第四話 「能ある郷に入っては爪を隠すべし」
「目覚めたかい? とんだ災難だったね」
眼前の天井は我が家のではない。身にまとっている服も、いつもと違う。
「――ここは……?」
青白いカーテンに白いシーツ。そして病衣。見るからに病院の一室だ。
周りにもベッドが並んでおり、そのほぼ全てが人で埋まっている。そして、その大体が屈強な男。
白衣を纏った男性が話しかけてきていた。彼はそこまで体格がいいわけではない。
「ここはフォート・ゼンチだ。墜落したヘリコプターから君を含めた四人の乗員を救出した」
「フォート・ゼンチ…………そうか、ありがとう」
――フォート・ゼンチというのは軍の基地だったはず。つまり、陸まで戻ることができたということだろう。
テッドは思わず目頭を抑えた。
生を実感する瞬間など、人生でもそうそうあるものではないと思っていた。それが三回も立て続けに起こったのだ。
今を生きている奇跡を思い知らずにはいられない。
「早速だが、トラベス中尉がお呼びだ。歩けないようならば手を貸そう」
彼が歩み寄ってきたが、手で制した。
「いや、歩けるよ。二足歩行は得意分野なのでね。他のヤツらはどうしたんだ?」
「アフロの彼ならもう起きた。他のは眠ったままだよ」
隊員の無事が分かって安心したのも束の間、溜め息が出た。
――よりによってバカアフロ野郎か。
長い廊下の先――帽子を深く被った兵士と何回もすれ違った先に、その大きな扉はそびえ立っていた。
衛兵に挨拶をし中へ入る。
コンクリート打ちっぱなしの壁が目に入る。
――心なしか、この空間が重い。薄暗い照明のせいだろうか。
テッドは目線を中央のデスクに向ける。
そこでは議論が交わされていた。雑多に並べられた資料を手に取ったりして、男女二人が話し合っている。
男の方は顔に大きな傷痕があり、どこか物憂げな表情を浮かべている。きっと彼こそが中尉だろう。
「テッド・クラフトです。トラベス中尉というのは……」
テッドの予想に反して、もう片方の女性の方が立ち上がった。
「隊長、私だ。ナンシー・トラベス、この基地の司令をしている。よくあれだけの災難を払い除けたものだ」
ブロンドの髪を後ろで結いていて、背は小柄――およそ150cmくらいだろうか。それでいてもなお、その目に軍人の貫禄を感じさせる。
確かに、彼女は中尉でもおかしくない。
「改めて、僕はテッド・クラフト。RDD社第3特殊部隊の隊長だ。実際、三回は死にかけた。それと一回掘られかけた」
握手を交わす。そこに女性とは思えない力強さを感じた。
彼女はテッドの冗談には触れもせずに話し始める。
「さて、第3特殊部隊――通称ブラインドホーク。傭兵である君たちはサラバナでの護衛任務を終え、帰投中だったようだな……爆発した本社に」
――“爆発した”のではない、“爆破された”のだ。軍に。そう言い返したいが、ここはテッドが口を噤んだ。
「この我々でも“そこまで”しか調べられなかった。これからどうするプランだったんだ」
爆発した本社ビル跡地に向かう予定だった。テッドの場合はそこから家が近いこともある。
その旨を包み隠さずに伝えた。
「……なるほど、ふむ。ところで、一説では、全世界で発生したアジフライはRDDの陰謀だとも言うが」
ある言葉に引っ掛かりを覚える。
「……『全世界で発生』ですか?」
「ああ、その通り。歴史上最悪の事態だ」
――まさか、そんな。
テッドからすれば、そんな大きな話だとは思っていなかった。たまたまアジフライモンスターがあの船を襲っただけのものだと思っていた。
――あのアジフライが世界中で人を食っているというのか。
テッドは“ある人物”の身を案じた。
「一般市民の保護状況は……?」
「ここは全滅だ。葬式を挙げても、その参列者はみなアジフライ。馬鹿げてる」
彼女はこの悲惨な状況を嘲笑を含んだ冗談で濁す。
「ほ、他の地域は――」
「――知らん。というのも広域の無線が死んだのだ。電話の一本も繋がらない。既に伝書鳩は飛ばしたが」
「……そんな…………」
膝から崩れ落ちそうになるのを、机に両手を突いて抑える。そうでもしなければ気が参って倒れてしまいそうだった。
冷や汗が出る。唯一の肉親の安否が気になってならない。
「ああ、そういえば極東は壊滅的だと聞いた。せいせいするな」
トラベスの言葉はテッドの耳には入らなかった。結果的に、テッドは無視をしたのだ。
