第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その9)
3.
廊下を渡り、ロビーの近くの談話室の本棚にある郷土の本を幾つか手にとる。めぼしい物こそ何もないだろうけど、少しでも欠けた隙間を埋めたかった。
額に入った墨筆、池田家云々だの、乃木将軍や東條英機の写真だの、さすがにちょっと眉唾くさい有名人の来訪が褪色した紙に色々と書かれてある。
日産の創始者、鮎川義介に、陸軍大佐、安江仙弘……。陸軍中将、樋口季一郎……ああ、はいはいはい。さすがにこれ、……う~ん。
ないよねぇ。
……そもそも楓さんの事件の時に、綺羅さんはまだ生まれてもいないんだから、じゃあ、誰がその話を彼女に……?
そんなのは一人しかいないだろう。
「熱心ね」
「はい。うわぁ!」
「うわぁは失礼よ」
クスクスと綺羅さんが微笑みながら、私のうしろに立っていた。
湯上がりなのか、元々蝋のように真白な肌に、ほんのりと赤みもさしている。こうなってくると、ホントに人種が判らない肌の色だ。
部長からバカなコトいわれた直後だけに、どうしても意識してしまうけど、どう見ても綺羅さんは華奢で、虚弱で、細腕で、ヘタするとチビっ子の私ですら腕相撲で勝てそうにも思う。
それでも、薄桃色の肌に、子鹿のような細い肢体から、ほんのり漂う女性的な色香は、ハタチ前の女性であることを再確認させられる。同性でも、何とはなく、照れてしまう。
「あれから、何かわかったかしら?」
「これだけのヒントでは。誰でも犯行を起こせる『可能性』もある、じゃあ、誰が? となると……」
「因縁、怨恨から狭めて行くしかないわね。でも、それには情報が足りなすぎる……って所かしら?」
「まともに捜査をしようと思ったら、それこそ村中の広範囲に聞き込みもしなくちゃいけませんし」
「誰も話さないわよ」
「……でしょうね」
それに、すでにお巡りさんから厳重に注意もされた。確かに、変死なんてそうそう吹聴して良い話ではないし。現場を調べたことで、こちらにも引け目はある。
ある意味で、あの「調査」は、私たちに対する良い口止めにもなっていたかも。
「お婆様の遺体は既にO市内の病院に運ばれたそうよ。遺体が戻り次第、本葬……まぁ、『密葬』って形にするとは思うけど」
焼き場はこの村にはないから、二度手間なんじゃないか、と思ったけど、さすがにそれは口にできない。病院といっても、解剖まではされず、検視での検分程度で終わる可能性だって高い。――あれほどの『異常死体』であろうとも。
つまり……分析等での確証を得る術は、これで失われかねない。
そうなれば、死因に関してはお手上げだ。
「どなたか、怪しいと目星をつけている相手はいるのかしら?」
「……一人います」
「でしょうね、さっきお風呂場で部長さんにも同じことをいわれたわ」
わちゃぁ。
「部長さん、小さい子なのに、良いおっぱいしてたわ」
「いやあの、そーゆー話は、その。……す、すみません……失礼な部長で。いえ、失礼なのは私もですが」
「気にしないで。不審がられるのは馴れてるわよ」
「慣れるくらい不審なこと、していましたか」
「しょっちゅう」
バスの中でも、彼女はお母さんともお手伝いさんたちとも一切会話をしていなかった。まあ当然……なのかもしれないけど。
私は、どうにもそこに、こういっては失礼だけど、「同情心」がわいてしまう。
「……あの。失礼ながら、幾ら何でも綺羅さん、あなたの態度はおかしいし、怪し過ぎますよ」
私も、率直な意見を口にした。
「ああはいいましたが、部外者と内部の者との決定的な差があります。運んだお婆さんの食事はどう処分できたのでしょうか? 部外者が毎日、三度三度、食事を片付けるためにお屋敷に侵入していたなんて、できると思います?」
老人の食事相当、そう量はないからそのまま食べちゃう事もできるかもしれない、そのまま生ゴミと一緒に廃棄とか、何だったら便所に流すのが一番手っ取り早い。
お婆さんの蔵も、下水は湧き水で流す簡易水洗になっていたので、処分方法の確認は取れなかった。便槽を開けて内容物を調べるだなんて、いくらカレンさんでも無理。警察だって、死体とか麻薬や銃が隠されているような特殊なケースで、かつ裏付けと礼状でもなければ、さすがにそんなことをやるわけがない。
そして、そんな調査をするまでもなく、毎日毎回食事の都度に、不審者が外部から蔵の中にまで、処理のために現れると考えるのは、さすがにナンセンスだ。
「どうかしら。私だって、インターフォンごしにしかこの数ヶ月、お婆様の声は聞いてないわ。それと、後ろ姿と。お膳は入口に置いてただけだし。藍田さんと同じね。それに、うちの広さなら、どこかに誰か隠れ潜んでいた可能性だって当然ぬぐえないわよね」
「確かに。荒唐無稽な話になりますけど、ゼロじゃないです。前例だってありました。伸夫さんもそれがよぎっていたから、綺羅さんの仕業だとは断定はできなかったんだと思います。何より、ここは『秘密の地下通路があるようなお屋敷』ですし」
「ふふふ……」
「でも、仮にもし、その『謎の犯人』が居たとして。潜んでいた何者かが、三度の食事の度に毎回蔵に向かうのを、誰にも発見されない毎日の方が異常です。お婆さんの蔵の中に、他の誰かが潜んで生活していた形跡は一切ありませんでしたから」
とはいえ、私たちも家全体は調べていないから、やっぱりそこに確証も持てない。母屋の本館に、「紫」の他に「銀」「九」の意匠があるかどうかも確認は出来なかった。
「お父さまは頭を抱えていたわ。うちの中をあれこれ探られるのを、心の底から嫌っていた人ですもの、ふふっ……。あら、こんな態度でいたら、また疑われてしまうわね」
「自覚の上で行っているなら――それは『真』か『偽』かの判定は出来ないんですよ」
入られたくないにしては不用心だしなぁ、と。その辺りもまた、首をかしげる。おそらく本館の一番コアな部分には、しっかり施錠はしてあるのだろうけど。
むしろ、ヘタに門戸を閉ざした方が「怪しまれる」と思ってのことかもしれない。かつては、そんな風に楓さんを隠していた時期もあったはずだし。それと徳夫さんの死に懲りた点も……少しはあるのかも。今みたいに開け放っていたなら、正面から家に戻っていた筈で、あんな死に方はしていなかっただろうから。
……ってことは、あの家の不用心さは最近になってから、なのかな?




