお茶目さんなのだろうか。気が合いそう。
そしてやっぱり1年間の常識がひっくり返ったわ。今日だけでものすごく勉強した気分。色々びっくりしすぎてとても疲れた。
それに、初めて会った人……魔?で、しかもこれまでの常識と真逆のことを教わったのに、教会の人よりこの来訪者の方を信じてしまうのはどうしてだろうか。よっぽどここの人達の方が長い時間を過ごしているのに。───私を対等に扱ってくれるから?
「初めに人族と魔族を区別し始めたのがこの国だ。他の国はそれに乗っかった感じだな。だから国によって魔族の伝わり方は様々で、この国のように魔族を忌み嫌う所もあればあまり気にしない主義の国もあり、紅い色を禁忌の色とする国もある」
「マジですかー……」
「昔はどうだか知らないが、今この国は少々歪んでいるな。まあ荒唐無稽な歴史書がまかり通る時点でしれたものだが」
うわあ。なんて国に呼ばれたのかしら。そのあまり気にしない主義の国に行きたかったわ。勇者とか本当に要らないじゃない。
「あら?なら魔物は?あなた達が操っているわけではないの?神官長には魔族が魔物を使役して人間を襲っていると聞いたけれど」
「違う。人族も野生の動物を操るなんて不可能だろう?」
確かに無理ね。そんなことが出来たら苦労しない。ああ、神官長の好感度がマイナスを超えそう。
「あ、先生、そもそも魔物と動物の違いって何でしょうか」
「一般的には魔力を持つか否かだ。まあ例に漏れず紅目というのもある」
「あら、じゃあ勇者というのはあなた方にとって不法入国者に当たる訳ね。あなた達は何もしていないもの。考えてみれば当たり前なのに全く気が付かなかったわ。私もついこの間送り出したけれど……」
そう、この世界に選ばれた勇者はたった一人……なんてことも無く、年に一度勇者が選定される。毎年、選ばれた勇者はみんなの期待を背負って討伐に向かうらしい。下手な鉄砲なんとやらである。私もついひと月前に勇者に祝福を贈った。ただ教本を棒読みしただけだから効果があるかどうかは知らないけれど。そろそろ生きていれば国境を越えて魔界へ入る頃か、早ければもう越えているかもしれな……
「問題ない。次の勇者の髪色は何だとか仲間は何人いるかなど盛り上がるぞ」
「賭け!?」
「ちなみにこの前は茶色で短髪、灰目にやけた肌、歳は20代前半、仲間は4人で男女比は1:1などの項目を全て当てた魔王様の奥方様の一人勝ちだった。一年に一回のイベントなだけあってほとんどの国民が参加するから莫大な金が動いて大変でな。もちろん髪色だけや目の色だけでも参加可能だ」
「それで全部当てるって凄いわ……でも……」
勇者、不憫すぎる!え、待って本当に!?
「ち、ちなみにその賭けはもしかして建国時からずっと……?」
「いや、初めの頃は適当に相手していたらしい。だが毎年来ることによって魔界では風物詩化してきた。ならばせっかくだから経済の活性化に繋げられないかと考えたのが」
「考えたのが?」
「俺だな」
「本人かっ!」
「それに乗ってきて魔界全土の規模にしたのが魔王の奥方様だ」
おっと、つい突っ込みが。私、突っ込み属性じゃないはずなのに。というか奥さんもなかなかだわ。
なら賭けの対象にされた勇者さんはどうなっているのかしら……。ま、まさかお陀仏に?
