第二話 「船上のランナウェイ」
「隊長! ご無事でしょうか!!」
「なんとか、今のところはな……ありがとう」
テッドは壁を頼りに立ち上がった。足がすくんで、上手く立ち上がれなかったのだ。
彼女に吹き飛ばされたアジフライは、レストランの奥のテーブルの上でビクビクと痙攣を起こしていた。しかし、すぐさま起き上がってこちらを向く。
「アイツ、まだ動くのか……こりゃ上等なサンドバッグだぜ」
シューティングゲームの敵でもあんなに頑丈にはできていない。ましてや、この地球上にそんな生物はいないと思っていた。
シウムはぶっぱなしたソードオフをレッグホルスターにしまい、今度は背中からフルチョークショットガンを二丁取り出す。
その片方をテッドに投げ渡した。守りきれないから自衛しろ、ということだろう。
「アジフライはあれ一尾だけではないようです。私でもここまで来るのに骨が折れました」
そう言って左腕を抑える。
――ああ、物理的に、か。
腕を折るとは、どれだけ派手に暴れたのだろうか。
「……残念だが船医はいなくなったよ。アジフライの餌になった」
そう、テッドにアジフライを勧め、テッドの代わりに犠牲になった彼である。
「食べられた……っていうことは!」
シウムはレストランに向き直り、ショットガンを構える。奥の方で悶えるアジフライから視線を外し、その周りを見た。
そこで数尾のアジフライたちが、テーブルの影で彼らを狙っていることに気が付く。そこにいるアジフライは一尾だけではない。
「逃げろーッ!!」
シウムが声をあげた瞬間、アジフライたちは一斉に飛びかかってきた。
二人は咄嗟に、飛んでくるアジフライたちを狙い撃つ。
「なんで増えてんだよォッ!?」
テッドでさえもアジフライから身を守るのに精一杯だった。
シウムを狙ったアジフライの一尾が、嵐のような弾幕の中を掻い潜り、シウムの左腕に噛み付いた。
「うぐッ! 離れろ!!」
彼女はアジフライに散弾をぶち込んだ。
しかし、アジフライの噛む力は凄まじく、左腕ごと吹き飛んでしまった。
声にもならない悲痛の叫びが響き渡る。
あまりの痛みにシウムの意識は薄れかけた。揺らぐ彼女の視界の中、さらに襲いかかるアジフライの姿が映る。
シウムは歯を食いしばり、アジフライを睨み付けた。
死を覚悟した。二度と“最推しの彼”に会えなくなることも受け入れようとした。
防戦一方ながら、なんとかドアの向こうに倒れ込んだテッドがもう一発をレストランに向けて放つ。
それはシウムを狙っていたアジフライに命中し、後続のアジフライ諸共、倒れていった。
アジフライが怯んでいる隙に、シウムは飛び出す。すかさず、テッドがドアを閉じた。
「――シウム! 一体その左腕はどうしたんだ!?」
「くれて……やりましたよ。これで、骨折は解決です。“痛覚遮断”なんて……使う日が来るとは…………」
笑えない冗談を飛ばすと、彼女はぐらついた。テッドが寄り添う。
「出血が酷すぎるぞ……!」
テッドは彼女が脚に着けているホルスターを剥ぎ取り、簡易すぎる止血の処置を行った。それでも血は収まらない。
あまりに痛々しい姿に、テッドは頭を抱えた。
「俺たちはどこへ向かえばいいんだ! ここは船だぞ!? 逃げ場なんて――」
「――屋上に……ヘリが、あります。それで、この船を……脱出しましょう…………」
弱々しい声だった。既にシウムの顔色は悪くなってきている。
「……分かった。急ごう」
意を決したテッドは彼女を担ぎ、階段を目指す。
――絶対に死なせない。守ってみせる。
彼女に残された猶予も、ヤツらに追いつかれるまでの猶予も、そう多くは残されていないだろうとは思った。
しかし、テッドは諦めなかった。
――助かる見込みはまだある、まだ、一縷の望みは絶たれていないはずだ。
希望的観測を抱いたテッドが走り出すと、背後のドアから凄まじい音がした。
どれだけの力で叩きつければあのような音が出るのか。
シウムはあのレストラン以外にもアジフライが発生しているのだと言う。
「まさか……他の階もこうなのか…………? これは夢か? 悪夢じゃないか!」
先送りにしていた“現実の理解”が積み重なり、その分だけ絶望に陥る。
死んでいった船医、乗客、あのアジフライも現実そのもの。夢ではない。
階段に着く頃には、もはや我を忘れていた。
「お前だけでも、絶対に死なせはしないぞ……!」
