第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その20)
嘘つきのパラドックス、そこに回帰しちゃうか……。同時に、伸夫さんの言葉から幾つか推察できるのは、綺羅さんが普段から「あんな調子」だということ。そして、綺羅さんも伸夫さんも、理知的な判断のできる人だということ。少なくとも彼らはオカルトとしての「呪い」を本気で信じてはいないはず。
「……もしかすると、その楓さんに似た性格の綺羅さんだからこそ、今回の事件に関わっているのではないか、と……伸夫さんも、そうお思いなんでしょうか?」
「思わない奴もいないだろ、この家に」
ふうっと、伸夫さんは煙と共に苦笑を漏らす。
「えぇと……でも、娘さんなんですし、もう少しその、信用してあげても良いのではないでしょうか。現状、綺羅さんが何かを行ったと断定できる証拠もありませんし」
「信用ならしてるさ。あいつは頭が良い。だからこそ、疑ってる。その上、母と仲が良かったのなんて、家中で綺羅だけだったしな」
「あぁ……そうなると、もう……」
トリックらしいトリックさえ必要ないじゃないですか、これ。
困ったなぁ。そうすると、じゃあ何で綺羅さんは最初っからバレバレな犯行を、ありもしない呪いのせいだと吹聴する必要があるんだろう。佯 狂……つまり狂人のフリにしては、彼女は知的すぎるし。
「第一その母にしても、だいぶ以前から茜や女中たちに罵るような態度を取っていたしな。死んでしまえだの、この家は滅ぶべきだの、あの時燃え尽きてしまえば良かっただの、おかしなことばかりを口にして……」
「……お婆さん、厭世家でしたか」
「なのに健康そのもので、百まで生きると太鼓判を押されたわけだからな。……正直、最悪の場合、母の自殺すらあり得ると思ってる」
「……まあ、それは、」
参ったなぁ。憶測で口にするわけにはいかないけど、伸夫さんの考え、ほとんど私と同じじゃないか。
「そして実際、なんでそんなバカな悪戯をしたのか、それを締め上げて問い詰めて絞るなんて真似は……俺にゃできないからね。君らに期待してるのは、その辺りでもある」
「あぁ、ずいぶんと現実的な判断です。色々、納得できました」
うん。伸夫さんも、「怪死」を真に受けているわけでもないし、事態を把握できていないわけでもない。
綺羅さんの「タチの悪い悪戯」に対し、私たちでグゥの音も出ないほどの証拠を見つけ出し、突きつけ、叱るなり反省を促すなりをして貰いたいんだ。悪戯、で済ませて良いレベルの話でもないだろうけど。
とはいえ、まさか粂さんが「殺害された」とは露ほども思っていない点、そこが綺羅さんへの「信用」でもあるのだろう。
父親として、十代の娘に対しての上手い接し方がわからない所もあるのかも知れない。
それだけ冷静な判断力と公平さがある人なら……あのことも訊けるかもしれない。
「……あの。ひとつ、今回の事件と関係ない話をうかがってよろしいでしょうか?」
「何だね?」
「粂さんの遺骨……になるのでしょうか。どこに埋葬するのでしょう?」
トンっと、シガリロの灰を灰皿に落とし、伸夫さんは数秒ほど沈黙した。
「あ、さしでがましい口をきいて申し訳ありません……。ただ、お庭のあれ……儒式の墳墓のようでいて雅号しか無いのは、さすがに近代では、おかしい気もしましたので……」
普通に考えて、「庭に墓石」がある家なんて異様だ。今在る「墓石」の形態そのものが、本来は儒教文化から出来た物なのも確かだけど、だからこそ、その違和感に宝堂姉妹も真っ先に気づけたのだろう。彼女たちがそれを口にしなかったのは、当然「常識的に考えてそんな馬鹿なことがあるわけがない」から、だと思う。
……つまり、私は非常識なんだ。うん。
「……なるほど。子供のように見えて、さすが真冬さんの弟子筋だな。あれが何か一目で判るとは……まぁ、確かに庭のガラクタは、幾ら何でも頓珍漢過ぎだが」
「あ、いえそんな。私、初代部長とは面識もありませんし」
さすがに光政の儒式墓所を模して庭景を築くなんて、普通では考え難かった。私だって、天禄辟邪が居なければ気付けなかったし。
「戦前までは土葬だったようだがね。今じゃ、誰か死んだら隣市の火葬場に出して納骨している。届け出とかも面倒だからな」
「それって、その……」
儒教的には土葬が基本、仏教は火葬が早い時期から定着していたとはいえ、一般化、まして田舎でまでそれが行われるようになったのは明治以降、普及が済んだのはだいたい昭和になってから。その辺りはわりと誰でも知っている話だと思う。
だから、土葬そのものは宗派を問わず珍しくないとしても、この家のそれは儒式とも違うような。いや、土地柄的にその影響は必ず入っていたとは思うけど……。
今の伸夫さんの話には、すっぽり「大切な過程」が端折られていた。
弔い――。
「ああ。正直なところ、うちに菩提寺も代々の墓も何もない。おそらくは……うちの庭に限らず、掘ればそこら中から骨が出て来るはずだな、この園桐は。爺さんか曾爺さんの時代に、それでえらい目に遭ったって聞いた」
「……それが、ここの開発事業への反対の理由なんですね」
なるほど。ごろっごろ、出ちゃいけないような所からも人骨が出てきたんだ。
つまり――隔離された忌み地・埋め場が存在しなかった。毘沙門塔から眺めた限り、村内には寺社や墓地が見あたらず、村の外側、道路沿いに新興の墓所が散見された程度だった。
「よくわかってるじゃないか。成る程……美佐の差し金だな」
「あ、いえ、そんなわけでも……!」
そんなわけだけども。
代々……という話とは、少し違って。その一件から、採掘等ではなるべく箝口令を布くようにして、大正か昭和初期か、拡張工事の際に鍾乳洞を掘り当てた際も、面倒にならないよう家族の耳にも入れないようにしていた。
……そう仮定して考えると、綺羅さんの口にした「当主しか知らない秘密の抜け穴」という突拍子もない話にも辻褄があう。
本当にあれば、だけど。
「まあ、良い。美佐が喜一さんと何を思って添い遂げたのかは知らないし、俺もそれに対して忌々しくは思ってもいない。ある意味……あの男も、楓姉さんに唆されたようなものだからな」
「そ、そうですか」
……撤回。伸夫さんは「知らない」んだ。
そして私も、まだそこが判断つかないでいる。楓さんは、当時まだ子供である弟の伸夫さんをどう思っていたのだろうか。あくまで怨嗟の対象は、暁夫さんたち大人だけだったのだろうか。
いや、それだって結局、私の考え過ぎ、思い過ごしかも知れないし、それが偶々誇大妄想の綺羅さんと合致しただけかもしれないし。
……何が真で、何が偽か。
私はまだ、何一つそれらの確証を得られていない。