「いや、そのまま魔界で暮らすことが多い。なんでもあまりの力量差に心が折れるらしい」
そう言ってにやりと笑った。うわあ、確信犯だ、この魔。聞けば、少しずつじわじわと追い詰めていって膝をつかせるらしい。うわあ。
……でも殺さないのね。
「それに勇者に選ばれる者の魔力は質が良い。魔力の量も合わせてこちらの方が住みやすいだろう」
「質?」
「簡単に言えば濃度だ。同じ量を持っていても濃度の違いによって質は異なる。魔界は魔力に馴染んた土地だから量が多い者は過ごしやすい」
「そうなのね。そう言えば私の魔力の質が少し違うと言っていたけれど、私には魔力があるという事?もしかして魔法が使えるのかしら?」
そうだったらちょっと嬉しい。攻撃系の魔法を使って神官長に思いっきり……いえ、こんなことを考えるなんて道徳的にダメよね。人をわざと狙って怪我させるなんてしてはいけないことって分かってるのに。ただ、ね?うっかりってあるじゃない?やっぱりどこの世にも不慮の事故ってものがあると思うの。そういうのって仕方がないと思わない?わざと当てた訳では無いもの。そう、たまたま練習をしてしていたらたまたま通りすがりの神官長にたまたま当たってしまっただけだもの。……うん、いける。
「顔が黒いぞ」
「あら、私のお肌は真っ白よ?ここ最近全く外に出てないもの」
「何故?窮屈だろう。それとも出たくないのか?」
──あ、待って。
「いいえ?でもね、出たくても出られないの。だってほら、私はおしとやかで神聖な聖女様なんだもの。ね?ほいほい行動したら怒られちゃう」
「誰に?お前がそれを望むのに?」
──止まって。それ以上踏み込まないで。
「……この方が私に都合が良かったのよ。今後を天秤にかけて軟禁を選んだだけ」
「一生このまま過ごすつもりか?」
──無責任に私の心を乱さないで!
「だって仕方ないじゃない。そうでもしないと生き残れないんだから。同情なら放っておいて。これ以上私を惨めにしないでよ」
「……なるほど。その様子だと無理矢理呼び出されたのか。……哀れなものだな。異界から人間一人呼び寄せた所で何かが劇的に変わるわけでも無いだろうに」
『哀れなものだな』
呆れたように最後に呟いた言葉は私に向けて言ったものか、それともこの世界の人間に言ったものか。おそらく後者だろう。
ふっと吐き出されたその言葉。彼にとってはなんの意味もない、ただ口から漏れた独り言。
私はそれを聞いて何かが弾けた。
「ふっ、ふふっ……」
先程まで普通に会話をしていたのに、いきなり笑いだした姿はさぞ可笑しいだろう。情緒不安定かよと思うに違いない。私ならちょっと引く。それでも私は止まらなかった。口からはきだしてしまいたかった。ずっと押さえていた蓋が、壊れてしまったから。私は今、この魔に聞いて欲しかった。
「そうよ、哀れなの。私が聖女として呼び出されて丸1年、色んなひとが教会を訪ねてきたわ。貴族、平民、裕福な人、貧しい人。いかにも悪ですって感じの人や優しそうだなって思う人もいた。その人たちはね、みんな一様にこう言うの。『どうかお助けを聖女様』『我々にご加護を』『この世界をお救い下さい』。真剣な顔で、真剣に祈って、真剣に願うの。なんの特別な力も持たないただの小娘であるこの、私に。
なんて純粋で、無垢で、無知で、───滑稽な」
私の突然始まった勝手な独り言にもじっと耳を傾けてくれることが嬉しくて。
窓から入る月の光が彼を照らして、泣きたくなるほどに綺麗な光景を見ながら私は続ける。ずっと奥にしまい込んできたのに。本当に今情緒不安定だわ。──いいえ、聞いてくれる人がいなかったからしまい込むしか無かった。
「そんな力なんて無いと叫びたかった。この世界の平和なんて知ったことじゃないと訴えたかった。私の家族、友人、生活。あなた達が奪ったものを返して。私を帰して」
何度も何度も飲み込んだ台詞。
───私の日常に帰してよ!
