コンプレックス申請書
「何かコンプレックスがあったら、この申請書に書いて担任の先生に提出してね。それなりの対応をしてもらえるよ」
転入初日、生徒会長の佐藤くんに一枚のプリントをもらった。
いまいち意図を汲み取れず、受け取ったそれに視線を移す。
コンプレックス申請書
まるで筆を使って書いたかの様に、黒くはっきりした文字が並んでいた。
見慣れない言葉だ。
どんなコンプレックスを持っているのか、それがある為に何が不便なのか、解決策として何を求めるのか、という事を記入する欄がある。
「えっと……これは」
「あれ、この学校の名物だと思ってたんだけどな……知らない?」
驚いた様に目を丸める佐藤くんに、首を横に振って見せる。
コンプレックス申請書なんて初耳だ。
一体これは何の為にあるのだろう。
「そっか。高二の三学期に転入してくるから、てっきり何か訳ありかと思ってたんだけど……違うのか」
ふふっ、と笑う佐藤くん。
しかし私は状況を把握しきれない。
ただ彼の笑い方は、どこか女性的で、優しさを含んでいると感じる。
流石、生徒会長。
人徳がありそうだ。
「ごめんごめん。余計な事言っちゃったね。この学校の校則が、物凄く厳しい事は知ってる?」
「はい。資料には目を通しているので。生徒手帳も」
校則が厳しい。
だからこの高校に転入させられたのだ。
「噂通り、ここは校則が厳しい。それどころか噂以上に、だよ。SNSは禁止、髪の染色、ピアスにパーカーは勿論禁止。スカート丈に靴下の長さ前髪の長さにまで規定があるし、お弁当を持ってくる人も校則に触れるのが怖くて梅干しおにぎりと卵焼きしか持って来ない始末だ」
現代社会にそぐわない、面倒な校則が沢山ありそうだ。
しかしそれを話す彼はどこか楽しそうで、私は不思議に感じる。
「しかし今の学園長はそれではいけないと思った。彼自身スーツを着るのが大の嫌いで、仕事の服装は自分で決めたいと主張した。それは学生にも言える事。なんでもかんでも縛れば良いってもんじゃない。生徒にはそれぞれ、コンプレックスや、拘りがある。例えば、制服では無く、私服で自分を主張したい人。天然パーマが嫌な人、身長が低い事で生きにくいと感じている人。そんな、外見だけでは無く、様々な自分の持つコンプレックスを、申請する事で対応していく。そんなシステムなんだ」
「凄い……演説感が……」
「あはは、つい調子乗っちゃった」
佐藤くんの笑顔は、どうやら緊張した心をほぐす力があるらしい。
放課後の貴重な時間に、先学校の説明をしてくれている彼。
生徒会長で優しくて。
凄い、なんか、普通の高校生って感じ。
思わず自分の右太腿の裏を撫でる。
前の学校でヤンキーをやっていた私は、隣の男子高校(当然ヤンキー)にペンで思いっきりここを抉られた。
いやぁ痛かった。
あの野郎、か弱き女に何しやがる。
倍返しにしてやったのが遥か昔の様だ。
取り敢えずここらを統一してやろう、なんて他校の奴らと戦っていたら、学校にバレて退学処分。
親からはその金髪を黒染めし、新しい高校に受かれ、さもなければ親子の縁を切る!と脅されこの始末。
そろそろ私の青春来たんじゃね?
最終的に佐藤くんと海辺とか走っちゃったりなんかする流れでしょ、知ってる。
少女漫画は大好きなんだから!
