第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その18)
「つまり、もしかしてまだ起きてもいないことを、これから私が『するかもしれない行動』に対して、あなたは事前に釘を刺したい……って話かしら?」
「簡単にいえばそうです」
「……まだ何もしていない誰かの行動を、事前に『断定』するのは、さすがに不躾じゃないかって思うわ」
「ええ。失礼極まることですし、探偵失格でもあります」
さすがに、自分で自分の「失礼極まる言動」に恥ずかしくもなってくる。あなたはこれから「よくない行為をやりそうな人間」なので監視します、といってるも同然だ。「強い思い込みに裏づけされた揺るぎない偏見」という、石野卓球さん語録をも思い出す。
「もっといえば、そんな探偵は居ないわ」
「ですから……私が今から口にすることは、探偵のすることではありません」
「じゃあ、……何かしら?」
さすがに、綺羅さんも首を傾げていた。
「……まず、前提として。あなたが私のあとをつけて来ること……これが、そもそもおかしいんです」
「たまたま偶然。外に抜け出すあなたを見掛けたから……じゃ、ダメかしら?」
「ダメです。私は音もたてず、周囲に覗かれる様子もないことを確認して、慎重に抜け出しました。暗視スコープか赤外線探知機、それか盗聴器でもなければ、私の行動を観測し後をつけるのは無理です」
誇大妄想に過ぎるような話だし、「室内での盗聴を警戒していたカレンさん」の態度もちょっとどうかなとは思ったけど、「聞き耳を立てていました」とばかりに乱入する綺羅さんの頻度は、偶然を装うにしてはやりすぎなのも事実。
「……だから、あるとするなら廊下を通った時くらいでしょうか。そこで偶然を装って声をかけるのなら、まだアリだったでしょうけど」
「いえ、前者にしてもナシだわ! 部長さんに怒られちゃうわよ、そんなハイテク武装のトリックなんて!」
「でしょうねえ」
しょんぼりトリックどころじゃないだろう。でも、お婆さんが生きていたように偽装した手段がハイテクを駆使した物なら、それは折り込み済みでも問題ない。重要なのは、今この時点で綺羅さんが私に動かれては困る、という点。
そもそも、探偵に対して推理を無効化させる前提なら、まだアンフェアの芽は幾らでも残されている。
ゆっくり、視線を山の先、毘沙門の塔の方へむける。ポツリと灯る明かりが見えて、力輝さんがそういえば山腹に小屋を構えていると聞いていたのを思い出す。
一歩、私は綺羅さんに近寄る。
「……わからないわ。あなたが私に何を云いたいのか」
「なら、簡単です。それがどれだけ失礼で、不躾で、ありもしないことを勝手に想定してあなたの行動を決め付けているとしても……それで構いません。今から私と宿に戻って、一晩一緒に過ごして下さい」
何もないなら、それで良い。想像力旺盛な、思い込みの激しい女の子の、頭の中だけの作り話で終わるなら。
「う~~~~ん?」
やや複雑な表情で、綺羅さんが考え込む。
「一緒のお布団で寝て欲しいの?」
「はい」
「私……あなたのことは好きよ? 可愛いし、抱きしめてキスしてあげたいくらいには。でも、さすがにそっちの趣味はないわねぇ」
「……あの、いやあのえと、そーゆーのじゃなくてですねぇ!」
「女子校で暮らしてるとそうなっちゃうの? こわいわね……」
「で、ですからそうじゃなくってですねェ!」
赤面しながら、ろくすっぽツッコミもできない。こういった方向ではぐらかされると、さすがに対処できなくて困る。
「フフ……わかってるわ。冗談よ」
「なら……一緒に、戻ってくれますか?」
「イヤだといったら?」
「無理ですね。私は何が何でも綺羅さんにしがみついて、どこまでも食らいつきますから。あなたがそれを振りほどいて何かを遂行するには、私を縛り付けてでも止めるしかないです」
――暫くの間、綺羅さんは瞳をとじて、じっと黙っていた。
……偶然で、私たちがここを訪れると同時にお婆さんの遺体発見だなんて、あり得ない。
私たちが今日、ここに来る事は知られていた。なら? ……私たちの、探偵の到着に合わせて偽装を切った、という事実に他ならない。
じゃあ、綺羅さんは私たち探偵に、何を解かせたいのか? お婆さんの異常死体の謎? そんな、とらえ所も落とし所もない、茫洋とした物ではない筈だ。
これ単体では、ただ単に「奇妙で不気味」なだけの話。まさに、部長の言う通り「前フリ」程度でしかない。ただ、この異常死体の発見によって、明確に執り行われた事がある。それは、今現在の八幡家の特殊な状態――。
「……実際のところ、私だってこんな事態、予想なんて出来ません。不審な死体が見つかって、それで警察が来て……捜査されることもなく、内々で処理するために、八幡家の男性陣だけを残して他の人を隔離する……これって、最初からわかっていたんでしょうか?」
さすがにそんな展開、わかるはずもない。その時点で、これを最初から予測できていたなら、相当のアドヴァンテージがある。
「先例があるとするなら、あなたの産まれるずっと前です。少なくとも郁恵さんが嫁入りして以来、ここで死者は出ていないはずですから」
そして、隔絶した状況下。アリバイ的にも物理的にも壁で阻まれた杉峰楼側にいる者と、お屋敷に残った者と。私が何か仕掛けるとすればこの好機を逃しはしない。だからこそ、綺羅さんには今、この時、夜が明けるまで何もしないでいて欲しいんだ。




