第二十三話『a girl smiles vacantly』(前編・その2)
「お父様が幹事を引き受けちゃってね。ミシェールにも近いし、久々に私に会いたいって事で渡りに船みたい。卒業式にも出るから暫くこっちに滞在するって。あ~憂鬱だわぁー」
部長は、やや大げさな身振りで両手を開く。
「何よ、ちさとは自分のお父様が嫌いなの? 久々に会えたんだから、もっと甘えれば良いじゃないの」
「好きに決まってるわ、でも、べったり一日中ずーっと可愛がられてみなさいよ、私はもう十五なのよ!?」
「寮なんかで離れて暮らしてるからでしょ。私も人の事はいえないけど」
「私が寮に入ってなくても、そもそもお父様は世界中を無意味に飛び回ってるわよ」
「いやそれ無意味じゃないと思う」
花子さんと部長はいつものように軽口の叩き合いをしてて、私はもちろん入れない。そもそもナチュラルに「お父様」って単語で会話をしているのがまあ、いや、もう今更だけど、うん。
瑠美さんだってそこは同じだろう。退屈そうに、天井を眺めている。
天井は球形のドームで、ルネッサンス風の絵が施されている。会場は主に結婚式場に使われているホテル隣接のホールで、ここ自体その九条さんって人の持ち物件らしいし。
「自分はフラフラ飛び回ってるくせに、私を寮のある学校に入れたのだって、何とも時代遅れな話だけど、悪い虫がつかないよう閉じ込めておこうって魂胆なのよ、結局。お父様は私を犬か猫みたいにしか見てないのかもね」
はぁっとため息を吐く。こういったちさとさんを見るのは、ちょっと珍しい。
「さあ、巴さん食べなさいコレ美味しいわよ。ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手の若手シェフが腕を奮ってるデギュスタションよ」
「え、ナニ? 新しい料理ってのはわかるけど……試食? それって、パーティー料理的にどうなの」
「花子ってフランス人なのにフレンチも知らないの? えーっとこれは北京ダック? じゃなくてフレンチの鴨をベトナム春巻風に巻いた物ね、ああコレはトリュフ入りフォアグラを蓮に詰めた物かしら、面白いわ」
ぽんぽんと小皿に載せて、部長はどんどん私に食べさせる。
「あ、いや、あの、そのっ……!」
「食べないと大きくなれないわよ。さあ!」
美味しいですけどっ! でもっ!
「んがむぐっ……。ええっとデギュスタションっていうのは……」
このままでは私が北京ダッグにされてしまう。口に物を詰め込まれる前に、開いた口から声を発する。
「何だろ。こまごま色々、工夫した料理が並んでるけど、ようは懐石料理みたいなモノ?」
「あ、はい。日本の懐石料理はフレンチに大きな影響を与えていますし、確かに思想性に於いては近い物ですけど」
他ならぬ七〇年代からの「ヌーヴェル・キュイジーヌ運動」の源泉がそれだ。バターやクリームたっぷりに複雑なソースを絡めた十六世紀以来の正餐料理に対し、鮮度の高い食材を素材の味を生かして簡素に薄味に調理したり、郷土料理を取り入れたり、シンプルに、かつ調理技術には惜しみなく技巧を凝らす――と、まあ海原雄山のモデルでもある魯山人さんが批判してたフレンチの真逆で、その思想性は和に近い。
まあ、魯山人さんの死後に勃興した物でもあるけれど。
「デギュスタション、言葉としては試食形式って意味ですけど、料理の一番良いトコだけ取った小皿料理で、スペインの料理人から広がって、今では最先端のフレンチのスタイルなんです」
「詳しいのね巴さん。ホラ、これも食べて食べて」
詳しいといっても、私のはあくまで本で読んだ知識だけど。こうやって実物を目の前にして、まして味わうだなんて、どっちかといえば庶民の私には、まず機会もない話(いや、お父さん一応小さな会社の社長だから、こう見えても私も一応は社長令嬢……って事でもあるけども)。
「あ、いえその……んムっ、むぐぐぐあちちち」
「あらいけない。ふーふーしましょうか?」
「へっほうへふっ!」
そもそもフレンチ自体、古来の正餐用からして小分けにこまごまと一皿ずつ運ぶ形式なのも意味があって、庶民的にドカっと大皿に盛る料理は結局、食べているうちに冷めたり、ぬるくなって行くのがさだめだけれど、食べきれる量を出来たてで順次出す、という姿勢でできている。
だからこそ、この会場にあるメニューは普通のビュッフェ形式の立食と違って、出すタイミングや皿の数もタイムテーブルに沿って決めてある、ちょっと面白いスタイルになっている。
ちょっとしたライブクッキングの趣きもあり、たとえば全て厨房で作ってお出しするだけでなく、スイーツ等の一部は目の前で冷却板を前に、パティシェが手際良くジェラートや網状の飴を作っている。
急速冷凍でディッピンドッツ風の粒子にしたソースを薄くスライスしたドライフルーツで包んだり、ソーダサイフォンでムースにしたすり身魚等々、見ているだけで飽きないというか、ほれぼれしてしまいそう。この辺り、さすがデギュスタション。
まあフレンチで立食っていうのがそもそも珍しい気もするけど。……というか、そうとう無国籍な献立だとも思う。
「自分の食べたい物ばかり巴ちゃんに食べさせてるでしょ。少しは選ばせてあげなさいよ。だいたい、ちさとは何も食べてないし」
花子さんがフォローに入ってくれるのは助かる。あまり部室に顔を出さないから、接点も少ない先輩だけど、彼女のように気さくで、面倒見も良い女の子は時折いる。私は昔っから、そんな人に何度も助けられている。
「いいのよ、食べなくても味はわかるわ」
「拒食症に近いダイエットなんて止めなさいって。ちさと、別に太ってないし」
「余計なお世話っ」
「……拒食症はそんな生易しいものじゃないわねぇ」
ここでふらりと瑠美さんが会話に挟む。
「死ぬほど辛いものなのよぅ、あなたにはそれがわかる?」
「あ……いえ、ええと」
首を振る。わかりません、っていうかわかりたくないですし、はい。
「でもね、死って甘美なの。いざリアルの死に直面したなら、その苦痛に、辛さに、否応もなしに肉体が反応しちゃうのね……イメージだけで死を美化したり憧れたりしても無駄なぐらい、圧倒的に……苦痛も辛さも魅惑的な香りを放つのね」
薄笑いで瑠美さんがぶつぶつと宙につぶやく。
な、なんか……この人、えーと。その。
「あら、滑稽ですわね。あなた、死んでもいないのによくもそんな事平気でおっしゃいますわ。まあ死んでいたらそもそも口は開けませんけど」
ああっ、部長も完全に喧嘩腰だ。
「おっしゃいませるわよぅ。体感したもん。『死』なら。そう、ちょっとした『事件』ね。……まあ確かに、自傷行為なんてモノはそれと比べれば自慰みたいなものね、それで簡単に人は死ねないし、でも誰かに見て欲しくてやるわけじゃないの。本気で死ぬつもりでもない。でも、傷つけずにはいられない。この腕……いくつ切り傷があるか、わかるかなァ?」
そういって、長い手袋をはめた両手をすぅっと突き出す。
さすがの部長も引いてるのがわかる。
いや、私だって引くけど。
どうしよう、やっぱこの人「メンヘル」の方のようだ……。いや、薄々はそうじゃないかって思ってたけど……。いや、でもなぁ……?