「でも言えないの。だって、ここで必要とされているのは優しくて慈悲深い『聖女様』だもの。別に必要とされなくてもいいのだけれど、みんなの求める『聖女様』じゃなくなっちゃったら、そうするともう教会側としては用済みでしょ?だって教会が欲しいのはシンボルにできる聖女様像なんだもの。なんにもこの世界のことを知らないし教えて貰えもしないから、放り出されたら生きていける気がしないわ。最悪消されるのかしら、とか思うと怖いじゃない」
この世界で初めて本音を言った。きっとずっと誰かに聞いて欲しかった。でも聞いて欲しくなかった。ああもう矛盾でいっぱいだわ。全くスッキリもしないし、どちらかと言えば苦しくなった気がする。その理由は分かっている。
どうしてくれるんだろう、あなたのせいで私の蓋が壊れた。これからまた蓋を作るのに辛い思いをしなくちゃいけないなんて。責任とってくれるのかしら。
「責任とってくれるのかしら?」
「なんの話だ」
「……冗談よ。それに私も1度、目の前で首でも吊ってやろうか、とか思ったことがあったんだけれど、一晩寝たらあれ、どうして私が死んであげなくちゃいけないのかしら?と思って」
「一晩……早いな」
「ありがとう。長所なの、図太いのは。あっちでも殺せる気がしない、そもそも殺しても死ななさそうと評判だった乙女です」
「………」
「ねえ何か反応して欲しいわ。沈黙が痛い」
「自分で乙女と言うのはどうかと思」
「ストップ!胸に刺さるからやっぱり何も言わないで」
「………」
「………」
もう一度言おう、沈黙が痛い。
「それで、私は死にたくないし、お金もない。だから『聖女様』してたの。でね、私は今までこの世界の人たちがおかしいと思ってたわ。勝手に呼んでおいて謝罪もないなんて。でもあなたと話をして、ここでは私の方がおかしいと分かったのよ。こちらでは『聖女様』が人に尽くすのは当たり前だったんだって。多分一生、彼らとは分かり合えないわ」
彼は私をじっと見る。困らせたかったわけではないのだけれど、いきなりこんな話をされても戸惑うだけね。
また沈黙が部屋を包む。でもさっきのような痛いものじゃなくて、どこか心地よいもの。
すると彼はおもむろに口を開き、事も無げにこう言った。
「なら消せばいい」
……耳を疑った。
「は?」
「消せばいい。おまえが煩わしいと思うもの全て。信者なり勇者なり……魔王なり。簡単だろう?それでおまえは解放される。この国に求められた役割から」
「えっ、いやちょ、むっ無理……じゃない?あなたにとっては簡単でも私にとっては最難関だと思うんだけれど!?」
事も無げに言うけどそれが出来ていたら今この世に魔王も勇者も存在しないわ!本気で私が出来るとでも!?
ていうか倫理観!道徳心!戻ってきて!消すて……悪魔か。いや、魔族だった。
「冗談だ」
「冗談に聞こえないわ」
心臓に悪いからやめて欲しい。なまじこの美青年ならば何となく出来そうだからなお怖いのよ。ていうか魔王を消すのを推奨するってもはや謀反じゃない。この魔族がおかしいだけなのかそれとも魔族全般がこんな感じなのか……後者ならどうしよう。色々ヤバい気がする。
「ならば仮におまえに力があったとして、今言った案を実行するか?」
彼は私の魔族全般イカれてる疑惑による内心パニック状態を無視してその紅い目で私をじっと見て言った。
宝石のように透き通るその目は、私の心も透かして見ているようだ。とても綺麗。
そして何とか心を落ち着け、少し躊躇うも、私は答えた。
「いいえ。しないわ」
「何故?」
「だってそれはよその人間が口を出すことじゃない。そんな事してこの世界の人たちが味をしめたら、また別の世界から誘拐される人が出るでしょうし。もしそんな力があるなら神官長だけ攻撃してサッサとここからおさらばするでしょうね。自由があるならこの世界も悪くないかもしれないわ。この国は絶対嫌だし帰りたい気持ちは変わらないでしょうけれど」
それに一番の理由は面倒だ。そんなことをする義理もない。矛盾するようだけれど、そんな力が有れば聖女やらなくて済むっていうかここから逃げられて、でも今聖女をしなくていいなら力は要らない訳で………いやこれは矛盾じゃなくて卵が先か鶏が先か問題だわ。考えれば考えるほど訳が分からなくなるやつ。こういう時はスパッと思考を切ってしまうに限る。
「しないって言ってるでしょ何か文句でもあるの他の意見は受け付けないわ拒むならそのお綺麗な顔に紅茶でも掛けてやろうか!」
「急にどうした」
