第二十五話『私の中の暗黒は』(前編・その5)
黒地のセーラーも、そう珍しいものでなし、市内にも近隣に二つほどそういった学校はある。ただ、真っ黒ではなく濃い紺色や、濃い灰色、……といった色味。夜道なら黒にも見えるだろう。
──夜道なら。
あの夜、自分が目撃した『真っ黒なセーラー服の女の子』はどうだったのだろう?
何故、それが真っ黒に見えた?
瞬時、茲子は気がついた。
フラッシュバックのように『映像』が再現される。細部に。遠目――ディティールはわからない。色彩――闇夜、黒――。
白いスカーフも、白いラインも見えなかった。だから『真っ黒』と感じた。
ラインもないのにセーラー? 襟の三角の風防が目にとまったから? いや、違う。
夜の闇に溶け込んでいて、色を認識できなかったから。溶け込む色?
──赤だ。
瞬時に、今の煌子の話の制服がどんな物かを脳内に展開できた。
しかし、茲子はそれを顔には出さない。まだ今は、それは妙な偶然という話。
「その子ってさァ……ン~、ヘンなんよね。なんか……以前に自殺したコの事を聞いて回ってるよーなんよ。小学ン頃の親友だったんだってさァ、しんねーよ、ンなのさァ。でも……」
──自殺ねぇ……ああ、あったかな、そんな事件。煌子の通う学校でも、去年。
その事件を契機に、茲子の身にも一つ小さな変化はもたらされたが、それは今の話とはこれといって関係ないし、煌子の前で口にするどころか、顔に出す意味すら無い。能面のような表情のまま、茲子は感情を殺す。
「何がヘンなのか、がそれだけじゃわからないね。旧友の死に納得できなくて、その子の死の真相を知りたい……泣ける話だし、わからなくもないけど」
「だよなァ、それだけだったら」
ニヤニヤと煌子は笑う。
「それだけじゃないんだ?」
「うん、そーそー。何故かさぁ……殺人鬼? そう、殺人鬼の事を……その子って聞いてまわったり、調べてたりしてるんヨ。自殺事件だけでなくさぁ。おっかしーでしょー?」
繋がった。
……かといって、柴田の姪のケースと重なりすぎるものの、まさか同一人物でもないだろう。
不気味な符号。妙な偶然というには出来すぎだ。この想定はまだ、早すぎる。
もちろん、茲子は今の気付きも顔に出さない。
次に、「妙」に思えた点。複数の事件を探る。女子学生が? 何故? 常識的に考えては異常な話だ。常識的に考えなければ?
たとえば、その女学生自身が『非常識な存在』であれば?
そう、例えば私みたいに――。
少し考えて、茲子も意見を挟む。
「ついで、ってのはどう?」
「ついで?」
「知らないタイプの制服ってことは、電車かバスで出ないといけないような場所の学校かな」
「だろーね。うん、そーだ、その自殺したコと離れ離れになってたってコトは……薫ってコが遠くの学校にいったか、自殺したコが引っ越してこっちに来たか、あるいはその両方……か」
煌子もまた、トロいようで頭は回る。阿吽の呼吸で茲子の口にする話も理解する。それは少し、茲子にとっては不快な事でもあり、同時にありがたい事でもある。
煌子には不理解からくる無駄な衝突は殆どない。逆に、母親は殆どといって良いぐらい言葉がまともに通じない。
煌子と似てる部分があるのは茲子にはどうにも不快でも、しかしそれは認めなければならない点だった。
「だから、せっかくH市内に来たんなら、殺人鬼の事件も調べたいってコトなんじゃないの?」
「友人の死を調べたい、ってだけじゃーないんだー?」
「そんなさ、中学生が。何かの事件を独力で調べるなんてコト、ふつーだったらないよ。ふつーでないような事をやってるなら、ふつーでない『趣味』の産物、かな」
「ふむ。ああ、なるほどね。探偵ゴッコか。あっはは、くっだらねー」
ケタケタと煌子は笑う。
「つーか、そーゆーゴッコなら、あーしのほーがよーっぽど、上手いことイケてるっつぅの」
「そう?」
「こないだ殺された坂上のオヤジってさぁ、あいつ中坊買うようなろくでもないクソハゲなんよ。ミーコとかアイツ常連客だったっつーから、ちょう笑った。『知ってる』っつーのは強いンよ。『調べる』なんかより、よーっぽど、ネ。あーもしかすっと、あーしもヤった事あっかもしんない。憶えてねーわ、いちいちアハハ」
茲子にとっては不快な笑い声を煌子があげる。そんな笑い声を聞きながら、煌子のような生き方はしたくないし、できないだろう、茲子は常にそう思う。
『心の闇』なんてくだらない言葉が未成年の犯罪事件の度によく報道される。
闇なんて、そんなものは誰だって持っているじゃないか。ようは、それをどこまで表に出さないでいられるか、だ。
煌子は常に、どす黒い闇の奥に居る。闇と共にいる。闇を安心毛布のように身にまとって、偽悪的に生き、悪い事なら何でもやっている。
──お前がいると安心する。私はお前をいつでも殺せるから。そう思うだけで幾分か生きてるのってラクになれるよ。
以前、煌子がそんな事を口にして、茲子はゾッとした。それは脅しでも何でもない事実で、ある意味、その言葉は正しいし、自分にも『理解できる』事に、またゾッとした。
自分は、ああはなりたくない。煌子と対峙する時、茲子は常にそう思う。
「何か探るか調べるならね、もーちょい黒い理由ないとね、何やったって無理じゃん」
「黒い? 復讐とか?」
「殺意とかー、あるっしょ、お前にもさ」
「否定はしないけど」
「闇なんて、どっこにでもあんだよ。誰にでもさ」
まただ。自分と似たような考えを煌子が出す度に、茲子は不快になる。しかし、その不快さも顔には出さない。
「闇なんてな、お手軽に持ち運べるモンさアハハッハ。んで、問題は、その子がさぁ、どーゆーつもりかってー点よねェ。その二つの事件繋げんなら、何かもっと、ドッス黒いモンもってなきゃさ。探偵ごっこで何か解決できるわきゃねえんだし。だから『ついで』ってコトはないね、ウン。つまりお前は間違ってるんだ」
探偵──ああ、そうか。
繋がった。
フラシュが頭の中でパシャリと焚かれるように、この前に探索した教会のワンシーンが思い起こされる。
くたびれた中年男の探偵。
その探偵に、『友人の自殺の真相を調べてくれ』と懇願する女子学生の姪。
そして、もしかすると『殺人鬼』かもしれない、全身真っ黒の男と並んで立っていた、真っ黒いセーラー服の女の子、二人が持っていたのは──
生首。
『その女学生の親友を、死に追いやった男』の生首。
見間違いかもしれない。幻覚かもしれない。確信がない。
それにしては、話が奇妙に『繋がる』。ぞくりと茲子の背筋に何かが走った。
その感情変化を、煌子には読み取られないよう注意した。
煌子のように、目にみえてわかるようには笑わない。感情の変化は出さない。
無表情のまま、夕景へと変わる曇った窓の外の光を眺めながら、茲子は静かに、心の中で微笑んだ。
──なるほど、これは、面白い。
(後編につづく)




