第十一話 閻獄峡ノ破『紅き焔』(後編・その3)
3.
「せーがね。楓さん……お大尽の綺麗な娘さんに、美男子じゃが病弱な書生さんの、そーゆー事件じゃけえ。関心も引くわ。じゃけど、心中じゃねーゆぅで、ヤハさんの家に住み込みで働きよぅ、力輝さんが大声張り上げよぅな。その、独逸人の子の」
そりゃ、当然心中じゃないでしょう。
「あ、ドイツ人そこで繋がるんですか」
「あの頃の力輝さんはまだ腕白坊主じゃが、楓さんを姉のよぉに慕いよぅでなぁ。ほんで、結局せーは……あーゆー事件じゃわなぁ」
つまり、殺人事件……。まあ、さすがに腹を引き裂いた心中なんて、ないと思うし。
たまたま心中死体を発見した変質者が、内臓だけ持ち去って行った……そんな荒唐無稽な可能性は、ちょっと考え難い。
とはいえ、そんな捜査のかく乱だけの「異様な登場人物」が出て来るような可能性だって、決してゼロじゃない。既に過去の話として「結果」から入っている私たちには、それは除外項目に入っているけど、当時事件に立ち会った人たちからは、決してその可能性も拭いきれなかっただろう。
そして、考え方としては荒唐無稽でデタラメな話であろうとも、事件関係者に十分なアリバイや、動機が認められない限り、それで丸く収めることも、ありえなくもない……か。
もしや、そういったおかしな方向で、一旦話はまとまりかけていたのかもしれない。新聞記事の奇妙さは、それで一応の納得がつくけれど。
事件現場や遺体の状態の詳細もわからない私たちだけど、それでもここ迄で示されている情報から推測できる点は、「現場状況」の予測。
心中と間違われる状態――。
つまり、メモにある簡素な情報とあわせても、遺体には暴れたり、抵抗した様子も、着衣の乱れもなく、殺害後に現場に運び込んだような痕跡すら、初動の検分では見られなかったことが、今のお婆さんの話からは窺える。
そして、現状の想定で「組み立て」を考えても、充分これは「解ける謎」に思えるけど、一点どうしても、前提条件に不可解なところがある。
今知らされている情報のみでは、判断のつかない何かがあるとして。
つまりそれは――解決に「名探偵」を必要とする「隠された何か」であり……。
あ。
やっぱダメだ、この考えだと。
というか、もしそうだったら……「推理物」としては三流じゃないですか、コレ。
……初代部長の真冬さんって……本当に「名探偵」なの?
「……そんな年齢の子じゃ、放火事件が何らかの動機の因縁になって犯行を引き起こすってケースは、考え難いわね」
私が余計な考えをぐるぐる廻らせていると、ぼそっと部長が横からこぼす。
そこは……どうなんだろう。私には何ともいえない。
子供だって、人殺しはできる。
……でも、その力輝さんって人はまず、この犯行には無関係だろうけど。
「……で、それを解決したのが」
「せぇじゃのー。ひょんの温泉旅行に、恋仲の若い刑事サンやらいっしょにおいでんせーなそうなんじゃけど、さっさか即、解決しょっせなあ。やー、べっぴんさんで賢ぅな、凄いお嬢じゃぁなぁ、真冬さんは」
はぁ、っと全員が感嘆の息を吐いた。
香織さんのお婆さん、初代部長って、本当にどんな人なんだろう?
……ていうか、中等部か高等部かわからないけど、まだ確実に未成年の女学生が公務員の恋人と宿泊って……それって、いいの? まずくない?
「その……真冬さんは、どれくらいで解決なさったんですか?」
「ん? ほじゃねェ。その日の夕にゃー……ヤハさん家にあがりょぅで、皆を呼んで……」
「『さて、』ですわね!」
「……鑑識結果が出る前に解決だもんなぁ。それじゃ死体の語ったような科学的な『何か』は考慮できないって話だしなぁ」
「なんでカレンは、そこでつまんなそうにいうのよ!」
ああ。
やっぱり、もしかすると!?
