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聖学少女探偵舎 ~Web Novel Edition~  作者: 永河 光
第三部・名探偵、参上! MURDER BY DEATH
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第二十二話『きっと、あなたを殺してみせる』(前編・その2)

挿絵(By みてみん)

 広いコンクリート打ちの敷地が、山道の中にポツンとある。

 基礎工事のまま投げ出された県の事業の痕跡がそこだった。

 その広い敷地の中に、幾つかのコンテナ、積まれたままの資材、管理用らしきプレハブ二階建ての小屋がポツンとあり、ちいさな女の子と、血まみれの男がその中にいた。


 近隣の道路工事や沿線工事のための作業車が幾つか駐車してある。

 シャベルカー、ブルドーザー、ダンプ、軽トラ、資材車、バン。

 寒空の下、エンジンに火が灯る様子もないままのそれらの反対側に、エンジンも切らず鈍い唸りをあげる黒い4ドアセダンやミニバンが数台。

 空気は真冬の肌寒さに満ちていた。


 半分休憩場のような管理小屋には、付近の農村から要らない物が適当に詰め込まれていた。額縁、日本人形、アナログレコードとプレイヤー。昭和の時代にはどこの家庭にもあった、当たり前の銀色のピザケース型の機械。透明カバーを開き、電源ランプが点くのを確認する。


(なち)ィな……こんなモン……まだあったのか」


 無用のガラクタであろうと、それに思い入れでもあったのか、ひと気の無いこんな場所に趣味の一貫として残していた酔狂な老人でもいたのだろうか。

 だとすると、こんなトラブルを持ち込んで、そいつには悪ィ事したもんだ、と若干の後ろめたさもないでもないが、悪い事ならもっと酷いことを俺はさんざんやっている極悪人じゃないか、とカノウは少し自嘲する。

 こんな生き死にの瀬戸際ですら、こんなくだらない事で俺は(わら)えるのか、と。それもまたちょっと可笑しくも思う。

 何か気休めにでも、と男はレコードの一枚をかけた。透明カバーに指の血がなぞる。

 背の擦り切れた紙ジャケットの束から一枚を引き抜く。

 美空ひばりの歌う、ジャズのカバー版。ラジオか何かでどこかのDJが喋っていた裏話、そんなものが脳裏をよぎる。

 その流暢な発音はネイティブの外国人すら太鼓判を押した逸品で、『英語なんて判らない』と断言してはばからない昭和の歌姫は、『耳で聴いた発音』をそのまま完全に再現してその天才性を知らしめた、と。


「音……あいつらに聞かれたらどうするの?」

「その、前に……もう、死んでるさ」


 ──隠れることにもはや意味は無い。いっそ、集まってもらうか。

 少女はアナログレコードを目にするのも生まれて初めてだった。

 男は、そのまま床に大の字で倒れこむ。

 そして、少女に銃を渡した。





「俺を……殺すんだろ?」


 絶えだえの息で男は少女を急かした。


「私はあなたを、殺したかった。でも、これじゃ『自殺の手伝い』だし」


 スミは首を横に振る。


「今殺さねぇと、もう、無理だぞ。……もう、俺ぁもたねぇ。せいぜい小一時間で死ぬな」


 スミはぽろぽろと涙をこぼす。

 そんなスミを見たのは男も初めてで、意外だった。

 この子は『泣かない子供』だったのに。


「まぁ……そうだな。無理に殺さなくて良いしな。どうせ死ぬしな。お前もこんな事で、余計な因業背負わねェでも良いだろ。人を殺すってのぁ、ヤーなもんだぞ、実際」


 ──商売柄、そんな事を他人にいえた義理じゃねえな、とカノウは思った。


「まぁ、ここで『殺せた』と思って生きて行きゃー問題ねぇ」

「……思えない」

「じゃ、思わなくて良い。その方が良いな、ウン」

「いいかげんな事ばっかりいわないで」

「いいかげんでもねーがな……。そろそろ逃げろ、ヤバいぞ」

「……ここで逃げたら、何の為にあなたのそばにいたのかわかんない」

「俺を殺すためだろ?」


 少女は黙った。


「そしてそれが出来ないんなら、もう居ても仕方ねェ。さっさと普通の世界に戻れ。そして学校に行け」

「……戻る所なんてない」


 暫く黙った後、少女はそうつぶやく。


「あぁ……そうだな……」


 サングラスの奥で男はまぶたを閉じる。

 ──いえた義理じゃねぇや、俺に。


 壁掛けの時計の音が響く。


 風が窓を叩く。


 無言の時間は、永遠のように思えた。


 実際には、五秒と経っていない刹那の間だった。


「……この何ヶ月、あなたのそばに居て、わかったことがある」

「何だ?」

「あなたに子供は殺せない。そこまで器用でも割り切れてもいない。カノウさんは冷徹非情な殺し屋だけど、無駄な殺しはしない」

「どっちにしろお前の──」

「ちがう」


 ──また、無言。


 数秒の沈黙が続く。

 そもそも、これ以上喋り続ける体力は男には殆ど残っていなかった。

 少女は、何かをじっと考えていた。


「お前には、復讐する理由だって、充分、ある。そして俺ァ、殺されても仕方の無ェ人間だ」

「だから?」


 皮肉めいた口調で少女は問う。


「だから、私を殺さないで連れ歩いたの? いつか復讐される為に?」

「……まぁ、そうかも知れねェし、どうかはわからねェ」


 ホントに。

 なんでなんだ?

