第二十五話『私の中の暗黒は』(前編・その2)
爰菰茲子は小学四年生の女の子で、小学四年生の女の子とは思えない程の『飛びぬけた頭脳』を持っていた。
計測上ではIQは二〇〇を超える(これは彼女が受けたテストでの限界値で、近年の一般的な測定では天井はだいたい一六〇辺りではある)。
ある種の才能や知能は、むしろ生きる上では『害』になる事を、この歳で少女は既に、イヤというほど理解していた。
物心がついたのがいつだったかはわからない。三、四歳の頃には既に憂鬱な表情で歩いていた。
知識も、思考も、ある線を超えれば人は皆、厭世的な哲学にしか突入しない。そしてそれもありきたりで下らないことだと理解もしている。
『生より死が望ましい』――は、プラトンの結論だったっけ。そんな事を思い出す。
宇宙とはそもそも無で、闇で、絶対零度で、『有』も『光』も『熱』も、イレギュラーな要素である事をこの年齢で少女は理解していた。
やがて『無』へと帰す迄の、かりそめの明滅が生命であるなら、『生』の意味とは何であるのか?
それを問えば、どうやっても絶望にしか行き着かない。人生に目標や希望でもあるならまだ話は違うのだろう。しかし、今の自分にそんな物などまだ何も無い事を茲子は自覚している。
無表情なまま、茲子は自虐的に嗤う。
──赤いランドセルを背負った、まるでお人形さんのように可愛らしい顔をした、まだ年齢一ケタの小さな女の子が。
この世の全てに絶望し、この世の全てに退屈し、この世の全てを呪い、憎悪し、生きているなんて事を、考えた事ある?
誰もそんな事を思いはしないだろう。
ありえない程に茲子は可憐な外見で、ありえない程に茲子は卓越した頭脳の持ち主で、それでいてありふれた不幸やありがちな逆境の中を彼女は生きている。
天が無駄に与えた容姿や頭脳は、どうにもならないほどの『現実』の中で、ただ埋没してゆく。何にせよ、人は生まれる環境を選べはしないのだ、と。
何だっていい。面白い事が起きればいいのに、この世はとことん退屈で、どうにもならないほど下らなくて、そして自分は何もできない、何も許されてもいない幼児で、あらゆる点で恵まれていない状況下の中に居る。そこから抜け出す事もできない。
茲子の家庭環境は、決して良好とはいえない。
現場監督らしい父親は家に滅多にいない上に、たまに家に帰れば家族に暴力を振るう。
母親は昼夜とパートに出ていて、やっぱり滅多に顔を合わせない。金に困っているというより、主婦という位置に収まりたくない性分なのだろう。
姉は中学三年で、その性質は相当に『悪質』な物だった。
学校が終わり、憂鬱な気持ちでアパートに戻る。
築四十年は余裕で超えているボロボロのビル。高騰した地価の、H市内中心部にありながら格安の物件は、湿ったコンクリートの陰鬱さでそこかしこにヒビが入っている。
悪臭のするエレベーターはいつ事故るかわからない不気味な音を立て、足で階段を登るほうがよっぽど速い遅さで、なるべく利用したくない。
薄っぺらな鍵を差し込み、ドアを回す。
メントールの煙草の煙と香炉の煙で、茲子は顔をしかめた。
「……んふふ……茲子ちゃぁーん、オカエリぃー」
バカにするような猫なで声が響いた。
「……いたの」
「じぶん家だもん、居ちゃわるいぃー?」
クククっと笑い声。
悪いとは思わない、しかし滅多に家にもいない相手がそこにいた。顔を見るのは一週間ぶりだ。
姉の煌子は、外見も茲子にやや似ている。ガリガリにやせて、腰まで伸ばした長い茶髪に、どこかの国の街頭の娼婦のようなスタイルに改造した制服。
茲子は『お人形さんのように可愛い』とよく見知らぬ相手から形容され、それは本人には不快でもあったが、煌子には茲子のような可憐さはない。似たような外観でありながら、陰気な雰囲気を常にまとっている。
黄色いスマイルマークを描いた白い眼帯で、電気もつけずに闇の中、紫煙の中でクスクスと煌子は笑っていた。
「ナニその目。ものもらい?」
「ア・ザ・か・く・し」
……また学校でイジメでも受けたのだろうか。それを思うと茲子も憂鬱になる。
煌子が絆創膏や包帯を体のどこかに身につけているのは珍しい事でもない。他ならぬ茲子も同じだった。
眼帯だって数ヶ月前にもつけていて、その時はドクロのマークを描いていて失笑した。
早い話が、こいつはイジメられっ子。――いや、現在もそうかはわからない。少なくとも小学校まではそれで間違いなかったし、中学になってからもアザや怪我を受けて帰って来る事は度々ある。
喧嘩っぱやい方ではない。むしろ、自分からはしない方。煌子は、他人の前ではあまり喋らない。引っ込み思案で、常にオドオドしている。対外的には。
それでも中学に入ってからは、露骨なイジメの話はほぼ聞かない。さすがに世渡りの術でも学習したか、何らかの自己改革でもあったか――明確に変容を遂げているのは茲子の目から見てもわかる。
小学まではただ愚鈍な姉だった。今は――まるで何を考えているかわからない。変化はおそらく、「子供」から「女」になった事にあるのだろう。中学なんて法的にも世間的にも子供扱いだが、実際には肉体的にも「女」だし、好色の視線を投げかけたり金を払う大人だって出て来る。その時点で煌子は「武器」を手に入れ、自信に繋がったのだろう――茲子はそう判断する。
その後は悪い友達に誘われるままに、ろくでもないグループに入って、その庇護の下でおそらくは「援助」なり「支援」なり「パパ活」なりの、その時折のくそくだらない言葉に言い換えた売春行為などもやっているのだろう。
それでも、時々奇声をあげたり、すすり泣いている姿も見た事がある。
茲子の理解している限りで、幾度か煌子は集団暴行も受けている。
茲子と違い、立ち回りで要領の悪い所が多く、同時に反面教師的に煌子の姿を見てきた事で茲子は様々な事柄から回避もできた。
憐れむ気持ちもないでもない。でも、こんな風にもなりたくない、との思いは茲子にもある。
そして、煌子は家庭の中では──正確には、茲子に対しては、横柄で乱暴な行動も取れる。
中三と小四では圧倒的な体格の差がある。何をやってもかなわない。
どこかで酷い目に遭えば、そのとばっちりの八つ当たりが自分にも来る事が理解できる。たまったものではない。
「あぁさぁ、茲子ちゃーん。こないだ──あんた、殺人鬼の現場とか調べってたっしょー?」
「……」
返事はしない。それ以前に、『何故、知っている?』の方が茲子には疑問だった。




