第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その19)
「先例、ね……。お婆さまから何か頼まれた……と判断した理由の一つがそれなの?」
「被害者こそ主犯、その構造は楓さんの事件と同じじゃないかな、って」
「……面白い考え方ね。続きを聞かせて?」
「聞きたいのは、私の方なんです。あなたが、ご家族に対して何をしようとしているのかが、わからないんです。それすらも粂さんから託されたものなんですか?」
──無言が続いた。
「伸夫さんだけでなく、恒夫さんや、馳夫さん……『八幡家』の血を継ぐ皆さんに対して。継母さんや叔母さんは余所から嫁いできた他人だから、使用人ともども逃すことにした。そう考えれば、とても良く出来たお膳立てです。お屋敷で、何か『事件』を起こすとしたなら。常識的には考えられない。八幡家の『非常識』さを、何かことが起これば内々で処理しようとする家風を理解の上で逆手に取った。そう考えれば辻褄が合います」
表情は変わらない。小首をかしげ、薄笑いのまま、綺羅さんはじっと私を見ている。
いや、見てはいないのかもしれない。その瞳の輝きは虚無的だ。
ひゅるりと、ぬるい風が頬を撫でる。
柔和な笑みの無表情から、ほんの少し不思議そうな顔で、綺羅さんは私を見ていた。
さくりと枯れ葉を踏んで、一歩すすむ。
綺羅さんに、一歩近寄る。
「……私が家族を殺すとでも思っているのね」
かなりストレートなその言葉に、少しだけひるむ。
「……そうとも限りません。単にあなたが死ぬつもりかも、とも考えています。その罪をご家族にきせるような、特殊で、困難で、難解な――それこそ、探偵の手を煩わせるような形で」
実際、「何をするか」なんて、わかるわけがない。他人の頭の中までは覗けないから。
だけど――。
因習の残る寒村に住まう、若く美しい女性は、惨たらしく殺されなければならない――。綺羅さんは、その大前提を、しっかり理解している筈。そう、かつての楓さんのように。
定番……というのも考えもので、七〇年代末から八〇年代初頭にかけての横溝エピゴーネンの作品群で、根底からしくじっているのは、やはりそこだった。
因習だの。
呪いだの。
奇譚だの。
伝奇小説ならともかく、まっとうな推理でそんなモノを信じる人間など、現代劇なら読者どころか作中人物ですら居るわけがない。
なら――その前提を潰す。何もさせなければ良いんだ。余計なお節介でも、出過ぎた真似でも、空回りでも、この際、何だって良い。
「結果論よね。そんなこと、事前に本当にわかると思って? それを見越して計画犯罪を、なんて、考えるのは正気の沙汰じゃないわ」
「ですね。探偵の推理することじゃないです。原則、証拠と論証で『起きた事件』を解決するのが探偵です。これは逸脱してます。私は、類推で――一つの仮定から、それを事前に防ぎたい、と思って、はやまった勇み足をしでかしてる。ただそれだけです」
「類推――私も、楓おば様のように頭がどうかした殺戮者である、という類推ね……わかるわ、それは。でも、それは論理的じゃない話よね?」
「探偵が『さて』と開陳しなかった話を、喜一さんが楓さんに託された計画のことを、あなたは知っています。そうなると、何らかの形で既に死亡した主犯――楓さんから、伝達、伝言を受け取った人……つまり、粂さん経由でしょうか。遺伝で、殺意や怨恨、因縁まで継承はしませんからね。口伝でもない限り。そして口で伝わるということは――吹き込まれていると考えるに十分な要素です」
「……うぅん、そういわれると、確かに論理的ね。訂正するわ。私がお婆ちゃんっ子なのも間違いはないし」
「そもそも、あなたが過去の事件の真相を知っていてはおかしいんです。どなたから聞きました? そんなの、粂さんだって知り得るはずがないんです。何らかの形で楓さんが書き残した物でも目にする以外には」
「……私の虚言や妄想でした、って話じゃダメ?」
「ダメです。初代部長の行動、言動から考えるに、楓さん主導による『八幡家皆殺しの計画』が過去にあったのは間違いないでしょう。そしてそれをあなたが知っていては、ましてや知っていることを私たちに話してはおかしいんです」
「それは……」
ここで、綺羅さんは少し困った顔をした。
無理もない。そこは、間違いなく彼女のしくじりだから。
「……そこは、してやられたとしかいいようがないわね。あんな推理を目の前でされちゃ、『真相はこうよ?』って、話すしかないじゃない」
「……七〇点で申し訳ありません」
「ほんと、絶妙すぎてイヤになっちゃう点数ね」
つまり――楓さんの目論む「八幡家皆殺し」を、家族の他の誰も知らなくとも、少なくとも綺羅さん――おそらくは粂さんも、知っていた――と認めたことになる。




