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聖学少女探偵舎 ~Web Novel Edition~  作者: 永河 光
第三部・名探偵、参上! MURDER BY DEATH
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第二十五話『私の中の暗黒は』(後編・その4)


 我が姉ながら、煌子という女は、普通ではない。倫理感はぶっ壊れてるし、悪い事なら何だって躊躇なくやれるし、他虐被虐も関係なしの嗜虐性に溢れてて、誰かが自殺したとか事件に巻き込まれて殺されたとかの話も、へらへら笑いながらするだけならまだしも、実際それで誰かを陥れようとすらしてる。恨みや利害があるでなし、攻撃性や敵意を向けるでもなしに、ただ「面白そうだから」って理由だけで。

 私だって何度も殺されかけた。今、こうして生きていられるのは、あいつが私を殺し切れないほどのヒョロヒョロの虚弱児だったのと、天のサイコロ運で「たまたま運良く死に至らなかっただけ」でしかない。

 あいつはやはり、態度にせよ思考にせよ、精神に何らかの異常をきたしているのかも知れない。――いや、そこはお互い様か。

 しかし、異常だからといって頭が悪いわけではない。何故、頭の悪いフリを続けているのか? 何かから回避する為の術なのだろう。

 心当たりはある。自分の両親もまた、ろくでもないからだ。茲子が物心つく頃には、両親とも滅多に家にいないし、滅多に顔を会わさなくなっていた。そうなる迄の『過程』ではどういった有様だったのか。想像に難くない。


「教師という立場から、僕はそう立ち入った事はできません。しかし……」

「気にしないで。大丈夫」


 そう、気にされては逆に辛い。

 ようは児童虐待を当然としているような親で、そして、そんな家庭なんてどこにでもある、と思う。

 死ぬか殺すかしない限り、そんな物は事件にならない。事件にならないだけで何万、何十万、いや何百万とそんな家庭は日本中にある。


 普通に考えても育児放棄(ネグレクト)の状態だけど、それでもまだマシだ。自分はこうして生きている。パチンコ屋の駐車場の車の中で蒸し焼きにされて死んで行く子供たちより幾分かはマシだ──そう茲子は考える。

 一歩間違えばどこかで自分は死んでいただろう。それでも、結果論だけどこうして生きている。ある程度経てば、危機を察知して回避する知恵もついてくる。


 目に見えてわかる(あざ)をつけて煌子や茲子が登校した時には、家族に教師が注意しに来た事がある。その結果、より一層親に殴られた。「恥をかかせるな」「世間体が悪い」という理由で。理不尽だが『家庭』と呼ばれる最小のコミュニティの中では当然の事で、理不尽な暴力は常に水か空気のようにそこにある。

 吉里は、そんな茲子の家庭環境の事も知っている。


 ──先生には私を救えない。それは判っている。無理はいわない。願わない。


 それでも、吉里や祈と一緒にいる時は幾分かは楽しい。

 風邪の根絶治療法はなくても、セキどめや解熱剤はあるように、緩和はできる。ノドの痛みを和らげるトローチでも、必要な物は必要で、それ以上の事は期待していない。醒めた考えではあっても、茲子の認識する『現実』とはそんな物。


「僕には彼女を救う事はできなかった。責任の何割かは僕にある」

「それは無理。できっこないし、そもそも人が人を救えるだなんて思うほうがどうかしてる。あいつの事は全部あいつ自身のせいだと思う」

「それもまた責任の回避ですよ。選ぶ術が与えられない者もいる。僕の把握する限りで、彼女は幾度か不幸な出来事に見舞われている。複数の生徒に私刑(リンチ)を受けた事もあって、」

「はっきり集団レイプとかいって問題ないわよ。そして私にも当然そのとばっちりは来てるわ。異物や汚物を口にねじ込まれた事もあるし、アバラにヒビが入るまで何時間も蹴られ続けた事もある。そうする事で今度は親からまた、同じような事をされるんだから、いい加減あいつも学習したと思う」


