第二十五話『私の中の暗黒は』(前編・その4)
この現代社会において、この殺人鬼は、あまりにも特異な存在となっていた。
匿名が当たり前のネットの中、旧来的なモラルなんて物は、とっくに壊れている。被害者や遺族のプライバシー? そんな物はどこにもない。
警察の力でも抑え切れない。
殺人鬼は、嫌悪と憎悪と嘲笑の対象であると同時に、少なからずの一般大衆にとっては羨望と興奮と栄誉の『ヒーロー』でもある。
そんな現状そのものが、不気味で、不快に茲子は思えた。
この殺人鬼の目的は何だろうか。何故、こんな事を続けているのだろうか。
殺人鬼は、何の証拠も残さない。
現場に残っているのは『体液』ぐらいで、他の遺留物が残されているという記事を見かけた事はない。
被害者は常に、これ以上ないぐらいにメチャクチャに『破壊』されている。
そして──周期殺人。毎月、満月の夜に、被害者は殺されている。
まるで、オカルトだ。
この殺人鬼の事を考えると、茲子も背筋がゾクリとする。
身の毛がよだつ。
『怖い』じゃない。『グロテスク』だ。
こんな人間が(人間、だよね?)存在して良いものだろうか。まだ狼男とか吸血鬼と考える方が納得いく。
そして、確実に、その怪物は自分の生活圏に居る。
この犯罪に、野次馬的な興味を持っている者なら何万人、何十万人、いや何百万人となく存在する。自分もまた、その一人なのだろうか──? そんな事も考える。
しかし、やっぱりこの事件の事は、茲子の心をとらえて離さない。
嫌悪感を抱きながらも、うんざりしながらも、不気味で不快で呆れながらも、何故、ここまで惹かれるのだろうか……?
やはり、そこに『謎』があるから?
解けない謎。理不尽で、不可解で、誰にも解けない『謎』。
謎は、知的好奇心を刺激される。
なら、その謎を解いてみたい?
パズルのように?
それもイイかも知れない。
この世界に、この人生に、あまりにも自分は退屈し過ぎている──茲子はそう、感じる。
教科書なんて読むだけ無駄で、授業なんて受けるだけ無駄で、学校なんて通うだけ無駄で、常用漢字もそれ以外も単語も文法も全てはもう頭の中に入っている。
方程式だって化学式だって、興味のあった事は全て本を読んで覚えた。今更なにをしろって?
日本という国は『国民は皆、平等であるべき』という御為ごかしで成立している。敗戦以降はそうなっている。飛び級もないし、飛びぬけた頭脳を持っているからといって、海外で時折報道される天才児のように、子供がいきなり大学に通うなんて事もない。
それは、自分にとって幸運なのか不幸なのかは茲子にとってもわからない。
ただ、退屈で、日々を嫌悪して、世を呪うように生きている。
この世界は子供ひとりの力では何もできないし、何も許されてはいない。
赤いランドセルを背負って、ただひたすら、時間を無駄に潰すために義務教育に通う。
最悪な日常だ。
でも、今は、少しだけそれは救われている。
学校には、自分ほどではなくてもやっぱり天才的な頭脳の少年が一人いて、理解者……とまではいわなくても、話をちゃんと聞いてくれる、知的な教師が一人いる。
彼らと話をするのは楽しい。
だから、退屈な授業も終わるまで我慢できる。
彼らと放課後に話す『部活』は楽しい。
だから、こうして家に帰るのは気が重い。
ましてや、今や目の前にこいつ──実の姉、そして『敵』である煌子がいる。
「ま、わからなくもないワ。あーしだってさァ、きょーみあるモン。どっかで懸賞金とかも出てたっけかなァ」
賞金につられるタマでもないだろうに、と思いながらも、茲子もまた、興味は隠せない。
「これだけ犯行がつまびらかに開陳されてて、ハデで、しかも定期的ってなるとね。逆にいうなら、これで何の証拠も残さず、捕まってない事実の方がヘンだよ」
「何万人となく犯人像の推理とかしてンだけどね、なーんもわかりゃしない。なーもわかっちゃいないんだよ、ドイツもコイツもさ、かははっ」
じゃあ、アンタはわかるのかい? なんて、無駄な茶々も入れない。殴られるのがオチだ。
「たださァ、探るって行為を、本腰いれてやろうとしてるヤツが、ケーサツとかブンヤなら、まーわからなくもないンよ。ガキがさ、女の子が。ンな事やってどーなると思う? 何かわかると思う?」
「それは私への皮肉かな」
「何でも自分のコトって思うなっつーの」
ヒャハハと笑いながら、煌子はくしゃくしゃに丸めた煙草の空き箱を茲子の頭に投げつける。
ケガをしない物でよかった、と少しホっとしながら、茲子は無表情のままだった。
煙草の火を押し付けられるよりよっぽどマシだ。
「今日ね、面白い女に会ったんよ。会ったっつーか、再会? はは。まーどーだってイイけどさ、そこはサ」
「……面白いって?」
「何つったっけ……聖ナントカ女学園? 聞いたコトない学校の子でー、なんつーの、尼さんみたいな真っ黒セーラー、スカーフとかラインとかは真っ赤でさぁ、今どきヒザまで隠れてるよな長いスカートで。あーしよりイッコ下だったかなァ。名前はァ、弓塚……薫、だったかナ? そーゆってた」
「……ふぅん」
これといって、茲子にはそんな話に興味もない。あいづちを打つ義理もない。ましてや、煌子は話したくて話しかけているわけでもない。
壁うちテニスのように、話を投げている『だけ』だ。茲子の意見が聞きたいのでなく、自分の中の考えをまとめるために『返事をする相手』にコトバをぶつけている。
これは、茲子と煌子の間ではよくある事だった。
「ソイツさあぁ……何かかぎ回ってンだよね、このへんの中坊ン事さァ。んで、ソレって何でだと思う?」
「さー」
興味もない、どうでもいい。ただ一点だけ、茲子が気になったのは『真っ黒いセーラー服』の事。




