大攻勢
ハイジ達がドイツに戻った頃にはドイツ軍はすでにフランス・ベルギー侵攻を開始していた。
リネージュが陥落し、フランス軍は戦闘計画の方針を転換せざるを得なかった。
ドイツ軍はフランス侵攻を続け、フランス軍は後退を続けた。
ハイジを含む傭兵部隊は最前線へと送られる為、汽車と馬車を乗り継いで、フランス領内を移動した。
ハイジは初めてみるフランスの街並にも驚いた。文化の違いとも感じられる程にフランスの街並みはドイツともオーストリアとも違っていた。
すでに制圧したはずの街で銃声が聞こえる。
ハイジは慌てて、戦闘準備をした。それを分隊長が制した。
「市民兵によるゲリラだ。すぐに鎮静される」
フランスにおけるドイツ支配地域では市民の一部による反抗が行われていた。
業を煮やしたドイツ軍は市民に対して、暴力的な支配を開始しようとしていた。
まだ、中世から脱却が出来ていない軍隊のありようが支配地域における略奪や暴力を産んでいた。
ハイジはそんな荒廃した様子を横目にただ、最前線を目指した。
後に第一次世界大戦と呼ばれる戦争の初期はまだ、中世時代の戦術が目立った。
隊列を組んで銃撃と前進を繰り返し、敵陣地に近付いた時に突撃を開始する。
このような戦術に対して、銃と大砲の性能は著しく向上し、被害を甚大にさせていた。
戦争の有り様が変化する途中で、ハイジ達も新たな試みとして戦場に投入された。
ドイツ軍はフランスを北側から迂回するように侵攻するシュリーフェン・プランに従って行動していた。
ハイジは相棒と共にパリ陥落を目指すドイツ右翼の最前線に居た。
仏英軍は撤退を始めている。それを追撃するドイツ軍を支援する為にハイジ達は大急ぎで戦場を駆けた。
大軍が移動する街道を逸れて、彼女達は脇道を駆け抜けて行く。
この時点ではまだ、長い塹壕を掘り、戦線を構築するという戦いにはなっていない。互いに部隊を布陣させ、会戦をするのが一般的だった。
故に敵の後方へと少数の部隊が移動するのは簡単だった。
分隊長はハイジを呼びよせる。
「お前らは敵の指揮官や伝令を殺せ。俺らの仕事は敵の後方を攪乱して、後退を遅らせる。結集されたら厄介だからな」
それからハイジ達は彼等と別行動をする。
僅か二人の手勢が後退をするフランス軍に近付く。撤退と言っても、大敗したわけじゃない。戦局が不利となった為の撤退に過ぎない。戦力がまだ、多く残っている。
ハイジは茂みに潜む。地形的に平地が続く。村々も点在するような場所だ。見通しは最高に良い。
「ハイジ。目標は解る?」
マンシュリッターが隣で双眼鏡を覗きながら尋ねる。だが、残念な事にハイジの知識や観察眼では多勢の中に居る指揮官を見分ける事は難しかった。
「解らないわ」
「じゃあ、僕が探し出すから、それに従って」
彼は行軍中の敵の列から指揮官らしき服装の男を探し出す。
「ハイジ。あの馬に乗った胸にいっぱい勲章を付けた奴だ」
それはいかにも偉そうな士官だった。ハイジは狙いを定める。
距離にして、500メートル以上はある。かなり難しい射撃だろうと推測された。ただ、相方からすれば、この射撃で行軍が一時的に停止して、相手の動きが鈍れば良いと思ったけだけだ。
ハイジはボルトを引き、弾丸を薬室へと送り込む。装填を終えて、再び狙いを定める。
長距離射撃で必要なのは弾道をしっかりと考える事だ。ライフル弾はまっすぐに飛ぶわけじゃない。弾道は必ず、地面に落ちて行く曲線を描く。だが、ライフル弾の場合、与えられた横回転のせいで、一度、浮き上がるように高くなったりもする。それを見極めて撃つ必要がある。
ハイジは冷静だった。
何度も頭で弾道を意識する。
そして、タイミングを計った上で、引き金を引く。
銃声が鳴り響き、次の瞬間には狙った男の胸板が撃ち抜かれた。
男は馬上から落ちた。周囲の部下達が慌てて、彼に集まる。
銃声は距離が離れる程に後から聞こえる。それ以前に遠方から響く銃声が自分達を狙ったものだとすぐに理解が出来るような兵士がそうは居ない。突然、死んだ上官は部隊を混乱に陥れるには十分だった。
混乱に陥った敵を後目にハイジ達は移動を開始した。敵が冷静になれば、周囲への探索を始めると厄介だからである。
ハイジ達はこうして、幾度も敵の指揮官や伝令を撃ち殺した。
敵の部隊を掻い潜るように彼女達は戦場を駆け回る。
僅か三日間の作戦行動ではあったが、彼らは5人の士官、下士官、7人の伝令を殺害した。これによって、フランス軍の行動がどの程度妨げられたを測る術は無いが、相当の損害を与えたことは確かだった。同時にハイジの所属する部隊が持ち帰った情報はドイツ軍の進撃を速める事に繋がった。
だが、フランス軍は無事に要塞群への撤退を終わらせ、部隊を結集させた。この事でフランス北部でのドイツ軍の侵攻は停止した。
敵が要塞群へと籠城した事でハイジ達の任務も難しくなり、一時的に後方へと下げられた。
英仏軍左翼はドイツ軍の激しい攻勢を前に被害を避ける為に撤退が計画された。
フランス軍の撤退は速やかに始まり、ドイツ軍は休息を取る間も無く、進撃が始まった。この時、ハイジ達は休息も兼ねた後方への移動中であった為にフランス軍の撤退を妨害する事は出来なかった。
ドイツ軍の侵攻はパリに迫るまでになり、フランス政府はパリから離れ、ボルドーに移された。代わりに退役したジョゼフがパリ防衛の任に就き、第6軍が新たに結成され、ドイツ軍の側面へと攻撃を開始した。この結果、ドイツ軍の進撃速度は緩み、英仏軍は態勢を整える時間を稼いだ。
ハイジ達は後方で人員補充と補給を受け、再度、前線へと移動が命じられた。
この休憩時にハイジは戦果に対しての功績が認められ、軍曹へと昇進をしていた。
「軍曹になったけど、仕事は変わらないわね」
ハイジは与えれた階級章を触りながら笑う。それを見ていたマンシュリッターも自分の階級章に手を当てる。彼も上等兵に昇進をしていた。
ドイツ軍の圧倒的な進撃は士気を高めていた。ただし、この頃、中央部においてはフランス軍の侵攻が成功しており、普仏戦争時代に奪われたアルザス・ロレーヌ地方の一部を奪還されていた。これがフランス軍の士気を高めていた。