 分からない。


 天使か悪魔か、死神か。

 何故、そんなありもしないファンタジーを信じ込めた? いや、信じたわけじゃない。

 カノウには何の信仰もなく、宗教観も持っていない。

 それらは彼に何らの意味も為さない。

 それを心に留めるのは不可能な「職業」だった。

 だから、安っぽい宗教画(イコン)のような「天使」だの「悪魔」だののイメージは、本来カノウの中には無いはずだった。


 冷静に考えれば単なる「口封じ」の最適解だ。泣き叫ばれて逃げ出すのでもなく、身寄りも無い子が「ついてくる」のならそのまま連れていればいい、それだけで「子供を殺さなくて済む」のだから。

 その、あまりにも理不尽で腑に落ちない、非常識な行動――それはスミもカノウも、どちらとも――を、容認、自己肯定したくてそんなくだらない妄想を抱いていたのだ、と今になって納得してみる。

 勿論、それが本当の答えかどうかはわからない。

 わからなくとも、「納得」は重要だ。


 それでも、――自分でもよくわからなくても、この天使は自分の前に舞い降りた。

 復讐に燃えた悪鬼だったのかも知れない。

 今となっては、もうわからない。

 それでもその少女は、今、目の前で、自分のために涙を流した。


 その瞬間に、何かの「人生の意味」をカノウは噛み締めた。


 何かがわかったような気がした。


「……もういいよ」

「もういいか。そうか」

「あなたはもう、死んじゃうんでしょ?」

「……死ぬな。確実に」


 助からない。自分でもそれがわかる。

 幾つかの鉛弾が致命的な部分にメリ込んでいる。

 片肺が血で溢れているのもわかる。

 長くは持たない。体も動かない。左手だけが辛うじて、少しだけ動く。


「じゃあ私は……あなたの無事を、祈ってあげる。あなたが死なないように、あなたが助かるように、そしてそれがダメだったら……」


 少女は、ゆっくり顔をカノウに近づけた。


「私、あなたの為に悲しんで、きっと、あなたの為に泣いて暮らすことになる」

「…………」

「なんでそんなヘンな顔してるの?」

「憎いんだろ?」

「憎いわ。でも、憎いだけじゃない」


 遠くから銃声が響いた。

 幾人かの怒声が聞こえる。


「そろそろ行け。ここもヤバい」

「……殺したのは彼ね」

「……ヤめとけ。お前じゃ何も出来ない」

「あなたを『売った』のも」

「……そこは、仕方ねェ……どっちかが(おとり)にならなきゃ、どっちとも死ぬって話だ」

「それがあなたである必要はなかったじゃない」

「そこは……結果論だ」

「ねえ、カノウさん……あなた、いつかいってた」


 怖い物は無いって。

 目的も無いって。

 自分の人生は、

 とうに終っているって。


「それが……どうかしたか?」

「だから、後悔は無いって……いつ死んでも、悔やむ事は無いって……。最低で、そして最高な生き方ね」

「何がいいたい?」

「あいつらがここまで来ないよう、じゃあ今度は私が囮になるわ。派手に立ち回って。治療とか輸血とかが間に合えば、まだ助かるかも知れないじゃない?」

「バカはやめとけ。どうせ内臓に幾つか食らってる。……自分の事は自分が一番判る。お前はお前が生きる事だけ考えろ」

「あなたもね。……そうね、もしも、私が死んだら……」


 あなたは、

 悲しんでくれるかしら?


「……!!」


 叫ぼうとしても、声が出ない。少女は、デリンジャーを片手にドアの外に出た。


「ヤメろ……無理だッ……!」


 かろうじて、喉からかすれた声で、そう絞りだす。


 ──ねえ、カノウさん。あなた、私のこと、好き?


 以前、冗談めかしてスミがそう訊いた事を思い出した。

 知らねえ、とだけ答えた。


 いつかはこの子といる事は『想い出』になるのだろう。

 この子が死んだ時に、俺の『想い出』になるのか。

 俺が死んだ時に、この子の『想い出』になるのか。

 それはわからない。

 その時、その相手をどう感じ、どんな想い出になるのだろうか。

 最悪な物になるのはきっと間違いない、その時は、ただそう思った。


 美しいメロディと昭和の歌姫の声だけが、ここには響いていた。

 人殺しの(クズ)がおっ()ぬ場にしては、出来すぎたお膳立てだ。バチが当たりそうだ。


 暗転。


 銃声。


 遠くからの怒声。


 嘆きの声。


『何か』が、カノウの知らない所で起こっている。


 それを知る(すべ)は彼にはもう、無い。

 サングラスの奥の目には、もう何も映らない。

 闇と、ゆるく、かすかになってゆく鼓動だけ──。


 いや、まだだ。

 まだ、一つだけ……。




 少女と殺し屋の男たちの奇妙な関係は、長いようで短い、短いようで長い時間、続いた。

 カノウが生まれて初めての『致命的なミス』を犯す、その瞬間までは。

 文字通り、そのミスがカノウの命を奪う事になった。

 少女と殺し屋の男たちの奇妙な関係は、そこで終わった。





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