……私の考える名探偵なら、最初の死体発見の時点で「解決」できている筈。
それだけの時間を要して、実際の八幡家まで乗り込んで検分してからじゃないと、解決できなかった「要素」が、確実にこの事件にはあるという点。
おそるおそる、私はお婆さんに質問する。
「あの。楓さんの姿を、杉峰楼の皆さんはご存じでしたでしょうか?」
んっ? とばかりに、みんな不思議そうな顔をした。それは当然なんじゃないの? と、無言で皆の目が語っている。無理もないけど。
「あぁ、別嬪さんで、可愛い娘さんじゃーよ。今じゃぁ……そうじゃねェ、キラさんが生き写しじゃで……ああ、キラさんにゃー皆さんまだ会ぅよらんよな、すまんねェ」
「ええと、キラサンって方がどなたかは存じませんけど……『可愛い娘さん』?」
「……まあ、終いに観よぅなは、ほんに別嬪さんになりよぅでねェ、可哀相に。あの火事からさき、奥座敷から一歩も出ねーようになっしょんねェ」
「……つまり、最後に観たというのは、お亡くなりになった時のことですね?」
「ほんにのぅ」
嗚呼。
……繋がったかも。
これ、ミステリーとしてはダメだわ。
「で、結局犯……」
「あ~~~っ! 待って、待って! いわないでっ!」
部長が大きな声を張り上げた。
「先に答えを知ったら面白くないわっ! さあ、じゃあ、ここまでのヒントでみんなはどう考えたかしら!?」
「いや、あんま情報増えてないし」
「あのぅ。状況とか、まだ全然……」
「ワシも、もーよぉ憶えよぅらんのよぉ。なんせ軽ぅ五十年は前じゃけぇね」
「他に当時のことを覚えている人は……ああ、先に犯人いわれちゃいそうだ」
解決した事件なんだから、誰が犯人でどういった動機で犯行を……は、当時の人ならしっかり記憶してるんじゃないでしょうか。でも、状況の細かいことはもう、覚えていないかも。
その後の、犯行当日午前に起きた出来事に関して、お婆さんの語るお話は、部長のメモと大差はなかった。
いってみれば、事件当日の詳しい話を伺おうという部長の思惑は、「アテが外れた」ということでもある。
まあメモからも、杉峰楼の女性従業員さんが、事件に殆ど関われていないのは見て取れたけど。
「ほんで、みんなそう思ーよんよ。あーありゃヤハさん家の楓さんじゃー、で。そいで、書生さんが外に出よぅで……そん頃ぁ、お昼の暇なぁ頃じゃね。玄関にもお客の刑事さんしかおらんでな、書生さんの背中しか見よらんよーゆぅよぉで」
「ああ、その従業員の目撃者が犯──」
そう口にした瞬間に、お婆さんは目を丸くした。
続いて部長がムっとした声でつぶやいた。
「いや、あのさぁ! 先にそんなコトいっちゃったら、もう面白くなくなるじゃないのォ!」
「えっ? あッ!」
慌てて口を押さえた。
いっけない! 事件への興味が薄れすぎたせいで、またついウッカリ失言を……!
「どーして、まだ状況説明全て出てないうちからそんなコトいうかなァ~!?」
「ご、ゴメンなさい……空気読む勉強します」
「いやそんな勉強はどうなのよ、ちょっと」
「そうねェ、お嬢ちゃんらぁ、はぁ知りよぅよーなじゃーねェ」
「だ、だからぁ! 先に答えを知っちゃったら、状況の聞き込みをしても面白くなくなるじゃないのよォ~!」
「す、すみません……」
駄々っ子のような声をあげる部長の前で、さすがに赤面してうなだれる。宝堂姉妹も左右でクスクスと苦笑していた。
「わかり過ぎるのも困るわよね」
※
杉峰楼を出て、リフトに乗って十数分ほど。
スキーをするでもなく、まして足元に積雪すらないのにこんな物に乗る時点で、なかなかに無い体験で――いや、ちょっとした恐怖体験で、「これが近道だから」と祐二さんに薦められて乗ったことに、後悔もした。
だって、眼下に広がるのは岩山や枯れた草原とかだし!
