第一話 「食物連鎖の拡張工事」
「やぁテッド、このアジフライは美味しいぞ。君も食べてみるといい」
「いや、遠慮するよ。なんたって俺は味覚がぶっ飛んでるからね」
テッドは冗談を飛ばすほどにご機嫌だった。久々の豪華な夕食が目の前に広がっている。腹を膨らます前に、期待で胸が膨らんだ。
「おいおい! それってアジフライってことか!? 傑作だぜ!」
ワイン片手の彼は嫌な顔ひとつせずにツッコんでくれた。船の上で知り合った仲だが、馬が合いそうなのはすぐに分かった。
「ああ! それじゃあ一尾だけ貰――」
そう言いながらフォークに手を伸ばしたとき。その瞬間。切り取られた一瞬の出来事。
「――危ねェッ!!」
テッドは突き飛ばされた。
突き飛ばされたが――――食べられずに済んだ。結果的には。
今、自分が立っていたところを見る。
そこにはワインの赤を呑み込む紅黒い血が広がっていた。
……それは誰の血?
それはアジフライを勧めた彼の血であった。
……それは何故? 何が起きた?
人の背丈ほどのアジフライが彼の下半身を食い千切ったのだ。粗々しい断面は、人間がかじりついたアジフライのに似ていた気がする。
「テッド……逃げ、ろ…………」
彼は手を伸ばしていた。震えていたが、その震えも小さく収まっていく。
彼は力尽き、ぐったりとしてしまった。
おもむろにテッドが近づこうとするが、それよりも先にアジフライが彼の上半身をすっぽりと覆う。
————は?
テッドの頭は悪くない。頭の良さで人類を二分したとき、彼は間違いなく上位だろう。
そんなテッドでも何が起こったのか分からなかった。息を呑み込んだものの、現実が呑み込めないでいる。
必死に考えた。パニクって真っ白になった頭に鞭を打ち、全力で現実と向き合った。
しかし、彼の思考はあらぬ方向へと進んだ。妄想が暴走する。
——次の瞬間に、テッドは不意に錯覚を見た。
寿司である。シャリが見えない豪勢なネタ。
不意に、頭の中の寿司と目の前の光景とが重なり合う。ヨダレもでてきた。
――そうそう。こんな風に醤油を垂らして……
アジフライの下から赤いソースが広がってくる。それはテッドのぶっ飛んだ思考を元に戻すのに、十分すぎる衝撃だった。
床に血が広がってゆく。“じわじわ”なんてノロさじゃない。あっという間に血の川が出来上がる。
アジフライは下半身だけには飽き足らず、上半身にまでも箸を進めたのだ。箸は使っていないが。
「ヒッ……」
そんな情けない声は、アジフライが彼を貪り食う音、他の乗客の悲鳴でかき消された。
骨の砕ける音、肉が切られる音、老若男女の悲鳴によるコーラス。この世でこれ以上ない恐怖の音楽である。
人間を楽器に変えてしまうその様に、テッドは恐怖した。
――船上で優雅なディナーに舌鼓を打つはずだったのに。こんな目に遭うなんて。
逃げ出さねばならないという本能が、立てない脚の代わりに震える腕を突き動かした。
ゆっくり、ゆっくりとアジフライを背に、前へ進み始める。
ヤツは他の客に対して、覆い被さるように襲いかかった。
数人の客は出口までの退路をアジフライに絶たれ、為す術なく食われる。また悲鳴が一つ消えてしまった。
まさか『隣のアジフライはよく客食うアジフライだ』なんていう状況に置かれるとは思いもしなかった。
早口言葉でもなんでもないじゃないか。
しかし、今は何としても――アジフライから、このレストランから逃げ出さなければならない。もっと言うと、この船からも。
幸いにしてテッドらがいたのは出入口の手前側で、アジフライに襲われることなくドアまでたどり着いた。
やっとの思いで取っ手に手を掛けたそのとき、背後から威圧感を感じた。ドアに黒い影が映る。まるで磁石に引っ張られるかのようにテッドの身の毛が逆立った。
テッドはぎこちなく首を後ろに回し、振り返る。
――——そこにヤツはいた。
「うわああああ!!」
テッドは素早く“リボルバー”を抜き、音速で撃ち切った。最大装弾数である六発の弾丸がアジフライを襲う。
だが、ヤツは少しよろめいただけだった。火力が足らない。
テッドは死を覚悟した。二度と家族に会えなくなることも受け入れようとした。
アジフライは身体をバネのように縮め、ゆっくりと彼を狙う。
そしてアジフライは飛び掛った。
テッドが諦めたそのとき―――思い切りドアが蹴飛ばされた。
鼓膜が破れそうな轟音、どんな楽器よりも痛快な響きを持ったショットガンが火を吹いた。
テッドにとっては聴き慣れた音である。
ついに、ついに待ち焦がれていたヒーローが参上したのだ。
「シウムか! 助かった!!」
テッドが歓喜する横で、彼の部下であるシウムは白い髪を揺らす。
ソードオフを連射し、アジフライをレストランの奥まで吹っ飛ばした。
「隊長! ご無事でしょうか!!」
シウムは得意げに頬を緩ませ、テッドに目配せを送った。