第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その8)
「巴さん、あなた、本当はとうに判っているんでしょう? あなたが推理で悩むなんてないわ。解く時は一瞬なんだもの」
「……え、いやそんな。私、幾ら何でもそこまでムチャな推理力、ありませんし!」
「あの毘沙門様を見た瞬間に、あなたは確信してたわよね? そうでなければ、お屋敷でキョロキョロと裏付け探りなんかしないわ。だからあなたが『悩む』なんて、推理以外の事しかないのよ。それは一体、何なの?」
……部長は、直感とか、人間観察からの推論で私を「読んで」いる。これだから、この人は気が抜けない。
「……わかっている、というなら皆さんわかっているでしょう。今回のケースは、あまりにも特殊です。そして、断定するに足りる証拠が無い限り、誰も、何も、言えないんです」
「……確かに、そうね。でも、ここには今、あなたと私しかいないの。憶測でも証拠不十分でも、何だって口にしていいわ。検討しないことには何も始まらないじゃない」
「……遠慮します」
「あなたの主義からは外れる、といいたいのね。でも、取り返しのつかないコトがそれで起きたらどうするの」
「……起きるとでも思ってるんですか?」
「あなたは、思っているはずよ」
――読まれてる。部長は、視線をまっすぐ私に合わせたままでいる。つい、目を逸らしたくなる。でも、この場の一対一でそれはできない。
「……だから、そこは私には判断できません。部長は――どうお思いでしょうか?」
「質問を質問で返す気? まあいいわ。……私が思うに綺羅さんには一点、彼女の姿勢からは『噛み合わない』行動があったわ。そこから推察するに……彼女の中には深い殺意があるわね」
「……あの人は一切、自分の本心も、動機に至ような感情のゆらぎすら見せてませんけど、」
……でも、部長が何を根拠にしたかは、私にもわかった。つまり、そこが気になったのは私だけじゃなかったって事だ。
「……それは殺意と呼んで良い物でしょうか?」
「じゃあ殺意もなしに彼女は人を刺せるというのかしら?」
「……確かに、そっちの方がよっぽど怖いですよねぇ」
「馳夫さんに他意も悪意もなく、刺されるような話でもなかったから、あくまで綺羅さんの奇行、狂気の一環として、内々で処理されたんでしょうけど」
「つまり、そこにはもっと別の理由がある、と部長は判断しているのでしょうか?」
「だから、そんな動機探りは私の主義じゃないの。あなたこそ、そこに思い至っているんでしょう?」
「で……ですから私の顔色から読むのはズルいですって!」
これだから、この人は油断ならない……。
「まぁともかく……ほどほどに気を抜いてなさい。私も、そろそろ一風呂浴びさせてもらうわ。……ねえ、やっぱり一緒に来ない?」
「ですから、三助はお断りします」
「さ、させないわよそんなこと!」
ようやく諦めたか、鞄から見たこともないような銘柄のシャンプーやリンスをごそごそと取り出す部長の背中ごしに、そういえば、と私は一つ質問を投げる。
「あの、八幡家の建物が『新しい物』って、どこでおわかりでした? 火災で新築っていうのは私もわかりましたけど、明治以降っていうのが、まだちょっとわからなくて」
「不意打ちで訊いてこないでよ! ……えっと、あら、巴さんならわかるでしょ? だって赤瓦よ? 琉球風でもベンガラでもなし、塩焼赤瓦が一般に解禁されたのって、明治の中頃からよ」
「あ、私それ知りませんでした」
「あなたでも知らないコトってあるの!?」
「そんな大げさに驚かないでも……。ていうか、知らなくて当たり前です。私、偏った知識は幾つかもっていますけど、高々十三歳の小娘なんですし」
「たかだか、ね……」
鼻で笑うように、部長が向き直る。
「わかってるわよ。ちょっと驚いただけ。そうねぇ……私は、お父様が不動産関係もなさってるから、そういったことには少々知識があるけど、確かにそうかもね。一般的なトリビアでもないわ」
「あ、そうなると農地の税制とかそんなのもおわかりでしょうか?」
「なぁに? もしかして巴さん、土地やカネを巡ってのトラブルとか、そんな面倒なものが背景にあると思って?」
「いえ、ないと思います。ただ、面倒なバックボーンがあればあるほど、やっぱりスキャンダラスな事件は『避ける』でしょうね」
「……でしょうね」
その家族の性質を最初からのりしろに入れているなら、本来『家族の変死体が発見』というとんでもない状況で、内々で処理しようという方向に動くことは、想定可能……だっただろうか? そこは、まだ判断ができない。
「……でもね巴さん。そこがもう色々と考えすぎなの。アナタ既にもう、今起きてる事件以上のことまで想定してるでしょう? いい? 私があなたに、知弥子さんみたいにならないでっていったのは、そこにあるの」
「えっ?」
「巴さんだって、もうわかってるでしょ。あの人ったら、脇目もふらないで無茶をする人なのよ。誰の迷惑も顧みず」
「あ、わかります。わかりますけど……」
「あなたは、そうやって先走りすぎるし、その上一人で飲み込もうとしすぎなの。何か考えがあるのなら、一々飲み込まないで、ちゃんとお話しなさい。私たちにも意見を聞いて。さっきみたいに、少しは頼ってくれてもいいの。わかるでしょ?」
「は、はい……」
「さっき、瓦の話を訊かれて、知らないっていわれたの、ちょっと嬉しかったのよ」
「え? ええっと……」
嬉しかった、っていわれるのは私にとっては予想外。
「……だから、あなたに『任せた』とはいっても、押しつけたいわけじゃないの。抱え込まないで。そして、くれぐれも、無茶はしないでね」
「ていうか、無茶のしようがないですし、この事件」
「ホントにそう? コッソリ私たちに隠れて、綺羅さんと対決しようなんて思わないでね? あなたにはバリツの心得なんてないのよ?」
「し、しませんし出来ませんって!」
ていうか、綺羅さんを何だと思ってるんですか、それって!
ようやく納得が行ったのか、部長は浴場の方へと去って行った。
だいたい引っ込み思案で臆病な私に、無茶なんてしようもないんですけど……。綺羅さんだって、別に「敵」でもないのだし。……ちょっと真意のわからない人ってだけで。
真意――どうなのだろう。ほんの僅か、綺羅さんの感情が窺える場面も、幾つかあった。たとえば、八幡家の話をする時。たとえば、真冬さんの推理に関する話。
──本当の意味ではこの村の事件を、何も解決はしていないわ。
あの、綺羅さんの言葉。
そして、真冬さんの「飲み込んだ真実」。
……つまり、綺羅さんは過去の事件の真相を、より深い所まで、もっと知っている……?
確信したのは、伸夫さんたちの反応から、八幡家の人たちだって、そこまで深く事件の真相を「知ってはいない」ということ。