「あ……歩いて登った方が、よ、良かったんじゃないですかぁ、これ……」
「面白かったわね」
「面白かったわね」
にこにこ微笑む双子の先輩の胆力を前に、私はすでにフラフラになっていた。うぅぅ……。
山の中腹の一段目終点で降りて、そこから歩いて窪地の村を一望できる場所に着く。
その展望台は、杉峰楼から足で登るには、傾斜こそキツくはないものの、結構な距離を、石段で三〇分は何度も折れ曲がって登らないといけないようなところにあった。
切り立った崖のような場所だけど、さすがに周囲は二重にした手すりで安全策は施してある。
……部長は、あれからヘソを曲げたままで口をきいてくれない……。
うぅ……。
「ロケーション的には、四方をぐるり山に囲まれて、まるで『鬼首村』のようで素晴らしいわね。でも……!」
光景を一瞥、さっそく部長は無茶なことを口にしてるし。
「うん。居住地域は面積的にも軽く軍艦島三つぶんはあるかなー」
「それ、どういう形容なの。広いんだか狭いんだかピンとこないわね、カレン」
「ようは、狭いってことだよ」
う~ん。
「でも、実際にこうして目にすると、それほど狭いって感じもしないわね」
「ですよねー」
地図で見た以上に、意外とそこは広く感じる。岩山に囲まれてはいても平坦部で四、五〇〇m四方ほどあって、集落として発展して行ったことに納得のゆく面積はある。
ただ、さすがに家屋はまばらにしか建ってなく、新旧取り混ぜて、ほとんどが近代的な一戸建てで、茅葺きも土壁もやっぱり見あたらない。
今のここから目に入るのは、周囲の燃えるように赤の山々、休耕地の畑、ビニールハウス、戸建の家々。舗装道路は目視でもわかる太さの幹線が数本ほどで、あとは土の色。
説明で聞いたほど「歴史」がある村にはまったく見えなくて、この二〇年かそこらで新たに開発された郊外のようにも見える。
……うん。本当に「普通の」田舎の景色。
少しホッとする。
「なんでこんな所までコンビニがあるのよ!」
「あれば便利じゃないですか。それに、一軒より二軒ある方が、日販品を搬入する方だって効率が良いですから、杉峰楼のある外側と村のある内側とで、ついでに……」
「そんな話はしていませんの!」
部長は園桐の様子に、いちいち落胆したりヘソを曲げたりと、何とも忙しそうだ。
「さっきのお婆さまにしても、何ていうか……口伝の語り部って感じじゃなかったわね。それこそうちの部室みたいな所で、イモリやヒキガエルの鍋でもカキまわしてる方がお似合いな感じかしら」
「それは失礼ですって!」
いや、確かにそうだけど。若いころは美女だったんだろうなぁっていう雰囲気で、和服より洋服の似合いそうな顔立ちのお婆さんだった。それをいうなら裕二さんも、美佐さんにしてもだけど。いわゆる「バタくさい顔立ち」の人ばかりなのだろうか、ここは。
まあ、我々にしても部長は西洋人形の如き美少女だし、カレンさんに花子さんはガイジンだしで、人のことをどうこういえた義理もないものの。
「ともあれ、先程の話は聞かなかったことにしましょうそうしましょう。さ、推理続行よ!」
「いや、無理だってちさちゃん」
「無理よねぇ」
「無理無理」
「す……スミマセン……」
いや、もう、ホント。
ダメだなぁ、我ながら……。
とはいえ、私の先ほどの失言は二重の意味でダメだったと思うけど。考えようによっては、事前に情報を知ってしまった私やちさとさんと、宝堂姉妹やカレンさんも、これで同じスタートラインに立てたわけだけど。
……でも、どうも犯人に関しては、当初の考え方を改める必要も出てきたかも。
「あ、そうか。さっき巴がいってた『抜け出すのは簡単』って認識、ようは犯人が従業員で、その視点で見てたから、ってコトか。なるほど」
「カレンは気付くのがワンテンポ遅いわ。ともかく、犯人が最初からわかっちゃったとはいえ、まだ解けてない部分もあるんだから、そこを埋めて行きましょうそうしましょう!」
「うぅ~ん……」
