第二十三話『a girl smiles vacantly』(後編・その4)
「暗号名ねぇ……それって、窃盗団の仲間なんじゃ?」
「それはちょっと、話がマンガじみてるわよ」
「でも、現実問題でこんな売りさばくルートの困難な美術品泥棒だなんて、そんな前提で考えないと難しいよね。現金や貴金属ならまだわかるんだけどさー」
「つまり、現状を整理するとこうね。まずこれは計画的な『盗難事件』、そして犯行は恐らく組織的な、最低でも二名以上のグループで、共犯として関わっているのはあの瑠美って子で、彼女は他人になりすまし変装して潜伏、事件と同時に姿を消した。実行犯の特定はおろか、外に彼女が立ち去ったのを確認した者も誰もいない。同様に、どのようにして『盗まれたか』も不明。どちらも、忽然と消えてしまったって事ね」
少し考え込み、部長は私に向き直る。
「ふむ。……なぁかなか面白い話になってきたじゃない? さァて、巴さん。あなたはこの事件をどのようにお考えかしら?」
さっきまであんなに不満そうだった部長が、嬉しそうに私に問う。
まあ、探偵を自認するちさとさんの目の前でこんな怪事件じゃ、嬉しいのも無理はないだろう。
「いきなり私ですか」
「いきなり全部解決しないでよ」
「いやさすがに無理です、それは」
うう~ん……これは……。
「えっと。私にとって、アヤシイと思える人物は二人います」
「一人は瑠美さんね。で、もう一人は?」
「部長」
「うわッ! わ、私ィっ!?」
「あ、その手があったか」
ポンっと花子さんも手を叩く。
「ちょ、ちょっ、ちょっとお待ちなさいって! なんで私が?」
「絵画がどのように展示されていたかも、誰が招かれていたかも、事前に知る事のできる立場にいたのは部長です。そして、さっきの芝居じみた立ち居振る舞い、それは私にとっては『いつもの事』ですが……、あの、私を呼んだ理由は何でしょうか?」
「……私が仕組んで、自作自演で解決しようって考え?」
「いいえ、そうは思いません。部長はズルい事も平気で出来る人ですが、そこまで卑怯な事はしないと思う」
すごく複雑な表情で部長は私を睨んでいた。
「巴ちゃんも随分というようになったわねえ」
花子さんだけ楽しそうだ。
「……私が、何故あなたを呼んだのか、巴さんにはわからないのね?」
「ええ。事前に事件を察知していたのかも、とも考えましたけど……共犯でないなら、例えば、信憑性の薄い予告状が来ていたとか……いや、それなら先に相談するかなぁ」
「呆れるわね。何か下心が無いと、私はあなたを招かないって思うわけ?」
「だって、普通の女の子の私がこんなパーティーに招かれるいわれは無いですし」
「あなたが普通なわけは無いでしょう? それにね……可愛い後輩のあなたを私が招くのに、どうして疑問を抱くの!?」
「ええっと……」
さすがに答えようが無い。
「……たまには先輩らしい事、させてくれても良いじゃないの。私はね、あなたの事が、とっても可愛いの。理由はそれだけよ!」
高圧的な言葉で睨みながら、それでも、部長は少し頬を赤らめてそういった。
そんな事をいわれたら、私の方こそ照れてしまう。
「……すみません」
「わっ、珍しい! ちさとがデレた!」
「黙らっしゃい!」
いやまあ、私も珍しいって思うっていうか、恥ずかしいって気分ですけども。
「いいわ。探偵は、疑いたくないような相手でも疑わなくちゃならないの。あなたの姿勢は正しいわ。それで、私を疑う理由、他にもあるわよね?」
「……ええ。それはおそらく、絵画の消失トリックに関わる事です」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 幾ら安楽椅子探偵とはいえ、現場や展示の状態を見てもいないのに、わかるの!?」
花子さんともども、部長は目を見開いた。
「トリックの詳細まではわかりません。でも、警備員の監視がついている物を、一瞬の隙をついて盗み出すには『仕掛け』が必要です。そしてそれを仕込める立場にあるのも、やはり部長しか居ないんです」
「仕掛け? 仕込み? 一体何が……?」
「例えば、あからさまに異質な、潜りこんで来た招待客の一件にしてもそうですけど――」
「いやちょっと待って。瑠美さんは別に私が招いた人じゃないわ」
「間接的には部長の存在で招かれたような物です」
「いや、それはちょっといいがかり!」
それもそうだけど。
「いずれにせよ、部長か部長のお父さんじゃないと出来ないって点では同じ事だとして、あと、献立にしても……」
「え?」
「今日の料理……あきらかにおかしいじゃないですか。貴族社会が生み出した料理に回顧するグランド・キュイジーヌに対抗して、七〇年代のヌーヴェル・キュイジーヌはフレンチの革命です。技法、素材に拘らず、和の懐石等を先鋭的に取り込む事で新たなフランス料理を編み出し、発達して来ました。そして九〇年代からのガストロ=アノミー、十六世紀の美味学への皮肉も込めた食の無秩序化に対する、思想、思考、主に社会学や哲学の一環として、フランスでは食が語られています」
「え、あ、ええっとその……」
「そして昨今のフレンチの潮流……デギュスタション、小皿に幾つもの種類を盛り、あらゆる手法、食材で全く新たな料理を作り出す物、それが今回の料理だと思います。でも、やっぱりそこには『フレンチとしてのルール違反』はありますよ」
「……待って。そうよ、そういえば!」
部長も、ハッと何かに気付いた顔をする。
「な、なによ!? ルール違反? ルールあるの? っていうか、あの料理ってフレンチじゃないって事?」
「呆れたわ花子。あなたフランス人なのにわからないの!? そうよ、アレって……『中華』じゃない?」
「です。素材にフレンチの物を使っていても、メニューは殆ど『技法が中華』でした。デギュスタションは食器に中華レンゲや注射器まで使って、料理を完全にマテリアル化した無秩序なフレンチですが、フレンチには『フレンチの技法』という最低限のルールがあります。これは、全く逆向きな……むしろヌーヴェル・チャイニーズですね。だから、あんな大道芸のような、煮えたぎった香味油を注いでお客の目の前で仕上げる『中華の技法』に、献立からして誰も違和感を感じていなかった」
「ああっ、注ぎ揚げね!」
あの時のパチパチと鳴った油音と歓声。それが今回最大の『仕込み』だ。
「つまり、派手な音と香りとパフォーマンスで人目を引くあの料理人とメニューを『仕込む』事ができた立場の人、となると……部長か、部長のお父さんだけです」
「……なるほど」
その一瞬の隙をついて、絵画は奪われるかすり替えられるかしたのだろう。人が集まって歓声をあげれば、警備員だってその方向を向く。
「つまり……じゃあ、こういう事なのね」
不敵にニンマリ笑いながら、部長は仁王立ちになる。