一つ上の階に着くと、そこには数え切れないほどのアジフライがうろついていた。
「――畜生がァ! 俺は天下無敵のシド様だぞ!!」
叫び声と銃声が聞こえた。どうやら奥の方でやり合っているらしく、アジフライはこちらに気づいていないようだった。
幸か不幸か、これはチャンスだろう。
銃声からするに、シドとやらの得物は拳銃である。あまりにも絶望的な状況にテッドは息を呑む。
「すまない……助けてはやれそうにない…………」
アジフライたちに見つからないように足音を殺して、一段一段、慎重に足をかけていくことにした。見つからなければいいだけの話なのだ。
しかしそんな矢先、シウムのショットガンがホルスターから階段に落ちてしまった。ガシャン、とかなり大きめの音が響く。
テッドの頭から血の気が引いた。
――――今度こそやばい。
死を覚悟した。二度と家族――主にかわいい妹と会えなくなることも受け入れようとした。
それからは一瞬だった。
後方を確認せず、テッドは自身のショットガンも投げ捨て、走り出す。アジフライたちが迫ってきていることは分かっていた。
全力で走る。走る、走る、走る。ただのそれだけ。
ドタドタというアジフライの跳ねる音、追いかけてくる音がテッドを駆り立てた。
すぐ後ろまでやってきている“死の足音”。
テッドがかつて受けた入隊試験。そのときの走りよりも本気の走り。
五秒となく一番上まで上がりきった。あまりの本気さに、胃の中の物が出てきそうになる。息が苦しい。
屋上に通じるドアの向こうからヘリのプロペラ音が聞こえた。テッドはすぐに扉を開けて屋上に飛び出す。
――――が、テッドは焦りのあまり段差に引っかかって前に倒れてしまった。
シウムを背負っていて受身の執りようがなく、テッドは胸を地面に引き摺らせた。
「ぐあアッ!」
扉につっかえていたらしいアジフライたちも、再びテッドとの距離を詰めにかかった。
テッドは起き上がったが、すでにそこまで迫るアジフライたち。
「隊長!!」
そこにはプロペラを回すヘリがあった。
――もう一息なんだ!
テッドは無我夢中で足を動かした。もうその感覚すらない。
キャビンから身を乗り出す部下の手を取り、テッドは勢いよくヘリに乗り込んだ。ガシャンと音がする。
その音を合図に、パイロットはすぐにヘリを飛ばした。
これで安全だ。身の安全は保証されたも同然。船上を見下ろすと、アジフライたちがその場で立ち尽くしていた。
「ハァ……ハァ…………ざまーみろだ」
テッドは全身の力が抜けるのを感じた。死線を掻い潜ったその肉体の疲労が、彼を襲う。
先程、手を伸ばしていたアフロの部下が寄り添ってきた。
「隊長、ご無事で!」
「バカアフロ野郎!! シウムが重傷だッ!!」
ふらつきながら、テッドはコックピットにすがった。
「陸まで引き返すんだ、今すぐに。飛ばせ!」
「ここから引き返しても、病院までは早くて一時間はかかりますが!」
パイロットが口答えをしてくる。酸欠状態で頭の回らないテッドは、操縦席を蹴り飛ばした。
「うるせえ、飛ばせ! 仲間だろうがッ!」
「隊長、落ち着いて――」
心配するアフロ隊員が寄ってくる。両手を前に出しながら。
「――うっせえ! このバカアフロ野郎!!」
テッドはアフロ隊員を殴り飛ばした。
あまりの騒がしさにシウムが目を覚ます。
「ん、んんぅ……」
「お前は死ぬんじゃねえぞ、絶対にだ! てかよくもショットガン落としてくれたな、死にかけたぞ!」
テッドは腕を振り上げた。
「落ち着いてください!」
アフロ隊員がその腕を掴みあげる。
「うるせえ!」
テッドが蹴りを入れると、彼は恍惚の表情を浮かべた。
同時に獲物を狙う虎の目にもなり、テッドに飛び付く。
「落ち着いてぇ!」
アフロ隊員はテッドを押し倒し、そのまま覆いかぶさった。
シウムは完全に目が冴えた。
――寿司だ。男の想いが詰まった寿司だ。これこそ真の芸術だ。
シウムは天国にいるかのような錯覚に陥った。
にやけずにはいられなかった。慣れない片手で瓶底メガネを取り出し、目の前の出来事をしっかり目に焼きつける。
分厚いレンズ越しに繰り広げられるアツい“聖戦”に、シウムは心の中で両手を合わせた。
「落ち着いて……落ちン着いてっ!」
「ぬわああ! 離れろバカアフロ野郎オオオォッッッッ!!」
テッドの叫び声が曇り空に響き渡る。
生存者四名は船を離れ、陸を目指した。