いただけない空気の流れを感じ取った男がフォローを入れた。
「さ、左様ですね!」
トラベスはあからさまに不機嫌な顔をしたが、溜め息をひとつ吐いただけで元に戻る。
「フフっ。まさか貴様、思う人でもいるのか、“あの”ブラインドホークに」
「――あなたには関係ない!」
テッドは思わず声を荒らげてしまった。冷静でいられる余裕がない。
そんなテッドとは対照的に落ち着き払った彼女は、内ポケットから煙草を取り出した。
「――関係ないことはない。我々は君たちを雇いたいのだからな」
「……はい?」
もう一人の男にライターを借りて、吸い始めた。あっという間に部屋の中に煙が充満する。
「君たちブラインドホークに、ここから東にある市街地の奪還を願いたいのだ」
「……はい」
商談というにはあまりにも急すぎる。
まだ隊員が目を覚ましていないし、テッド自身も起きてから一時間も経っていない。
「どうしたクラフト隊長。先程の余裕っぷりはどこへ消えた? まさか報酬の勘定をしているのではあるまいな」
トラベスは薄ら笑いを浮かべている。しかし、笑いは薄くてもそこには薄っぺらくはない威圧感があった。
今にもテッドを呑み込まんとする目が光る。
彼女は続けた。
「いやしかし、我々も疲れている。ボランティアで追加の手術を行うことは難しいだろうな?」
わざとらしく眉を八の字に曲げた。その試すような目がテッドに動揺を与える。
「なッ……!? クソがッ!」
――シウムやサリーはまだ危険な状態にあるということか!
テッドは二人の人質を取られてしまっていた。
だが彼女は言外に、協力しさえすればシウムたちは助かると言っているのだ。
戦場に駆り出されはするが、その方が病床の上よりも生存率が高いのは間違いない。
俺たちはブラインドホークだ。
「ブラインドホークがいなくなれば喜ぶ人間どもはいるが、連中とは長い“付き合い”でな。君たち以上に」
余裕の色は褪せない、かといって油断も隙もない物言い。本当に彼女は一介の中尉なのだろうか。ふとそんな疑問が浮かんだ。
「…………分かった、“喜んで”引き受けよう。だが、報酬に一つ付け加えて欲しい」
「勿体ぶるな」
「なに、金じゃない。俺たちの輸送を、頼みたい。ニュードールズまでのな」
ニュードールズの妹の元へ急ぎたい。本社帰投の名目の下でもなんでも、ニュードールズへ行ければそれで良かった。
しかし、トラベスは怪訝な顔をしている。
「ほう、それで十分か? それとも我々は信用ならんか? 今、一番必要なものはなんだ? 君は隊長だろう? ヒントは出したぞ」
矢継ぎ早に言葉を口にした。
――『一番必要なもの』、それは一体何だろうか。妹の身の安全? それとも部下への休息?
「隊長、君の大切なものを守るのは一体“誰”だと言うんだ? その“誰”かを守ることは君の義務ではないのか?」
彼女に導かれるように、テッドの脳内にあるひとつの言葉が浮かんだ。
「――――俺たちを守る、雇い主か?」
隊の管理は、隊に向けられた敵対勢力も鑑みて行われている。
一般に、敵対勢力から遠ざけ、彼らが敵対する他の勢力に近づけたりする。後ろ盾をつけるのだ。
一般ではない第三特殊部隊の場合、後ろ盾となるのはRDDの本社そのものだ。
そして、本社の爆発で上層部は一部を除いて全員死亡。現在、司令系統がいない状態でもある。
――それはつまり、隊自体が危ない状態でもあるということだ。
そして、彼女はブラインドホークを嫌う連中とやり合っている。
結果、ブラインドホークのクライアントとして、この上ない条件が揃っているのだ。
――果たしてこれは偶然か?
「ふぅ……利口だ。利口でなければ、わざわざビーチまでバカンスをしには行かなかった」
ポイと煙草を放った。
――彼女らは俺たちを必要としていて、それと同時に俺たちを支えようとしているのか?
彼女はこれでもかと吸殻を踏みつける。
「この前も、君のようなビジネスマンと話し合いができていたのならば、こちらも爆弾が不足せずに済んだものだ」
目を細めて、テッドを一瞥した。
――その程度か、と。そう訴えかけられた気がする。
彼女はテッドのことを隊長と呼ばず――傭兵とも呼ばず――ビジネスマンと呼んだ。
彼女はテッドの脇を抜けて部屋を出ていった。
――ドアが閉じられた途端に、その空間が軽くなった気がするのだった。