「あー、鈴木さん?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと初めて聞いた言葉に思考がトリップして」
そうだ、私の過去などどうでも良い。
コンプレックス申請書。
何度聞いても面白い。
「これ目当てで転入して来る人多いんだよ。規則が厳しい分就職率も高くて、偏差値も国内上位だから親も満足出来る。上手く使えばコンプレックス申請書って、自由な学園ライフを過ごせる切符だからね。大抵どっかで問題起こした不良やらなんやらが、親に説得されて転入して来るんだ。鈴木さんもそうなのかな、なんて」
ドンピシャ過ぎて何も言えないぞ。
「あはは……やだなぁ。私が不良だなんて……」
「でもまあ鈴木さん綺麗だし、煙草とか吸ってそう。って、煙草イコール不良ではないか」
……私吸ってないからね?
吸ってないし呑んでないからね?
「でも素敵な申請書ですね。使い方次第では毒にもなりそうですけれど」
「まあそれはあるね。そもそもの校則が厳し過ぎるし。女子はスカート男子はスラックス、とか、考え直して良い時だと思うけど」
プリントをファイルにしまい、これから生活する教室を見回す。
黒板、教卓、机に椅子。
今までちゃんと授業とか受けて来なかったし、頑張らないとな。
「校内はもう見たんだよね?」
「はい。冬休みに」
「敬語じゃなくて良いよ。俺達クラスメートなんだし」
「あ……そうする」
敬語じゃないと物凄く口が悪くなりそうなんだよな。
「取り敢えずはこれで説明終わりだけど……まあ生活してて分かんない事とかあったら皆に聞いて。勿論俺も答えるし」
「ありがとう。頼りにしてます」
「ほらまた敬語」
「……頼りにしてる」
「何照れてんの?可愛い」
「なっ……!」
私の知ってる男は、こんな事言わないよ!?
いつも私と目が合うとそそくさと逃げ出すか、拳を振りかざして来るかのどっちかだ。
「さて、鈴木さんはもう帰る?」
「うん。ありがとうね。忙しい中」
「全然。これも仕事の一環だし。楽しかったよ」
「この後も生徒会?」
「うん。代替わりの準備しないとだしね」
「そっか」
「途中まで一緒に行こうか」
「あ、うん」
スクバを持って彼に着いて行く。
どこまでも優しい人だ。
廊下を歩いていると数人の生徒とすれ違う。
……パンフレットに載っていた生徒の写真と大分雰囲気違うけれど……。
黒髪は肩につく長さなら後ろで一本にくくり、前髪は眉の真ん中まで。
女子はスカート膝下10センチ、男子は必ずネクタイ着用。
ブレザースタイルの制服。
それが校則なのに……。
「佐藤くん、あの人、髪が……」
「ああ。生まれつき黒髪にコンプレックスがあるんだって。申請して虹色に染めてるんだよ」
「あの人、なんか変なサングラスしてない……?」
「裸眼で人と目が合うと、相手の心が読めてしまうんだって。だから特殊加工された眼鏡を掛ける事を、申請したんだよ」
「あの猿は……」
「人とコミュニケーションが上手く取れない事がコンプレックスだから、猿と話す事で心を落ち着けてるんだって」
「……佐藤くんは、何か申請してるの……?」
「え、俺?」
生徒会、書かれた札が下がる扉の前。
佐藤くんはうーん、と首を傾げてから、ふふっと笑う。
「いや、俺は無いかな」
「……流石……」
コンプレックスが無いから、生徒会長をしてるのかな。
「じゃあまた明日ね鈴木さん」
「あ、うん。本当にありがとう。また明日」
手を振ってくれる佐藤くんに、おどおどと手を振り返す。
彼はクスリと笑うと、生徒会室に入っていった。
なんか、思ってたよりずっと自由な学校だ。
せっかくだし、私も早く申請しよう。
そう思うと体が軽くなる。
私だって好き好んで年中首に包帯を巻かないよ。
佐藤くんは最初ちらりとそれを見たけれど、その後気にする素振りを見せなかった。
きっとここなら受け入れてもらえる。
もう気持ち悪がられない。
もう暴力を振るわれない。
正門を出てから、するりと首に巻かれた包帯をほどく。
うなじでギョロリと光る黒目。
良かった。
明日からは学校でも視界良好だ。