「卵問題が脳内で暴れてて。ごめんなさい」
「……そうか」
「ええ」
そのちょっと引いてる感じなのは気のせいだと思いたい。あんまり表情が変わらないのに、何となく得体の知れない者を見るような目をされたような。
「……傷付いたわ」
「……急に叫ぶお前が悪い」
正論。
「逃げたいか?」
「逃げられるの?」
「おまえ1人では無理だな。脱走防止の結界が張ってある。窓から身投げしようとしても結界に阻まれて終わりだ」
「……聞いておいて酷いんじゃない?」
「事実だ」
というか脱走防止の結界って。そんなに異世界から来た人間に価値があるのかしら。まあ仮に脱走したとしても生活出来る自信というかそもそも生きていける気がしないからどうしようも無いわ。
「じゃあ、攫いに来てよ」
彼は綺麗な目を見開いた。
……あら、こんなこと言うつもりはなかったのに。
「……なんてね。そろそろ、時間切れだわ」
私は立ち上がってまだぷかぷか浮いている人外の襟首を掴んだ。途端、魔法の凄さを思い知った。え、浮いてると人ってこんなに軽いの?魔族が軽いって訳ではなさそう……本当に魔法の力って凄いわ。
「は?」
「だから、時間切れ」
私は外装を良くするためだけにある無駄に大きな窓まで引っ張っていき、その窓を開けて、彼を枠に立たせた。
浮いたままだから扱いやすいわ。
月を背にして立つってまるで映画のワンシーンみたい。なまじ顔が整ってるからとても似合う。月光でキューティクルに輝く彼の髪を見てなんだか負けたような気がする私は心が狭いのだろうか。
「さようなら、綺麗でお茶目な魔族さん。ずっとこのまま話していたいけれど」
そしてそのまま彼の肩をトンと押す。
「このまま見つかったら私、きっとあなたの味方をしちゃうわ」
彼はこの教会を消し炭にすら出来るのに思わず庇ってしまったら、裏切り者のレッテルを貼られて追放、もしくは処刑。それは困る。彼が助けてくれるか分からないし。
巡回員、あと1時間遅れてくれてもいいのに。
「人間なのに?」
魔法を使って今までのように飛ぶこともせず、ただの人のように落ちながら彼は言った。
「おかしい?ならそれはあなたのせいよ」
あなたのおかげ。
私は返す。
「責任、とってね」
ありがとう。
彼の姿が暗闇に溶けるのと同時に、部屋の扉がガチャンと開いた。
朝。
私はのっそりとベッドで目を覚ました。
……とっても、イタいことを言った気がする。
何かしら『攫いに来て』って。お姫様か!うわあ無い。これは無い……!
若干悶えながら迎える気持ちの良い爽やかな朝は、昨日のことが夢だったんじゃないかと思う程に現実味がなくて、それが何故か──無性に悲しくて。
思い出にするには強烈過ぎたのだけれど、思い出にして閉まっておかないともう立ち上がれない気がするから、私はそっと手で胸を押さえた。もし、もしも叶うなら、もう一度だけ会いたいななんて思って。
気が向いたらまた来るかもしれないわ。
さて、そう思うことにした。
今日も神官長のくだらない自慢話でも聞いてこようかしら。……あの魔族のせいでこれから神官長の顔を見て吹き出さないか不安だわ。あなたの結界意味ないですよってとても言いたい。言って放心する顔が見たい。ついでに魂も手放してくれないかな。
頑張ろう。少しずつ、私の世界を作っていけたらいい。いつか絶対脱出して、何年かかっても私を理解してくれる人を見つけてみせる。
………とか思っていたのだけれど。
**
「こんばんはお姉さん!拉致りに来たよ!」
……デデーンと効果音が付きそうな勢いでそんなことを言われた日には、誰でもどう反応していいのかわからない。とりあえずお茶を飲んでなくて良かった。今飲んでたら絶対吹き出していたわ。
「……ブルータス、お前もか」
だからこんな訳の分からない言葉が出てきた私を誰も責められないと思う。
夜、突然窓から現れてぷかぷか浮くというデジャヴ極まりない登場を仕出かしてくれたのは、パッと見中学生位の男の子。怖いくらいに整った顔の美少年で、サラサラの青髪で──紅目。
……デジャヴ極まりない。
「僕、ブルータスじゃないんだけど……」
「ごめん、気にしないで。様式美的なやつだから。ていうか拉致……?」
「そ、拉致。あ、誘拐って言った方がいい?」
どっちも一緒かな。ごめんね、お姉さんまだ状況についていけない。
というか昨日の今日って早くない?早過ぎない?ねえこんなにスピーディーなの、魔族って。様子を見に来るのには1年かかったのに?確かに攫いに来てよとは言ったけれど。言ったけれど!
