第二十六話 「帰ってきた安心」
「こーら、そんなに走り回っちゃダメよ。早く服を着なさい」
自分で言っていて、本当に母親くさいと思う。そんな歳でもないけど。
「「はーい!」」
裸のまま走っていた二人は、手を挙げ脱衣場に戻ってきた。
お風呂上がりは風邪を引きやすいんだから、と彼らに教える。
ふと、自分にもこういう時期があったのかと思った。
そのときはお兄に迷惑をかけたな。
――今すぐにでもお礼が言いたい。
今となっては遅すぎる願いなのかもしれない。
洗面台に映る自分の姿。腰まで届きそうな茶色の明るい髪。胸こそ少し控えめかもしれない。
それでもこの十二年間、兄は一人で自分を育ててくれた。
「お兄……」
何の気なしに漏れた呼び声。返事は求めていなかった。
すると玄関の方から物音がして、声も聞こえた。
「ただいまー」
気の抜けた声に彼女は耳を疑った。それは久しく聞けなかった兄の声。
「お、お兄なの……?」
彼女は恐る恐る玄関の方へ歩いた。
廊下に出ると、今度は目を疑うこととなる。靴を脱ぐのに苦労する兄の姿。
「リル……! いま帰ったぞ!」
「お、おかえりなさい……」
涼しい顔をして上がる兄に、どこか近寄り難さを感じる。
テッドは彼女が一歩退いたのを見逃さなかった。
怖がっているかのようにさえ見える。不安な思いをさせてしまったことを、悔いた。
「今まで大丈夫だったか? どこか怪我したり――」
「おねーちゃん! おようふく着たよ!」
脇の方からひょこっと顔を出した二人の男の子。
――テッドは頭が真っ白になった。誰コイツら、それ以外に何も考えられなくなる。
「え? あっ、そうね。お兄は知らないか。この子たちはお隣の家の子なのよ。ご両親は外に働きに出てて――もう数日帰ってないの」
リルは彼らの肩に手を置き、ぽんぽんと優しく叩いた。
「――それで、今はこの子らの世話を?」
優しいお姉さんに育った妹は、頷いて答えた。
成長を喜ばしく思う反面、彼らの両親の安否が絶望的なものであることにやり切れなさを覚える。
テッドの心配など露知らず、リルは二人の背中を押した。
「ほら、自己紹介なさい」
「はーい、ぼくノル!」
「リムはリムだよ!」
見るに、四才か五才の兄弟。
テッドは以前、ベビーカーに乗せられた近所の兄弟を見たことがあった。それが彼らなのだろう。
「よろしく。お兄ちゃんはテッドだよ」
「「よろしくね! おじさん!!」」
その一言でテッドに電流が走る。テッド・クラフト、齢二十四にして“おじさん”認定。
――いや、リルでさえ“お姉ちゃん”なのだから俺が“お兄ちゃん”というのはおこがましいか。
妥当な評価だった。リルがかわいいのだから、これは仕方ない。
テッドはひとりでに納得し頷く。
「お、お兄? 大丈夫?」
「ああ。やっぱりリルはかわいいな」
「――は?」
あまりのシスコンさにリルは呆れ返る。
それは窓の外で眺めていたカノンも、ゼックも、同じだった。
膝を抱えながら中から聞こえる声に耳を傾けるのは二人の暗殺者。
「『家族』だってよリーダー」
「…………」
ゼックは声も出さずに微笑む。
「ミーにはそういうのないから、あんまり分かんないんだけどね……」
苦笑するカノンは立ち上がり、その場を後にした。
――十数分前。
ゼックを目の前にしたテッドは声を失った。
「リーダー、もう片付けたの?」
カノンの問いかけに彼は頷く。彼からは呼吸音すら聞こえない。
よし、とカノンが呟き、壁にもたれ掛かるサリーの横でしゃがんだ。
「テディー、サリーは怪我しちゃってるんだよね?」
「ああ、一発か二発食らったらしい」
それからかなりの時間が経つ。出血もバカにならないかもしれない。
「……!」
「リーダーが診療所まで運ぶって」
「え、診療所なんてあるのか? RDDのとこは無理だぞ」
その理由はもちろん、殺されるから。
「うん、ミーたちもRDDがヤバいってのには気が付いたよ。だから民間のところね」
今の二人も“こちら側”か。実力を知っている分、心強く思える。
「なるほど。頼んだ」
「…………」
ゼックはサリーをお姫様抱っこし、壁に突っ込んだ。
ぶつかる直前、壁を蹴り下ろし、その反動で身体を宙に浮かせる。空中で身体を捻り、迫る反対側の壁を蹴った。
壁キックである。
ゼックは軽やかな動きでビルの屋上まで登ったのだ。
テッドは彼の影を見上げながら、その身体能力に感服する。
「ねぇテディー、何があったのか、知ってる限りで聞かせてくれる?」
「もちろん。情報共有といこうか」
二人は歩調を合わせて裏路地を出た。どこからもRDDの兵が狙ってくる気配はしない。
