第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その24)
8.
・証言 八幡茜
「……何ていったら良いのかしら」
目の前の女性――八幡茜は、大きくため息を吐く。
外見だけで判断すると、四〇代後半から五〇代はじめくらいの年齢だろうか。上品そうな、和服のよく似合う女性で、綺羅の母親で伸夫の妻、そしてその容姿は何一つとして綺羅には似ていないと、ちさとたちも内心では思う。
――純和風の顔立ちだし、おそらく綺羅さんは父方の血が強く出ているのだろう。ちさとたちはそう判断する。
「お察しします。ご家族がこんなことに遭った最中に、部外者の、しかも年端もいかない私たちのような者がお邪魔して、あれこれ伺うのもどうかと思うのですけど……」
「いえ、気になさらないで。むしろ……ありがたくさえ思っているの」
この闖入者に「ありがたく思う」というのも、ちょっと妙な話。
「……なにしろ義母様は、とても気難しい人で……私には殆ど口をきいてもくれませんでしたの。それが、まさかこんなことに……」
確かに、普通はありえない。家人の不注意や落ち度に原因があるような話でもないし。
とはいえ、結果としてこれが表沙汰となれば、どう考えても批難や誹謗も集まりかねないことも、わからなくもない。ただでさえ呪われただ何だの悪評があるなら、たまったものでもないだろう。
「ほんとに、世間様に顔向けできるような話じゃありませんわね……。もう、私ったら、どうして良いのか……」
「確かに、ご家族が家の中で木乃伊化なんて話は……」
虐待や無関心を真っ先に勘ぐられるだろう。加えて「奇妙」過ぎるが故に、ゴシップマスコミに嗅ぎつかれようものなら、どんな扱いをされることか。
「何故、気づけなかったのか。何をいわれても仕方のない話ですわ……」
憔悴した顔で、それでもまだ辛うじて、茜さんは毅然とした態度も保てている。――きっと、気丈で育ちの良い人なのだろう。その一点で、ちさとも彼女に好感は抱ける。
「お婆様に口をきいていただけない、というのはいつ頃からですの?」
「……難しいですわね。元々、嫁姑の関係ですし、それで私に心を開いてくださらないのかもと、当初は思ってましたけど……」
「何か、理由がございましたの?」
茜は、やや困ったような面持ちのままでうつむく。そのまま、しばらく無言の時間が過ぎた。
話して貰わなければ何も始まらないし、このまま黙られても困る。ちさとは満面の笑みを浮かべ、そっと茜の手をとった。
「ご心配なさらないで。何か、事情がおありですのね? 私たち、決してそのことは口外いたしませんわ」
「いえ、決してそのようなことは……」
にこりと微笑み、ちさとはまっすぐ茜の瞳を見つめる。いつものトゲトゲしい仕草や横柄な姿勢などおくびにも出さず、しれっとこういった態度が執れるのだから、つくづく大したものだと隣で花子も感心する。
「それを私の口から話して良いものかどうかは、正直わかりません。ですが……義母様が何らかの形で、今回の件に関わって……あの子が……綺羅が……手を貸しているなら……一体、どうなるのでしょう? あの子は、警察に捕まってしまいますの?」
「そこは、まだ何ともいえませんの。だからこそ、私たちの力で内々に調査して、」
「調査する必要なんて、あるのかしら?」
それをいわれると、ちさとも少し困る。
予断は禁物――推理にせよ刑事物にせよ、それは常識。しかしちさと自身、「犯人」の目処は最初っから立ててしまっている。
茜さんだって、それくらいは念頭に置いているはず。――ど素人にもピンと来る犯行って何よそれ。探偵の出る幕もないじゃない!
「思い込みは目を曇らせますわ。綺羅さんが関わっていると決め付けていては、真相には決してたどり付けませんの。他に犯人の潜んでいた可能性、決してゼロではありませんもの。それに、何より茜さんが綺羅さんを信じてあげなくて、どうなさいますの?」
「……そうね。あなたのおっしゃる通りだわ」
一番疑っといて、どの口からこれをいえちゃうんだろ、と隣で花子は感心する。
勿論、可能性はゼロじゃない。しかし、幾ら何でもそれは荒唐無稽で、現実的じゃない。
巴の口にした言葉は、あくまで一つの犯人像だけに目を向けないように、との戒めのようなものだと、ちさとだって認識はしている。
「それで、お婆様の……粂さんの態度に、どのような理由があるのかしら。茜さんには心当たり、ございましたの?」
「はい。義母様は……嗚呼、これは口にして良いものかどうか……」
またループ? ちょっと!
時に上目遣いで懇願し、時に毅然と、なだめるように持ち上げるように、実の母親よりも高齢であろう女性を上手く「転がす」ちさとの話術を、さも面白そうに、花子は無言でニコニコ微笑みながら隣で眺める。
――いやぁ、ホント凄いわ、ちさとって。
「花子は笑って横に座っているだけで十分」と最初にピシャリと釘を刺されたのもあるし、大体そうやっておとなしくしていれば、金髪碧眼の自分は只の「お人形さん」のようになることも自覚している。傍観者としては、これが一番ラクなポジション。
それにしても、ちさとのこの演技力、加えて「人たらし」の手腕ときたら。
惜しいなぁ。これだけの才能がありながら、なんで探偵なんかやっているのかしら――。
「……はい、そうですね……そもそも、義母様は……」
おお、やっと落ちた。