「わーお……。随分アグレッシブぅ。ちなみに来て貰っておいてなんだけれど、拒否権は……」
「んーないない。お姉さんに来てもらうことはもう決まってるの。うちの堅物様がやっと見つけた春だからね。行先はもちろん魔界!でも酷いことはされないと思うよ?答えようによってはドロドロのグチャグチャにされるかもしれないけど、それだけだから!」
「どこがやねん」
おっと、つい突っ込みが。
これもデジャヴ。
いや、ドロドロのグチャグチャって何。ていうか決定事項なのね?人体実験の餌食にでもされるのかしら。私まだドロドロにはなりたくないんだけれど……。出来たら人の形を残したままお墓に入りたいわ。魔界に埋葬してお墓に入れるという文化があるかどうかは知らない……って、もし火葬なら結局骨だけになるから溶けていても問題ないのかしら?……いやダメでしょ。骨まで溶けてたら意味無いわ。全部灰になって消えるじゃない。
なんて、ついついどうでもいいことを考えてしまった。現実逃避くらい許して欲しい。なんにせよあと40年は生きたいし、そのためにあのイタいセリフを言ってしまったのだから。
「私、まだ原型は保っていたいのだけれど」
「あははっ、多分大丈夫だよ!」
「ねえ、分かって?拉致られる側としては不安でしかないのよ『多分』って。この繊細な私の心、お願い理解して?」
「ごめんねー、でも溺れてるのはあっちだし、上の命令だからなんとも……よっと」
「うぇあっ!?」
少年魔族は急に降下してきたかと思えば私をグッと抱き上げた。人ひとり持ち上げても平気そうな腕力はさすが魔族だなと思うけれど、なんかこう……子供に何やらせてんだお前、みたいな感じが否めない。美少年にこんなことさせてごめんなさいと誰かに無性に謝りたくなった。それでもまだぷかぷかと浮いているから浮遊感が直に伝わってきて、私は思わず彼の首にしがみついた。
「わっ!めっちゃ揺れる!怖……くはなかったけれど。そういえば私ジェットコースター類全般大好きだった」
「じぇっと?よく分かんないけどお姉さん動揺しなさすぎじゃない?なんかすぐに受け入れてるし、順応性ヤバいよね。泣こうが喚こうが連れてこいって言われてたからちょっと拍子抜けっていうか」
拍子抜け?私としては『泣こうが喚こうが』って言う方が有無を言わさぬ恐怖を感じるわ。上って誰かしら。……って言っても会ったことのある魔族だなんて一人しか思い浮かばないんだけれど。あの人、もしかしてすごく偉い人だったりして。不憫な勇者大量生産の犯人だし。
「何か無礼を働いたのかしら。私がやったことなんてちょっと窓から突き落としたくらいしか……」
「いやそれ全然ちょっとじゃないから。結構ど真ん中で無礼だから!」
「でも飛べるから死なないでしょ?大した事じゃないと思うの。それくらい許して欲しいわ、羨ましい」
「横暴!お姉さんって意外と凶暴だね!んー、ほんとはご自分で来たかったと思うんだけど、今ちょうど勇者が来てるから持ち場を離れられないんだ。すごく機嫌が悪かった」
彼は身震いしてそう言った。ついでにお馬鹿さんズへの制裁を終えて刺激に飢えていた奥さんもノリノリで参加したそうで、ちょっと勇者が可哀想なくらいだったと。……そんなに?
