自分に出来る事
ハイジは西部戦線での初めての毒ガス攻撃を目の当たりにして、その凄惨な光景に気持ち悪さを感じる。
これまで多くの戦場を回り、多くの人を殺し、多くの人が死んでいるところを見たはずなのに、毒ガスによって苦しみ、倒れ、死んでいく様を見た時、銃や剣で殺される事よりも恐ろしい何かを感じ取った。
ガスマスクの中で吐いてしまいそうなハイジをマンシュリッターは助け、その場からの離脱をした。
呼吸困難になり掛けたハイジは安全な場所にてガスマスクを外すと同時にその場に胃の内容物を全てぶち撒けた。
「ハイジ、大丈夫か?」
マンシュリッターは心配そうにハイジを見る。
「大丈夫じゃないわ。あんなの・・・あんなの人間のやる事じゃないわ」
ハイジは涙目でマンシュリッターに叫ぶ。
ドイツ軍は予想外の戦果に更なる化学兵器の投入を決定した。
最大量となる170トンの化学薬品が投じられ、前回よりもより大規模な毒ガスが敵前線に撒かれた。
前回から間が無く、まだ、化学兵器に対する対抗策を持たなかった連合軍側には多くの死傷者が発生し、前線は一瞬にして崩壊した。連合軍は後退を余儀無くされ、ドイツ軍は第二次イーベル会戦で勝利を手にした。
この時もハイジ達は最前線近くで毒ガスの効果を見極めていた。
前回にも増して酷い有様にハイジの気分は悪くなる一方であった。
混乱する連合軍に向けて、散発的に発砲がなされるが、幾らガスマスクをしていると言ってもそこに味方を飛び込ませる程、ドイツ軍も化学兵器に対する知識があったわけじゃなかった。
結果として、然程、大きな進軍には至らなかった。だが、ドイツ軍は度々、毒ガスを用いて、連合軍を苦しめることになる。しかしながら、化学兵器の使用はハーグ条約に違反する事もあり、政治的において、軍内部においても使用に対してはやや懐疑的になりつつあった。
この頃、連合軍も攻勢を強めていた。しかしながら、この頃になると、戦闘機の性能によって、制空権を支配していたはずの連合軍であったが、ドイツ軍が新たに投入したフォッカー戦闘機によって、次々と偵察機が撃墜されるようになり、やがて、西部戦線の制空権はドイツ軍が握る事になった。
この事から連合軍は航空写真などの情報を手にする事が困難となり、ドイツ軍に対して後れを取る事になった。
ハイジ達は英軍の正面となるルースへと移動させられ、敵の攻勢に備えた。すでに毒ガスはドイツ軍だけの物では無くなり、連合軍側も使用する危険性があった。
「毒ガスで死にたくないわね」
ハイジはマンシュリッターに小声で呟く。
「ガスマスクがあれば、大丈夫さ」
「化学は凄いのよ。いつか、ガスマスクだって通用しない毒ガスが現れるわ」
「確かに・・・それより前に戦争を終わらせれば良いのさ」
「マンシュリッターは気楽なもんね」
ハイジは嫌味っぽく言う。
「あぁ、そうさ。戦争で深く考えていたら、ノイローゼになっちまうよ」
「ノイローゼ?」
「頭の病気さ。おかしくなっちまうんだ」
「おかしくなる。戦争をやっている私達は皆、そうじゃないの?」
「言えてるね」
二人は笑った。
イギリス軍はルースに対して、攻撃を開始した。事前砲撃は激しかったが、情報を手に入れていたドイツ軍は防御を堅くし、損害を最小限に抑えた。
結果として、イギリス軍の攻勢は失敗に終わり、連合軍の攻勢は徐々に収まって行くことになる。
前線を転々としたハイジ達だったが、休息の為に後退が決められた。
彼らにとって、数カ月ぶりの後方であった。
幾度ととなく毒ガスの戦果確認など、危険極まりない任務をこなした彼らは軍部において、高い評価がなされており、傭兵ながら、勲章の受勲なども検討されたが、それは見送られ、報償が出された。
多くの傭兵は契約よりも遥かに高い報償を手にして喜んでいた。
だが、ハイジはあまり喜んではいない。
「ハイジ、どうしたの?」
マンシュリッターは心配そうに彼女に問い掛ける。
「うん・・・なんで傭兵なんてやっているんだろうって」
ハイジは弱音を吐くように呟く。
「仕方が無いさ。こんな時代だし・・・誰もが苦しいんだよ」
街を見れば、乞食のような連中が多く見かけられる。好景気に沸いているのは極一部の人間だけ。総力戦となっている今回の戦争においては、一般市民にも大きな負担が掛かっており、経済は停まり、多くの失業者が生まれていた。
「飯が食えるだけマシさ。こんな社会で君はやっていけるのかい?」
マンシュリッターに言われて、ハイジは恥ずかしくなる。
「ごめんなさい。少し、甘えていたわ。そうね。私は身体が丈夫で鉄砲を撃つのが上手。それだけが取り柄なんだから」
元気になったハイジは突然、踊り始めた。それを見ていた仲間達は大笑いしながらビールを流し込んだ。