第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その6)
2.
部屋に戻った頃には、陽もすっかり傾いて、室内も飴色に染まっていた。
何というか……この半日ほどで、私の脳もクタクタに疲れ果ててしまった。
ある意味では部活の「スパルタ合宿」といって相違ない旅だったなぁ……と、今頃になって気付かされる。
とはいえ、そう弱音を吐いてばかりもいられない。任されてしまったからには……。
「あら巴さん、お着替えかと思ったら。そんな物を持って、どこに行くのかしら?」
筆記具のポーチを取り出していた私を、部長が呼び止める。
「あ、ロビーの方に。何か郷土資料でもないかと思って」
「調べたって、たぶん何も出ないわよ」
「……でしょうね」
そもそも一泊旅行。大荷物なんて誰も持ってきていないのだから、それぞれ小さめなバッグやリュックを広い畳の間にちょこんと置いて、それが妙に殺風景にも思える。
正直、落ち着かない。だから、椅子に座れる場所にも行きたかった。
「それより、花子はカレンたちと一緒に、もう温泉の方に行ったみたいだけど。巴さん、いかがかしら、これから私と一緒に入りません?」
「えーと……すみません、後で一人で入らせていただきます」
テレるし、何たって確実にコンプレックスが刺激されるだけだと思うし。
部長ときたら、小柄さでは私とそう大差ないのに、プロポーションはきっちり女の子らしいのだから、何というか、その。
「ふむ。……毎度毎度、あなたには協調性ってものが欠けているわね。そのくせ引っ込み思案だし、何でも自分一人で抱えようとするし。駄目よ、そんなのじゃ。今に知弥子さんみたいになっちゃうわよ?」
「なりようがありません」
むりです。
「何もあんな人間凶器みたいになるとはいってないわ。頑張ったって努力したって、巴さんが今さら知弥子さんほど背も伸びはしないでしょう? そういう意味じゃないわ」
「ぐぅ」
いやまあ、香織部長と比べれば知弥子さんはまだ普通にちょっと背が高い程度の女性ですけども……比較対象がちびの私では、どうにもなりませぬ。
「……でも、知弥子さんには幾ら暴走しても、それを受け止めてくださる香織お姉様がいらっしゃるもの。そこだけはまだマシね。でも、巴さんには……」
「あ。あの、私へのお説教は……今はカンベンして下さい」
「説教とかかわいがりじゃないわよ! あ、そうかも!」
ぅぅ……。
「……ねえ。巴さん。あなたって、もしかして自分が押し黙って言葉にしないでいるコトが、誰にも『わからない』とでも思ってるの?」
ぎくり。
困った。確かに、私は考えていることが顔に出やすい。うまく隠し通したと思っていたことも、実際丸出しだったのかもしれない。
ということは、顔色から「読む」のを得意とする部長には、とうに「お見通し」だったのか、色々と。
問題は、私の何を、どこまで、見通されているか、の点。そこがまず把握できない限り、何も切り返せない。
「ホラ、そこも。『考えすぎ』なのよ、あなたって。いちいち考えないで良いようなことまで、先を先を、裏をその裏を、常に考え続けてるでしょ? そんなのじゃ、いまに気疲れしちゃうわ」
「ええっと、私に全部押しつけといてソレはあんまりだと思いますけど!」
「いうようになったじゃない」
ふふんっと、部長は笑った。
「確かに、あなたにはみんな期待しているわ。それは事実。でも、全てが全て押しつけようってわけじゃないの。できないコトは分担すれば良いの。あなたは一人じゃないんだから。それを忘れないで」
「え、え~と……」
「え~とは禁止」
「はいっ!」
いけない。慌てて口を押さえる。
「ともあれ、あなたに任せたのは、命令って訳じゃなく、『お願い』なの。期待は、私たちが勝手にあなたにかけた物だから、一々応えなくたって良いの。ダメならダメで良いんだし」
「先ほどの『禁止』っていうのは、命令だと思いましたけど」
「それはそれ。これはこれ。その初代部長のメモだって、何故あなたに貸したか、わかってるでしょう?」
「いやあの。これ、どこにも推理のってないじゃないですか!」
はかられた。
事件の記事や、人物関係の簡単なメモだけしかつけられていない。つまり、電車の中で聞いたことが「ほぼ全て」だった。
「事件の概要を、そう易々とは教えてくれなかったのよ。どうしても! って香織お姉様にしつこく食い下がって、それだけ貸して頂けたの。まぁ『資料集』よね」
「推理の内容そのものを記したものは、別にあったわけですか」
「いえ、それしか残ってないらしいわ。幾つか全容の手記が残っている事件もあるけど、手がけた事件を全てが全て、記録にちゃんと留めているわけでもないようね」
「なんで残してないんだろう」
パラパラとめくり、そして例の葉書大の紙……まあ葉書なんだろうけど、それを再び手に取ってみる。あぁ、残してない理由……。
「……それと、これ。何度読んでも、ちょっと意図が……意味がわからない所あるんですよね」
――魅織へ。余計な口は挟むな。興味も持つな。飲み込まなきゃならない真実もある。探偵同士不名誉は覚悟の上だ、ほっとけ。
名誉? 正義? いずれも、私には理解できない言葉。それって探偵に必要なモノ? だいいち、どの言葉も私のイメージするところの真冬さんに似つかわしいものとも思えないし。なら、それって……?
「それと、真冬さんにしてもそうですけど、魅織さんってどんな方なんでしょう」
「ああ。そういえば途中までしか話していなかったわね」
真冬さんにしてもだけど、学生時代の記録は一切残っていないという「少女探偵」としての私の先輩、香織さんのお母さん……どんな人なんだろう。
「魅織さんは、とてもお上品で、可愛らしくて、今見てもむしろ香織お姉様の方が年上に見えるくらい、若々しくておっとりとした素敵な女性ですけど……一度、真冬さんが『魅織は探偵としてはバケモンだ』って、ポロっと漏らしたのを訊いたくらいね」
「……ばけもん?」
え、なにそれ。
「どんな意味かは、何だかウヤムヤに誤魔化して、結局教えて下さらなかったけど……」
「ちょ、ちょっと……興味ありますね」
バケモンって……。あの。一体、どんな探偵さんだったんだろう?
……探偵同士、か。
面識こそないけど、私はこの事件を通して真冬さんという探偵と対峙している。どんな推理を展開し、どんな解決を得たのかを、実のところ私は何も知らない。
「あ。部長って、真冬さんとはお会いしたことあるんですよね」
「もちろん。何度もお会いしてるわ。聡明で博識で壮健で、ご高齢なのにまだまだお若くてお美しくて、とっても素晴らしいかたよ? 心の底から尊敬しているわ。でもね、それと同時にあの人は…… とんでもないクソババアなの!」
「は、はいっ!?」
またしてもビックリした。
「尊敬できるクソババア、といっても良いわね、えぇ! ちょっとアテられるから、巴さんがいつかお会いすることがあるなら、十分に覚悟しておきなさい!」
「は、はい……」
お婆さんはクソババア、お母さんはバケモンって、どんな家庭環境なんですか、香織さんって。あんな柔和で優しそうで、虫も殺さぬような、誰がどう観ても深窓の、箸より重いものを持ったこともないような、イイトコのお嬢様にしか見えないのに。




