第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(前編・その9)
4.
山頂から見た限り、八幡家はちょっとした公園くらいの広さがあった。平屋とはいえかなりの大きさで、母屋から左右に伸びた離れから建つ、一見して火の見やぐらのように木造の外装を施した給水塔が、中庭の両側に見えた。
実際、火の見やぐらとしても機能はしていると思う。過去の火事のせいもあるのだろうか。
正面の庭には灯篭、雅号の書かれたかまぼこ形の石碑も多く見える。古い物も、真新しい御影石の物も。大子さんがそれを不思議そうな顔で眺めていた。
「あー。こんな物まであるんだ」
思わず声に出してしまった。正門から入って真正面、庭の真ん中。円状の台座石の左右に、向かい合う麒麟風の二匹の霊獣の石像。つい、苦笑する。どこかに亀さんはいないかと、目で探してみるも、さすがにそこまで光政のマネはしていないか。
「何それ? 狛犬……じゃないよね」
「あー、えーっと……何ていったら良いんだろ、獅子、狛犬の起源ともいわれている霊獣で、角ひとつの方が『辟邪』、角ふたつの方が『天禄』で、先ほども話しましたけど、例の池田光政が池田家に……」
「いや、だからなんで巴ってそーゆーのに詳しいのよ」
理解不能、といった表情のカレンさんに、どうそれを説明して良いものか。レリーフでなく石像、といったあたりがオリジナリティなのかなとも思ったけど、大陸ならむしろそっちの方がポピュラーか。
そして、よくよく考えたら光政の模倣なら、そんな物が「家の庭にあるわけがない」のだし。大子福子先輩は、ただ首をかしげているだけで何も口にしない。
秋の花に彩られた広い庭は、構成や館の外観に、統一感が少々欠けるようにも思えた。目に入るあらゆる物が一々大きく立派ではあるけども、何か違和感がある。こういった「模倣」の物こそあれど、歴史の厚みが、なにも感じられなかった。
基本は和の庭園……だけど、中華風の意匠もあれば、虻の舞う蓮の池には英国風の作りも入っている。グローバルとも無国籍ともいえるし、必然的に、さっき観たお堂の像をも思い出す。
となると……やっぱりこれも「後付け」なのかなぁ、としか。う~ん……。
「何だろ、私、論語とかそーゆーのってよく知らないんだけど、コレってそのテの奴?」
「なんで格言好きなのかしらね。儒教っていうと、今だと韓国ってイメージしかないわ」
カレンさんと部長が、指をさしながら庭石を見ている。格言の書かれた御影石なんて、さすがに近代に建てた物だろう。
「っていうほどコリアンの子も長幼の序だの男尊女卑だの、そーゆー思想は無いと思うけどね。まあNYの学校で一緒だった子の考えだから、それが一般的かどうか知らないけど」
人生訓だの、財を成す秘訣だの。宗教的な物でも俳人の言葉でも何でもない、わりとどうでもいい物ばかりで、どうしても苦笑がこぼれる。
「うぅん……これは、いわゆる儒学のソレとは違うと思いますけども……」
「なら、何かしら?」
「趣味が悪いだろう」
背後で、男性が苦笑する。
「はい、……とは、さすがに正直にはいえませんけども」
「はは。いってるようなものじゃないか」
見た目、四、五〇歳くらいの、ちょっと濃い顔の人がそこに立っていた。
「私がここの家主の、八幡伸夫だ。駐在からの連絡はさっき聞いたよ。綺羅に友達がいたとは初耳だな」
「あ、どうも、この度はご愁傷さまで……」
というか、友達の存在が初耳って。
「いや、いい。楓姉さんの事件の当時、私もまだ子供でね、碌に覚えてもいないが……その制服には見覚えがある」
そう、この人も確か、半世紀前の事件での存命中の関係者の一人でもあったんだ。
ってことは、軽く六〇過ぎのはずだけど、見た目にはかなり若々しい。綺羅さんは四〇過ぎてから産まれたお子さんになるのか。
「この悪趣味な意匠は、祖父の徳夫による物だが。だからといって、勝手にいじるわけにもいかないしで、取っ払うにしろ潰すにしろ金もかかるしな。別に暮らしに差し障るでもなし、そのままにしているが。……美佐さんのミシェール行きを反対したのも祖父と父だったな。正直、私は他人の家庭にまでつべこべ口を出すのも、どうかと思うんだがね」
「あ、はい……。ええっと」
美佐さんから頼まれた話を思い出す。とはいえ、この現当主の伸夫さんは、別にそこまで何かおかしな拘りがあるようにも思えなかった。
「……ともかく、こんな薄気味の悪い事件が起きた時に、うまい具合に君たちが来たのも、何かの縁だろう。宜しく頼む」
「はい。 あ、いえ、宜しく頼まれましてもですね、」
伸夫さんは、そういい終わるが早いか、さっさと踵をかえして、母屋の方へと向かっていた。あの、ちょっと!
「……あの。気難しそうな方でしたから、宜しく頼まれるとは思わなかったんですけど」
「お父様はせっかちな人なのよ。それに、人のいうことなんて聞きはしないわ」
薄く笑みを浮かべたままの綺羅さんに、さすがに私も疑問をはさむ。
「……あの。綺羅さん、お婆さんがミイラにって話を聞いて、」
「ええ。ショックは受けてるわよ。少しは。そうは見えない?」
「はい」
「正直な子ね」
綺羅さんは、にっこり微笑み、腰をやや屈めて視線を私にあわせる。
「そうね。もうおわかりかと思うけど、私って、頭がおかしいの」
うぅ……。そんなコトいわれても、どう返答して良いんですか!?




