第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その20)
「……それを私が知っていたとして、じゃあ、それで? って話にはならないかしら? 私がその計画を継承するとでも? 何故、私が楓おば様のリベンジをしなければならないの?」
「するかどうかまではわかりませんし、知りません。ただ、あなたが粂さんから、まるで楓さんの如く振る舞うよう、育てられていることからの、只の分析です。先ほども申しました通り、人格までは遺伝で継承しませんし」
一瞬、綺羅さんの冷静な顔に引きつるような表情が浮かんだ。
「遺伝といえば、因縁的にあなたの位置があまりに不明すぎるのもあります。綺羅さんは、どなたのお子さんなのでしょう?」
「……どなたから聞いたのかしら。確かにそうね、私は存在してはいけない者なの。園桐の呪いの産物ね」
やっぱり、はぐらかす。
だから――先ずは、そこから解体して行かなくてはならない。
綺羅さんの、この直線的で場当たりな反駁。昼間の部長のように、反対側の席に回っての討議ですらない。彼女は、こんな夜分に突然にの、私の動きや言葉までは予期していなかったことが窺える。だから――正直、殴り合いにすらならないだろう。
私は――あなたになら、踏み込める。
「綺羅さんのおっしゃる『呪い』の意味も……理解しました。今回の事件の根底にある物の正体──この村に脈々と伝わる秘密、囁かれる醜聞について。私は一つの仮説を立てています」
「本当に? いくら村の人たちでも、余所者にそう易々と教えてくれはしないわ?」
「数百年前にこの村で起きたとされる出来事、戦時中に起きた事件、戦後の、楓さんと克太郎さんの殺害事件、そして今回の事件……全ては一つの『流れ』に沿って起きた出来事ですね。オカルトは存在しない――その前提から、私は『呪い』を否定したいと思います」
呪いとは、あくまで「禁忌」を刷り込むための暗示に近い物だから。
では禁忌が何で、何を縛るために、誰に誰がかけた暗示か? それを考えれば見えてくる。
過去の「大罪」の正体が。
そう認識したものの謎が。
「あなたのご先祖が、人道に外れる手段で財を為そうにも、じゃあ『誰』を相手に、どうやって? ……という話を考える為の、仮説です。徳川の基盤も固まった十七世紀……島原の乱の頃です。弾圧されたキリシタンたちは、おおっぴらに信仰を人前にあらわせもしない時代。そしてこの塔の毘沙門天は……」
ちゃりっとロザリオを握り、珠を繰る。
天と地と聖霊の御名に於いて、
アアメン──。
十字を切った。
「大天使ミカエルです」
綺羅さんは驚かない。
そう。それは既に、私と綺羅さんの間で了解の得た答だったから。
鞘なしの剣、更には剣に金箔。金箔の施された極色彩の毘沙門天も珍しくはないけれど、基本的には持物は三叉のヤリ。
ここの毘沙門様の剣は西洋風のブレードで、そしてその形状は棒鍔──即ち、十字架だった。十字の宝剣、このミカエルのシンボルはうちの学校の校章にもなっていたのだから、部長だってそこにはピンと来ただろう。
「そ、それって……どういうことなの?」
「そ、それって……どういうことなの?」
慌てて振りかえる。双子の姉妹が、私と綺羅さんを追って、すぐ後ろまでついて来ていた。息は二人とも、少し乱れている。
「あら、双子ちゃんたちも居たの? その説は違うっていったわよね?」
「で、ですけど……」
「で、ですけど……」
ミシェール──ミカエル。フランシスコ・ザビエルによって日本の守護聖霊に定められた、四大天使の中で最も神に近い最強の天使。
「毘沙門天に模してのミカエル信仰は、九州北部をはじめ、幾つか国内にもみられます。どちらも携えた長剣で魔を討ちはらう異国の天使様ですし」
大子さんは首をかしげる。
「そういえば、吉祥を示す卍紋って、切支丹が拝む隠れ十字でもあったわね。だから、お寺なんてどこにもないこの村なのに、それが仏閣である必要はあった、……とするなら、やっぱりそれって『隠れキリシタン』の偽造だったの?」
「そのバックボーンが見受けられないのに、あんな物があるのを理解できなかったんです。改宗し切って忘れてしまったのか、それとも……」
「何ら痕跡でもあれば、明治の頃には宣教師だって来てるわよね……」
福子さんも首をかしげる。
フッと鼻で笑うような表情を一瞬見せ、綺羅さんがそれに受け答えた。
「だから、拝むためにあるんじゃないわ。鎮魂だったとも思えないけど、危ない橋を渡ってまで仏像で切支丹の崇拝対象なんてわざわざ作らないでしょう。私はこれは、狂気だと思う」
……そこは、私も同意する。
「どの時代でしょうか。私には、それがわからないんです」
「誰にもわからないわよ。でも、これが伊作さんの作った物だと、誰もが信じていたわ」
虚ろな瞳で、吐き捨てるような綺羅さんの言葉から、やはり「これ」が……ありがたい存在でもないことはうかがえる。そもそも、地元の誰もが拝んでもいないのだから。
「……なら、『その想定』で考えるしかなかったんでしょうかね」
「……ゴメン、私(たち)にはわからないわ。隠れキリシタンの秘仏じゃないなら、それって、一体?」
大子さん(たぶん)が困り気味に問いかける。う~ん……。そこは、正直まだ、私にも……。憶測こそは、出来ますが。
「……おそらくこの隠れミカエルは、違う目的で建てられた物です」
「目的……?」
「何かしら?」
双子が、左右同じポーズで考え込む。
「わかりません。ですが、これからの私の話はあくまで『仮説』です。国を追われた流浪、漂泊の者は、全財産を身に纏って渡り歩いていましたが……」
一端、言葉を切る。
それを口にするのは、私にも少し勇気が要った。
裕二さんの把握してる話は、おそらくこの想定だろう。『規模が違う』……そう考えた場合、たかが一人二人の追い剥ぎで済む話でないとするなら――。
「集まった、何百人もの隠れキリシタン。彼らの身つけた財産一切が──伊作さんの家の礎となったとしたら」
「……虐殺?」
「そして、略奪」
双子姉妹が小さく息を呑む。