 吉里は困ったような顔のまま、黙る。無理もない。

 普通の価値観で、普通の人生観で、それなりの善性やほどほどの幸福の中にある者なら、どうやったって茲子の環境の話は『引く』だろう。

 とりわけ、それで悲劇のヒロインを気取るつもりも、同情を買うつもりも茲子にはない。むしろ願い下げだ。

 できれば何事もないように、すまし顔で、気取って生きていたい。プライドが高いというより意地っ張りなのだと、自分でも理解している。

 些細な暴力ごときで屈しない。十把一絡げの、()()()()()下らない逆境ごときに折れやしない。私はそんな事では砕けない。砕けてたまるものか、そう考えて生きている。

 今は耐えるしかない。やがて、それは、どうにかなる事。やがて、過ぎてゆく事。


 ただ問題なのは、この徹底的に退屈で、にっちもさっちもいかない現状を、どう押し潰されずに生きて行くか。

 瞬間的には笑えもする。談笑もできる。吉里や祈には好意を持って接している。親しい者もいるのだから、まったく恵まれていないわけでもない。


 でも、彼等がいない時は?


 私はスイッチの切れた状態じゃないか?

 むしろ、逆か。絶望に近い闇の中に、無表情なまま、感情を殺して横たわっている。

 吉里や祈がいるほんの数時間だけ、その瞬間だけ、偽りの笑顔を作ってピョコンと起き上がる。

 嘘だけで固め、嘘だけで動く動力人形。そんな状態の自分に失笑もする。


「先生は、私も救う事はできない。それは私が保証する。でもね、救われる事もあるんだから。受動と能動の差かな」

「いやな保証ですね。でも、僕は──」


 いわないで、それ以上。そう茲子は心の中で祈る。


「辛いとか哀しいとか、そんな事、私は思わない。涙だって流さない。イヤな子だからね、私は。でも、本当に辛かったり哀しかったりする時に、先生は傍にいてくれるよね」


 ぽんっと、吉里は手を茲子の頭に乗せる。少し照れる。


「私が幼児だから良いようなものの、そうでなければ淫行同然よね、過剰なスキンシップなんて。ねえ、私が中学生くらいになって、先生と寝たいっていったら、そんな時はどうする?」


 意地悪な笑みを浮かべて訊きかえす。

 どうしても、ひねくれた反応で返さざるをえない。


「どうもしませんよ。それに、その頃には君には君に相応しい男性だって現れます」

「何だか結果が見えててつまらないのよね。ユッキ君以外に現状、選択の余地、ないじゃない。今」


 ふっと思い出す。何人目かの殺人鬼の犠牲者が出た夜。


 あの夜、茲子は吉里の家にいた。


 夜中まで深夜営業の本屋(半分以上がエロ本の)とコンビニとを往復しながら繁華街をウロウロしていた茲子を、偶々ばったりと、買い物袋を抱えた吉里が呼び止めた。

 茲子が夜中までうろうろしているのは珍しい事ではない。

 こんな時間にこんな場所で買い物をしていた吉里の方がむしろ珍しいのかもしれない。南区から中区まで、車で来ていたようだ。どなたかの月命日用にイタリア製のワインを、夜間しか営業していない外国人経営のバーにまで買いに来た、というお洒落な理由には、むしろ世界観人生観の違い過ぎに茲子も少しクラクラ来る。

 大人が子供を叱るというより、心配の方が多めの雑談を吉里は交わす。決して頭ごなしの説教ではないあたり、吉里もよくわかっているし、それが茲子には嬉しい。

 家に帰りたくない茲子の気持ちは吉里にもわかる。

 とはいえ、目にとまってしまったからには「はい、そうですか」では帰せない。

 家まで送る、という言葉を茲子が拒否したため、何よりその夜は家は無人、電話を入れても応答者もなし。子供一人を無人の自宅に帰す方がむしろ不安にも思えたのだろう。結局その晩は吉里の家まで行く運びとなった。





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