いつもの、普段のニュードールズに帰ってこれた気がした。
「……スターゲイザー、知ってるか?」
「『スターゲイザー』? 確か、国際テロリストだったよね。それがどうしたの?」
「そいつが黒幕で、このニュードールズにいる可能性が高い」
「……RDDも“そっち側”なんだよね。どうしてテロと傭兵会社が繋がれたのかな」
彼女は不思議そうに首を捻った。
確かに、不可解な点である。
「想像がつかないな。何か……共通の目的があるのは確かだろうけど…………」
夜の帳が下りたニュードールズだが、人々の声が聞こえてきた。
「銃声がしたんだって!」「えっ!? 襲撃かしら」「RDDがいるから安心だよ」
公園に集まる市民は口々に、テッドが発した銃声について噂していた。
「すごい信頼だな……RDDは」
「まあね。モンスターからこの街を救ったヒーローなんだもん」
「もどかしいったらありゃしないな」
だね、と二人は公園を横目に過ぎていく。
中央のビル群が迫ってきたところで、テッドはあることを思い出す。
「あっ、そういえばだけど、本社跡ってどうなってる?」
「あーダメダメ。瓦礫の山だよ。当分は片付かないと思う」
「じゃあ……今のRDDに命令を出してるのは地下倉庫か」
「うん。それは間違いないよ、この目で確認したし」
郊外の地下に広がるRDDの倉庫は、確かに大部分が倉庫だが本部の機能も兼ね備えている。
地下にあるため襲撃もない、というのが利点だろうか。
今のテッドからしてみると、それは厄介以外の何ものでもないが。
中央街へ通じる道から曲がって二人がしばらく歩くと、建物の背はだんだんと縮んでいく。まるで歳をとっていっているかのようだ。
肩を並べ、『タイラス』と書かれた標識の下を通り、住宅街に進んでいった。
年季の入った一軒家が建ち並ぶ通り。のどかで平和な住宅街の風景。
これぞ、いつもの景色だ。血とか銃とか、そういう暴力とはかけ離れた世界。
「ほんと、ここは変わらないな」
――いつまでもそうであって欲しい。こんな仕事をやっているが、心の底からそう思う。
「ミーたちはニュードールズで偵察を続けるから、何か用があったらコレ使って」
カノンは気を遣ったのか、既にお別れの雰囲気を醸し出している。
彼女に手渡されたのは白いホイッスルだった。『エンジン』と書かれていた。
「あれ? 『エンジン』? 犬笛か?」
『エンジン』――第A特殊部隊の飼うフレンチブルドッグ。マルカン駅で陽動をしてくれていたあの犬の名前だ。
「エンジン、ミーには懐かなくってさ。犬笛代わりに使ってたんだ、普通のホイッスルだけど」
一瞬だけテッドの歩みが止まる。持っているホイッスルに目を向けた。
――もしかして、カノンの使用済み? いや、気のせいか。考えすぎだぞ、テッド。
変に意識してしまうのはよくない。師匠にもよく注意されたことだ。
テッドが反省していると突然、カノンが口を開く。
「あっ、おかえり」
顔を上げると、そこにはゼックがいた。
彼が発する空気は尋常ではない。だが、目にするまで気づくこともない。“見てはいけないもの”の類いだ。
その驚きのあまり息を吸った。どうして第A部隊のはこうも突然現れたがるのか。
「テディーのおうちもすぐそこだよね。ミーたちはここまででいいかな?」
「あ、ああ。ありがとう。助かったよ、本当に」
さっきの驚きを引きずって言葉に詰まってしまった。表情も苦笑いだったかもしれない。
テッドは手を振って、二人に別れを告げた。
カノンも笑顔で手を振り返すが、ゼックは佇んだままで動かない。
――テッドが背中を向けると、ゼックがカノンに指差しで伝える。
「……え? ついて行くの?」
カノンは彼の意図が読めなかった。
ゼックは堂々と、そしてピッタリとテッドの背後につく。その距離わずか1m。それでもバレる気配はしない。
戸の閉まる音の後、ゼックは玄関脇の窓の下にうずくまる。カノンもその隣に座った。
中からの明かりが漏れ、ぼうっと二人を照らした。
「どうしたのリーダー? テディーの妹ちゃんが気になるの?」
コクコクと頷くゼック。その表情はどこか穏やかだった。こんな顔を見るのは久々だ。
「…………」
「へー! 隣の子を預かってるんだ妹ちゃん。すごくいい子じゃん」
「…………!」
ゼックは身振り手振りを使って何かを伝えようとする。
そんなことをせずとも言いたいことは通じるのだが、それだけ伝えたいということだろう。
「――! そうだね。それ、兄妹とも似てるよね」
ゼックが伝えたこと――――それは、“守るべきものを守る”という共通する彼らの人柄だった。




