第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その2)
「まあいいわ。それより『ない』って、どういうコトですの?」
ぐいっと部長が私の頬にまで近寄る。えと、近いです、近い!
「だって、意味ないじゃないですか。そんな物があってもなくても、お婆さんの怪死事件には、何の関係もないと思いますし」
「私やあなたはそう考えていても、問題は八幡家の皆さんがそうは思っていないって点なのよ。だから、ほ~ら、誰もここには隠れていませんでした! と開陳する必要はあるの」
「だから、それをきっと、今、伸夫さんたちがやっているんじゃないかって」
「……あ、そうかも?」
他に八幡家の男性たちだけが残って「人払いをする理由」なんて、思いつかない。
「……で、それでしたら結局、どうなのかしら。地下道とか秘密の抜け穴とか、ホントにあのお屋敷にあったのかしら?」
「……私が自分で確かめた訳じゃないから、そこはまだ何ともいえませんけど。そして、それの有無を知ることで推理に必要なピースを埋められるのは、この事件ではなく、過去の事件だけですし」
だけ――? そこは、どうなんだろう。
それでも、恒夫さんのお話を伺う限り、もはや「ある」……いや、あったと私は思っているのだけど。
……そして、同時に私はまだ、真冬さんの残したあのメモの言葉が気になっている。
私たちは、十分すぎるほど既に首を突っ込んでしまった。出過ぎた真似もしでかしてしまった。新たな事件が起きたせいもあるとはいえ、……でも、どうなんだろう。そこに、どうしても理由不明の「負い目」も感じる。
「ああ、お嬢さんたち、こちらにお部屋をご用意してますので」
「あら、わざわざ申し訳ありませんわ」
祐二さんの案内で奥まで進むと、どうやら私たちには二つの部屋をあてがわれているらしいことを(今更)知った。
いや、ひとつでじゅーぶんですって!
広いのに!
「洋間の個室のが良ぇようでしたら、ソッチの方にご案内しますけど」
「いえいえいえいえ、十分っていうか何ていうかその、申し訳ありませんです」
「はは……温泉はともかく、スキーの方のお客さんは今はサッパリじゃけぇね、空いてる部屋ならナンボでもありますけぇ」
全員で枕投げもできる広さがある部屋に、三人で、っていうのも恐縮してしまう。
「あ、そうだ。先ほどうかがった『色々』って意味ですけど……」
祐二さんの耳元でぼそりと呟く。
「……少し、理解しました」
「ん、まぁ……八幡サンとことは見知った間柄じゃゆーても、大っぴらにいえんよーな話じゃしねえ。まして、陰口になるのもねェ」
「はい、わかります。それであの……」
陰口になるというのもわかる。そして、今の言葉を祐二さんから聞いた上で、更にその質問をするのも気が引けるけど――。
「八幡さんの家が避けられている原因……それは、村全体の共通認識として流布しているような話なんでしょうか?」
「ん……」
ここで少し、祐二さんも言い淀む。
「不埒な手段で財を成した等の『陰口』が囁かれていたと、伸夫さんからもうかがいました」
「ん。まぁ……口さがないよーなんは幾らでもあるからねェ」
おそらくお婆さんから伺った話は、「パターンのうちの一つ」なのだろう。縁起としての「寺社や仏像神像、鎮守の建立で暮らしぶりが豊かになる話」は、類型的でどこにでもある話。
それなら、別の類型的な縁起があってもおかしくはないはずで、それはこの「閉鎖された地形」からも容易に想像できる。盗み、奪い、騙し、あるいは神仏や神異へ罰当たりな行為を行うことで、不当な益を得る等々。いわゆる、昔話の『いじわる爺さん』のやりそうな類。
何より、ここは祖国を追われたり、逃げて来た流浪の民の隠れ里を発祥とした、という類の話がある。ヨソモノの根無し草、何をしでかすかもわかったものでもない――いや、それはもちろん、この地域一帯の誰もに関わることかもしれない。「代表者」たる伊作さんと、その直系の子孫である八幡家が、ある種、権力者であり有力者であったと同時に、陰口を囁く恰好のスケープゴートとなり得た――それが事実であるか否かはともかく、近隣からはそう噂されていてもおかしくはないだろう。
「ん~、まあ、実際村の連中だって本当かどうか、知っちゃおらんじゃろねえ。何にせー昔話じゃ。ただ……そーよーなウワサ話は、確かにあった」
「六部殺しとか、落語の『もう半分』みたいな話……でしょうか」
「……ん、まぁ、もっとぼっけぇ……あ、いや何でもなーですわ。やっちもねー話じゃ」
ぼっけえ? ああ、このO弁は有名だから知ってる。似通ってはいても、あからさまにH弁とは違う強調句……強調? もっとタチが悪い? それか、規模が大きい? ……ちょっとわからない。いずれにせよ、何か「そういう話」があったのは間違いないみたい。そうなると――。
「あの毘沙門様は、その鎮魂のための物でしょうか」
それにしては、地元民から丁重に扱われている様子もない。むしろ避けられている――?
「……違うんじゃろなぁ。まあ本当の所はどよなんか、ワシにゃーわからんけぇ」
そういって苦笑混じりに話を打ち切って、祐二さんは早々に去って行った。
……つまり、祐二さんは、真偽はともかく「噂話そのもの」は知っているんだ。それが、八幡家に近しい祐二さんだけが知り得た話なのか、園桐での共通認識なのかはわからないけど。
「どうだってよろしいでしょ、そんな話。落ち武者狩りとか、その怨念の鎮魂があの像ならちょっと面白いですけど」
「大阪の役もとうに過ぎた光政の時代に、それはないでしょうし」
……そうなると、もうパターンは一つしかない。しかし、それは幾ら何でも荒唐無稽で――。
「はい、考え事は後回しね。まずは部屋割り。そっちがチーム二年生ね。こちらを私と花子と巴さんで使わせていただくわ」
「川の字にして寝ましょうね」
ニコニコ笑いながら花子さんが私の肩を揉む。あの。私ソレ真ん中なんでしょうか?
三人づつに分かれて、私は三年生の先輩二人と一緒に、そのままこちらの部屋に荷物を置く。各々、手荷物も少なかったせいか、昼に杉峰楼に着いた時には手提げやリュックも背負ったままお婆さんの話を伺いに行き、そしてそのままリフトに乗ったわけだけど……。
ある意味、荷物をそのまま持ち歩いていたお陰で「着替え」もできた。……死臭は、衣類にはついていない……と、思う。思うけど、自分ではわからない。
今だに、つい数時間前にこの目で見た物が事実かどうかの実感がわかない……。
急に、ぶるっと寒気もくる。……うん、大丈夫。
落ち着いた調度品の、広い和室の中。縁側の広縁にはミニテーブルと低い椅子二脚、床の間には掛け軸、床脇には違い棚。絵に描いたような「旅館」で、そして立派すぎて何だか申し訳なくなってくる。
振り向くと、さっそく部長と花子さんは何か軽口を叩き合っていた。うん、お婆さんの蔵に足を踏み入れていないこの二人が、何の感情変化もみせていないのだから、私にヘンな匂いはついていない……と、思いたい。
コンコンと軽くノックの音。そして即、ドアを開ける音。
「ちょい、良いかな? 部長、巴借りてくよ」
「あら、何よカレン。いいけど、なくさないでね」
私をエンピツか何かみたいにいわなくても。
カレンさんに引っ張られて、私は廊下に進む。




