第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その23)
「……わからないわ。何故、私が自分の家族に何かしでかそうとしてるだなんて、考えたの? 隔離、燃料、発火源。十分条件は確かにあっても、私が憎悪を家族に向けたり、計画を匂わせる行動なんて、とってすらいないと思うわ。仮にお婆さまが生前、何をおっしゃっていようと、所詮はご老人の戯言よ?」
小首をかしげながら綺羅さんが私に向き直る。その言葉は、至極当然で、まったく「当たり前」のこと。どう考えたって非常識なのは私の方だ。
「ですね。細心の注意を払ってあなたは言葉を選んでました」
「だから、それって誘導尋問。ズルいわ。その意志を――それを、『継承されたもの』として――楓おば様、及び粂お婆様から、と考えるなら、それだってとうにお亡くなりになった方で、そして死人に口なしだわ。あなたは無理に、証言不能な人を主犯にしようとしているんじゃないかしら?」
「それでも、決意に至る『条件』なら、幾らでも考えられます。例えば……あなたの出自とか」
「そこは……」
綺羅さんは、一瞬、息を詰まらせた。
「私には、何一つ反論ができないわね」
「そうなんでしょうか? 『十分条件』こそあったとしても、あなたがご家族に――八幡の家の者に害意を向けるに至るだけの『理由』、それが私にはやっぱり、どう考えてもわからないんです」
それは、力輝さんが泣いて懇願するだけのものであり、八幡の家の者が家族にすら真相を伏せ続けていたようなものであり、綺羅さんに肉親への憎悪を芽生えさせるに至るもの、としてなら――ある程度の道筋は立てられる。
立てられるけど、それそのものが犯罪計画に至るような物であるかは、私にはわからない。
「カマトトぶらなくていいわ。あなたほどの子がわからないわけないじゃない。簡単すぎる問題だったでしょ? 男女の関係、その絆、全て数学的なパズル感覚で、既に紐解いてもいるでしょう?」
「……あなたの『母親』が分からないんです。その情報だけが欠落している。憶測で類推するには、それはあまりに乱暴ですし」
「でも、『最悪の可能性』を、あなたなら既に考えついているんでしょう?」
「はい。恐らくは、タエさんの娘さん……じゃないでしょうか。過去の事件の関係者で、その後の行方が知らされていないのは八幡家ではタエさんだけでしたし。また、力輝さんと縁があるのもタエさんくらいでしたし」
「……おそろしい子ね。大金を握らせて一芝居打たせたフキさんへの処遇からしても、お役御免の使用人を、ただ追い払うってことはないと思ったのね」
いえ、それって今初めて聞きましたけど……。
むしろ、力輝さんへの処遇の方で私はそう類推した。
「娘の殺害に関わっているという話ならともかく、自殺も同然の無理心中を強いた娘が主犯の殺人計画で、その協力者というのも微妙な話ですよね。でも、心情的にタエさんを『悪者』にすることができなかったはずです、あの事件当時の八幡家の者は」
だから、何らかの金銭的援助は、追い出した後のタエさんにも行っていたのだろう。ただ、それが「金銭的援助のみ」で済めばそう問題のある話でもなかったはずで、たぶんそこからがきっと、ややこしい話。
ちょっと、考えたくない話。
おそらくは、暁夫さんが――。
「タエさんのお子さん、その父親が誰なのかを、力輝さんは知らなかったんでしょうね」
「知ってて恋仲になんかならないわ」
「伸夫さんは、どうだったんでしょうか」
「さぁ。あの人のことだから、どうだかわからないわ」
「では、力輝さんと伸夫さんの、どちらがあなたの父親なのでしょうか」
「ふふふ……探偵さんったら、本当に最低なことを訊くわね」
どんな縁で出会ったのか、三人がどんな関係だったのかまではわからない。ただそれは、可能性として「最悪」な状態だけを考えた上での推測だった。
タエさんの娘さん――綺羅さんのお母さんという、誰の証言からも出てこなかった、それは完全なる「媒概念」。ミッシング・リンク。推論のためだけに夢想した、どこの誰かも、どんな名前かも知らない、本当にいるのかどうかすら不明な存在――。
私はそれを、「最悪」の解を出す「パズル」の中のみで、想定した。
自分でも嫌気がさす。
……なのに。
「より最低な方と考えれば、伸夫さんがあなたの本当の父親であった方が、きっと最低最悪でしょうね」
ジっと、綺羅さんは私を見つめる。
飄々とした、儚げな薄笑いの顔とは違う。
強い目線、キッと私を睨む視線。
激しい感情。
……あぁ、私は、綺羅さんに対して、いってはならないことをいっちゃったんだ……。
「家系物の根本です。対称性非対称性、全ての可能性で男女の間に線を入れる。『出生の秘密』を考える。簡単な作業ですね、おっしゃる通りロジックパズルです」
「……色情狂というわけでもなくて、きっと『何とも思わない家系』なのよ、ウチは。それが代々続いてきたから」
「どうなんでしょうか……私には、何とも」
「極端な話、馳夫だって父親はお父様かもしれないわね。さすがに恒夫さんが茜さんを抱いたなんて話はないと思うわ」
うぅん……それを踏まえた上なら、そりゃあ刺しちゃうか。
「……ええと。あの、私そういった生々しい話は、ちょっと苦手で」
「さんざんしてたクセに! あはは! 面白い子ね!」
「ええと、私って、面白いんでしょうか、おそろしいんでしょうか」
「真顔でいってるなら尊敬するわ。……だからお婆様だって苦悩してらしたのよ。自らの因業に。自分の娘の父親が誰か、暁夫さんの子か、徳夫さんの子か、善夫さんの子かすらわからないの。傍家も宗家もない家ならではね。公平なのよ、最悪なほどに。操さんにしろ、ご主人が死んだ後にまで、時期の合わない懐妊をするわけにもいかないし、相談もできず抱え込み思いつめ、いっそ死ぬしか手もなかったのかしらね。この閉鎖された村落で、ましてそんな風習もない土地で、堕ろす手だてすら無かったのか――それを思いつかないような性根の人だったのか、そこまでは私にはわからないけど」
「……道徳観念の欠如、というには、何ていうかその……難しいですね」
聞きたくもないような話に、関わりたくもないような因業に、「探偵」役の私は踏み込まなくちゃいけなくなる。目耳を閉ざして逃げ出したい、そんな気持ちだってある。
でも、そうもいってられない。




