第十九話『在りえない、知りえない』(前編・その5)
「私は、誰も救えなかった。何ひとつ解決なんてできなくて、私に何ができるって……」
震える声で、絞り出すように、私はそう漏らす。
引き込まれる――忘れようとして、忘れられないでいた、あの頃の記憶に――。
「それはどうでもいい。『できる』と『やれる』は違う話だ。その能力がある限り、巴は『やる』しかないんだ。やりたくたって出来ないヤツならゴマンといる。ちさととか」
「ちさとさんは……ああ見えて結構優秀ですよ」
「でも、ばかだ」
「……いや、えーとー」
いくらちさとさん結構アレな所があるとはいえ、いきなりそんなディスられても……と、ちょっと昂ぶっていた感情から引き戻される。いわゆるクールダウンというあれかも。
「そして、巴はかしこい。お前なら事件の概要に目星もつくはず。どうだ?」
「だから、無茶いわないで下さいよ! 状況もわからない、被害者が誰かもわからない、動機、理由、人間関係、そんなの全部ナシな状態で、どうやって何を推理すれば良いのか、そんなのわかるわけないじゃないですか!」
「だから、私が私の見た状況をこれから教える。そっから推理していけ。ある程度ならカレンとか便利な双子とかあの連中で、物証や検証はどうにかできるだろ」
できないできない!
「現場も証拠も警察で封鎖されていますよ。それにもう二週間近く経ってますし……」
「その辺の資料なら、香織から聞きだせただろ」
「……香織部長には、頼らないんじゃなかったんですか?」
「私はな。巴が頼るならそれは巴の貸しだから私のじゃない。だから知ったことじゃない」
うっわー。
メチャメチャだ、やっぱ、この人。
諦め気分でため息をつき、組んだ手の上にアゴを乗せ、ぼそりとつぶやいた。
「……わかりました。観念して、聞きましょう。状況は、一体……?」
「うむ」
知弥子さんが、これまでの経緯を淡々と語った。
その内容は、ほとんどが事前に耳にした物と大差はなかったけど、視点が「現場」である点だけが大きく違っていた。
(1)被害者は何らかの犯罪に関わっていた「らしい」相手で、知弥子さんはそれを尾行していた。
(2)現場は人通りが少なく、誰でも侵入できるかわりに、隠れる場所も少ない。発見時は、刺されてまだ何分と経っていない状況だった。
(3)血で何かメッセージのような物を現場に残していたような気がする(気がする?)。
……う~ん。
「あ、それともう一つ。その警官は何か通報とか、事前に被害者がそこで何かしてる目星がついていて、そこに来た、という訳じゃないんですね?」
「だろうな。よくは知らないが巡回中だったんだろう、二人組みで……」
「……ああ、放置自転車や盗難自転車を調べる私服の警官ですね。都心部で巡廻の警官が単独で動くことはないから、まあ二人組は当然でしょうね」
もっとも放置自転車には近年は、各自治体ごとに揃いのユニフォームのシルバー人材のおじいちゃんたちがスマホを片手に警告の張り紙を貼る形式になってきたけど。どちらかといえば私服警官が近づくのは、今だと職務質問の方がメインか。
「よくわかるな」
「そりゃ、いくら知弥子さんでも、制服で警邏のお巡りさんにいきなり回し蹴りなんて狂犬過ぎますし……」
「お前、私を何だと思ってる」
「いや、だからそれはしないだろう、って話ですから!」
「確かに、むしろ制服の警官だったら、こっちから状況とか訊きに向かう」
知弥子さんが「特徴的な制服」で、いくら黙秘をしても一発で身元が割れたように、警察官も普通なら特徴的な制服だから、一目で職務はわかる。
これが私服の男性が二人組みでその現場に近づいてきたなら……知弥子さんなら、相手をあやしんで蹴ったり投げたりしてもまあ、不思議ではないかも。
……いや、それを「不思議ではないかも」って考える時点で私も相当知弥子さんに毒されているけど!
「つまり、その警官が立ち寄ったのは偶然──って話になりますね」
繁華街の裏っかわ、人通りの少ない場所だから、放置自転車が野放しに留めてあるのは理解できるとして。もちろん、盗難や当て逃げ等の調査とか聞き込み、何らかの逃走犯の動向確認とか、いくらでもそこに私服警官のいた可能性は考えられるけど。
……ふむ。
少しだけ考える。いや、考えるほどの事件でもない気もするけども――。
まず(1)の点、知弥子さんの普段の行動から考えても理解できるし、なるほど、それで殺人に巻き込まれたなら必然とも思える。
もっとも、それは私が知弥子さんのいつもの行動を「知っている」からで、普通は「犯罪者を尾行する女子高生」なんて、誰も信じてはくれないだろう。そもそもが、ありえない。
(2)は、いってみれば知弥子さんが怪しまれた最大の理由でもあって。しかし人が一人隠れるか逃げるかするのは、屋外であるならそう難しくもないだろう、とは思う。
ただ、写真資料と地図以外に現場状況を知る術のない私には、そこは何ともいえない。
(3)は……えーと……またダイ・イング・メッセージ!?
にわかには信じられない話だし、私の見聞きした情報に、そんなファクターは一切なかった。もしかすれば、それが知弥子さんが黙秘していた一番の理由かも知れない。
実のところ、一応は私も、ここに来るまでに一通りのあらましは調べて来た。さすがに、何の心の準備も状況把握もなしに、警察にのこのこ足を運ぶなんてできるわけがないし。
香織さんからも色々(それこそ、一般人には漏らしてはいけないような話まで)教えてもらった。つまり、予習は万全……な、はずだけど。それでも、事件の背景まではわからない。
「そのメッセージとやらって、どんな物なのか、覚えてます?」
「わからん」
「とほほ」
いきなり初手からお手上げじゃん!
「死ぬ間際の人間がまともなメッセージを残せるわけがないだろう。相手のイニシャルだか、何か仲間内のメッセージだか、そんなのかもしれないが、大抵ぐしゃぐしゃだ。文字かどうかもわからん」
つまり、それは「わからない」または「なかった物」と考えるべき、か。
今の私にわかるのは、「起きた事件現場での様子」だけだから、そこに着目すべきかどうか。
そもそも「出題じたいが無いパズル」なんて解きようもないのだし。
では……もし、この知弥子さんの言葉を全て信じるとするなら……。
「えーと。ああ、わかりました。犯人」
ぼそりと口にした私に、だいたい無表情無感情の知弥子さんが、少しだけ面持ちに驚いた感情を垣間見せ、一言つぶやいた。
「速っ」
(後編につづく)