ちなみに賭けはまた奥さんの勝ちだったらしい。
……ちょくちょく入る奥さんが怖い。新婚だという彼女は何と人間だそう。びっくりだわ。そして会話の端々から、なんというかその、魔王ご夫妻の力関係が垣間見えるというか……いいえ、なんでもないわ。
「まああそこまでぶっ飛んでると逆に面白いんだけどね。とにかく、僕はお姉さんを攫ってこいっていう命令しか聞いてないからどんな人か分かんなかったけど、魔族が平気そうで良かったよ。最悪お姉さんを意識がないまま運ばなきゃなんないかなーとか思ってたから。魔族を見たってだけで気絶する人とかいるからね」
「なんて迷惑な」
「でしょ?で、話を戻すけどなんでそんなに落ち着いてるの?さっき言ったみたいな人も多いのに。しかも拉致って言ってるのに。もう人生諦めちゃってる感じ?」
きょとんと、本当に不思議そうに聞いてきた。首を傾げる様子がまた可愛らしくて似合ってて……って違う。美形は何をしても様になる、これはどこの世界も共通。
「まさか、そんなつもりは欠片もないわ。あと40年は生きたいし、どうして私が諦めないといけないの。
この前魔族の人が来た時に気付いたのだけれど、どうやら私の考え方や感覚は『この国の人間』にとっては異端みたいなの。あ、私は違う世界から来たんだけどね。なら、こんな教会に閉じこもって違いを感じながら過ごすより、何があるか分からなくてもあっちで過ごした方が楽しそうじゃない。あの人にも会いたいし、やっぱり人生多少のスリルがあった方が面白いと思うし!それに拉致って言ってもはご飯は出ると思うし、そうなったら今の状況とあまり変わらないでしょう?」
「1日3食デザート付きだよ」
「OKどんと来い。絶対に生き残ってみせるわ。あとクリームブリュレはあるかしら」
「ああ、うん……。逞しくて何よりだよ……」
生き残るとかの心配はしなくていいけどね。
そう言って私を抱え直す。……まだ持ち上げられたままだったわ。随分長く話していたけれどよく腕が疲れないわね。私は3秒でダウンする自信しかないのに。やっぱり魔法かしら?
**
私たちを照らして、月が昇る。
「じゃあ、行くよ?」
「あら、拒否権はないんでしょう?」
「まあそうだけど」
そう言う割に、ほんの少しだけ困ったような顔をするから私は思わずくすりと笑ってしまった。
「あら優しい」
「戻れないよ?」
「私がそれを望んだの」
「……魔界だよ?」
「デザート付きなんでしょう?監禁については交渉するけれど」
「……後悔は?」
結局どんなに足掻いても私の日常には帰れない。教会に戻ってくることも無いだろう。けれど私を個人として扱ってくれて、話を聞いてくれたあの人が、この優しい少年がいる国になら行ってみたいと思える。何より私が望んで差し伸べてくれた手を離したくない。
日常が無くなったなら作ればいい。失ったものは二度と手に入らないけれど、新しくならばできる。そう吹っ切れさせてくれたのはあの人。また会えるなんて思ってもいなかったから、思い出にしておくしかないと思っていたからとても嬉しい。正直あの人なら人体実験なんてしないだろうと思っているし、拐ってくれること、ここから出してくれることにも感謝している。あなたにとっては大した事がなくても、あなたとの会話で私は随分と救われたのよ。
だから私は笑って、自信を持ってこう言うの。
「もちろん、する訳がないわ!」
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「……あ、そうだ」
転移魔法が発動する直前、彼はふと思い出したようにこう言った。
「ねえお姉さん、僕ひとつだけ伝言を預かってるの」
『責任は取る』
──たった一言。
嗚咽が漏れる。律儀ね、驚くほど真面目。普通あんな小さな独り言を気にする?
どうしてだろう、どこにでもありふれた言葉なのに胸が締め付けられるように痛むのは。
私の話を真剣に受け止めてくれたから?
そうよね、責任はとってもらわないと。こんな感情を自覚させたあなたに。
私はこの世界で初めて泣いた。
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その後、実は不憫系魔王の側近だったあの魔族と共に神官長に可愛らしい悪戯を仕掛けたり、ぶっ飛んだ感じの爆弾系奥方とエンカウントしたり、私がこの世界と思っていたものがちっぽけなものだったと知ったりするのだけれど、それはまた別の話。
ちなみにクリームブリュレは出たわ。最高だったと言っておきます。
誤字訂正しました。ご報告ありがとうございます。