第三話 「一難去ったが運の尽き」
――その瞬間、ヘリの機体にかなりの衝撃が走った。
「よっしゃ!」
テッドはやっとの思いでアフロ隊員を引き剥がすことに成功する。勢いに飛ばされたアフロ隊員は機体に頭をぶつけて倒れ込んだ。
酸欠状態からは回復し、まともな思考を取り戻したテッド。
そんな中、コックピットではパイロットが夢中で操縦桿を握っていた。
テッドが身を乗り出して尋ねる。
「一体何の揺れなんだ?」
「分かりません! どうやら何かがプロペラに巻き込まれたようで」
必死に機体を立て直そうとする彼の代わりに、テッドはフロントガラス越しに前方を見つめた。そして、無数の褐色物体がその目に映る。
「――まさか! アレは!!」
テッドは息を呑んだ。
パイロットも頭を上げた。そして、顔を歪ませる。
「「アジフライだ!!」」
無数のアジフライが空中に漂い、ヘリを待ち受けていた。
鳥のように羽ばたいているわけでもなく、魚のように空という大海原を泳いでいるわけでもない。埃のようにただ、漂っているだけ。さながらスペースデブリ。
“アジフライ”だから空を飛べる? そのジョークは買えるが、この状況はかなりピンチと言わざるを得ない。
先程の衝撃もアジフライにぶつかったものだったのだ。バードストライクならぬアジフライストライク。
ただのアジフライならば話は別、鳥よりも大きいアジフライがぶつかっているのだからローターまわりの損傷は激しいと見える。
「避けろォッ!」
機体は急速に体勢を変える。アフロ隊員は転がり、テッドも何かに掴まって立っているのがやっとだった。
旋回中にも何回かアジフライと衝突をしたようで、ガガガガと不穏な音がし始める。
「お、おい。これは?」
テッドの声は震えていた。恐怖しているだけではない。機体が小刻みに揺れ始めたのだ。
エイリアンのモノマネができそうなくらいである。だが、そんな能天気なことを考える暇はない。
このまま、死んでしまうのではないか。今考えるべきは“どうやって生き残る”かだ。
真っ先に思い付いたのはパラシュートだ。しかし、シウムはパラシュートを装着できそうにない。誰かが抱えて降下したとしても、空中にはアジフライがウヨウヨと漂っているため危険だ。
抗う術は、もう、残されていない。最悪の考えにぶち当たる。
この現実に――人生最大のピンチに、テッドの頭が真っ白になったとき、答え合わせをするかのようにパイロットが告げた。
「隊長、このヘリはもうダメです」
パイロットは申し訳なさそうに上を指さす。
「――プロペラが一枚折れたようです」
「ああ、そう。はは。妹に電話しなくちゃな……」
死の宣告を受けたテッドはうつろな目でポケットを探し始めた。最期に彼女の声が聞きたい。
――ああ、携帯は内側のポケットだったな。
テッドはおもむろに服を脱ぎ始めた。
「ちょ! 隊長!! しっかりしてくださいよォ!!」
彼は声を裏返らせながら目の前の奇行に叫んだ。
しかし、すぐにパイロットは察した。頼れる隊長は疲れてしまったんだ。いわゆる一種の体調不良に陥ってしまったのだ、と。
突然、頭の中にワルキューレの騎行が流れてきた。こっちが墜落寸前だが。
「あ、墜落するなら陸に頼むよ。骨になっても家族……妹と会いたいからね」
隊長の頬を涙が伝った。ドキリとパイロットの胸が跳ね上がる。そこそこの付き合いながら、彼の涙など目にしたことはなかったし、この先ずっとそんなことはないと思っていたから。
パイロットもヘルメットを外し、目頭を押さえた。
脳裏に恋人の後ろ姿がチラつく。夕陽の中、紫色の長い髪の彼女が振り返る光景。
――ああ、願うことなら、君にもう一度だけでも会いたかったなあ。
死を覚悟した。二度と彼女に会えなくなることも受け入れようとした。
どうしようもない。飛行機に翼はあれど、羽根をもがれたヘリコプターに空を飛ぶことは許されなかった。今以上に重力を――この大地を忌々しく思ったことはないだろう。
顔を下げて、彼は決意を固めた。
――――俺は死んでも、仲間は死なせてなるものか。
彼は無線機を手に取った。
「……メーデー、メーデー、メーデー。当機はルノハン・ビーチに墜落します。三名の生存者を……頼みます………………」
燃料投棄を完了し、慣れた手つきで電気系統を全て切った。
幾度となくアジフライがプロペラの餌食になり、プロペラはアジフライの餌食となる。
ガガッという音の後、続いていた振動が途切れた。その瞬間、ヘリは浮力を完全に失ったのだ。
――海面が迫っていた。前方には真珠のように白い砂浜。こんなビーチで君と追いかけっこをしたかったぜ。
後ろのキャビンを確認した。隊長を含め、三人の乗客員はみな意識を失ったり、意気消沈だったり、とにかく倒れている。ぐっすり眠っているように。
パイロットは微笑みかけた。
「へへっ、いい顔だぜ」
――そのヘリはアジフライに落とされたのだった。
「――――波に打ち上げられたようだな」
その女は、浜に乗り上げているプロペラのないカゴの戸を開けた。海に落ちて爆発をしていないのは、あらかじめ電気系統を切っていたからだろう。
「重傷者二名。アンデッド一名。どうして呼吸をしているんだ、このアマ…………いや、コイツがそうなのか」
彼女は部下に命じた。
「彼らを基地へ、そして最優先で治療にあたれ。彼らはブラインドホークだ」
「か、彼らが?」
驚いた兵士は聞き返す。
「ああ。我々の熱い想いが彼らを引き寄せたのだろう」
彼女は一瞬だけ、頬をほころばせた。すぐに表情を元に戻し手を叩く。
「さあ、急げ。いくら“強化人間”でも死ぬぞ」
ハッとした隊員は慌ててテッドらを外に出した。
彼女はコックピットへ確認をしに向かう。
「彼か。有能なパイロットというのは」
ガラス片が至るところに刺さり、血で真っ赤の男がいた。
彼女は彼から血みどろのドックタグを剥ぎ取る。
「サリー・バランス」と刻まれたそのタグを握りしめ、黙祷する。
――が、弱々しい声が聞こえた。
「……あ、の…………生きちゃい……ました」
虫の息のサリーは手を伸ばす。
女は呆気に取られたが、すぐに我に返った。
「……その先見性は買えないな」
パチンとその手を払い、タグを投げつける。
「そん、な……ひどい…………」
パタリと手から力が抜けた。
ヘリから降りると、彼女は車に乗り込み葉巻を取り出す。
「出せ。“役者は揃った”。これならば、勝てるかもしれない」
彼女が吐き出す煙には、少しの笑いが混じっていた。