「あの、部長。やっぱりこれって……どう考えても『入れ替わりトリック』で、全部解けちゃうんじゃないかって」
大子さんが、すまなそうに手を挙げる。
うん。
「そ、それはそうかもしれないけどっ!」
まあ、部長だってそのくらいは十分、わかってますよね、やっぱり。
「じゃあ、犯人は何故そんなことを? っていう方向かしらね、次に必要なのは」
そこは、今更もう、考えなくても良いんじゃないかなぁ、って……。
ともあれ、過去にどれだけ凄惨な事件があったとしても、この村にはもう、部長の期待に添えるようなものは何もないと思う。
一つだけ、ここから一望できるこの村に「違和感」を感じる所もあるけど、それは部長の目的のほぼ逆向きの感想なので、口にはしないでいた。
ただ、宝堂姉妹だけは私と同じことを思ったのか、少し不思議そうな顔で左右対称に首を曲げている。
「う~。狂えるドイツ人の話までは良かったんだけどなァ。なんでこーなっちゃうのかしら」
そんな失礼なことを部長がつぶやきながらの、眼下の景色。やけに立派な日本家屋が見えた。
周囲を塀で囲い、大きな木の門があり、庭には白壁黒板の蔵も、等間隔で三つほど。
あれが八幡家と思って間違いはなさそう。
本棟の方は赤味のある瓦屋根で、日本家屋にしては少し珍しい左右対称構造になっていて、火の見櫓のような塔が両端にある。
杉峰楼に負けない立派な旧家なのだろうけど、ここから見る限り庭にガーデニングがあったり、家屋の一部は洋館風になっていたりと、少々統一性がない感じもする。建て増し建て替えを行ったせいだろうか。
とりあえず、母屋は一度、半焼しているそうだから、そういった改修があるのは当然のことかもしれない。
「ホラちさちゃん、あるじゃない、ちゃーんといわくありそうな家」
いやカレンさん、それ失礼ですって!
拍子抜けしてヘソを曲げている部長は、頬を膨らませたままでいる。
「母屋だけじゃないわ。全体的に明治以降、いえ、どうみても昭和に建て替えたか建て増したかした家じゃない。つまらないわ」
「他人様の家を上から眺めて開口一番『つまらない』ってどうよ、この人」
「ひどいですよねぇ……」
「だって、そうでしょう? 館物トリックだってあんなじゃ、とてもじゃないけど出来なさそうじゃない! 遮蔽物が少なすぎるのよ!」
そうやって、無理にミステリーに持って行かなくても……。
「しかし、幾ら火事があったからって、火の見櫓なんか家に建ててどうすんのかな。しかも二個。頭わるそうだな設計者」
「だからカレンさん、失礼ですって。あと、たぶんあれ温泉の給水塔だと思います」
おそらく外装を和風にするために、木板で櫓状にしているのだろう。
「頭おかしいのは事実じゃないの。田舎住まいで小金持ちな方は、どこかしらおかしなコトやっちゃう物ですから、そこは当然かも知れませんけど。まだ庭に金閣寺を建てたり、母屋を大阪城にしなかっただけマシね」
「ラブホテルやパチンコ屋じゃないんですから」
「でも田舎じゃ案外そんなの珍しくないよね。まあ、あの家もこうして見る限り、何かトチ狂ったことやらかしてるかもしれないし」
「だから、私が望んでるのはそーゆー笑いを誘うような田舎じゃありませんのよ!」
私はどっちも勘弁ですってば。
「それで、犯行現場はこの近くかしら」
古くから由来のある「毘沙門天の重塔」へと、私たちは足を進める。
お堂……というか塔を眺めながら、私は宝堂姉妹と供に、小首をかしげる。資料だと塔なのか堂なのかハッキリしてなくて、こうして実際に来てみると、お婆さんは「堂」っておっしゃってましたけども、やっぱり「塔」だものなぁ、これ。
……あ。「とう」と「どう」が同じなのかな。リヒデルさんじゃなくて実際はリヒテル。力輝さんって方もリキデルって呼んでたし。家光公もいえみづっておっしゃってたから、ここの方言なのか。
吉備方面の方言とは違う気もするけど。
それに……。
う~ん……。何だろう、この独自性。




