第十九話『在りえない、知りえない』(前編・その4)
「私は死に囲まれて生きてきた。何人も目の前で死んだ。そして──」
すっと、知弥子さんは五本の指を広げた手を、私にかざした。
周囲の婦警さんは一瞬、腰を浮かした。
「過去にこの手で人を殺した。だから今更、そんなことでガタガタいう気もない」
……どう反応すれば良いのよ。そんな話を聞かされて。
ゴクリと唾を飲んで、私は身をこわばらせていた。
傍には、婦警さんも二人ほど立って、いぶかしみながらこちらの様子を見ている。……黙っているままじゃいけない。緊張しながら、ゆっくりと唇を動かす。
「あの……接見だから、警察の立会いをナシにして貰えますけど……」
そうはいっても知弥子さんは一切、聞く気はない。思いっきり婦警さんの前で、不穏当な話を続けている。
「血に染まった人生だ。私は命の狙い合いの中で生きていた。ずっと……記憶の原初から、ずっとな。飽きた。今更な話だし、それはこれからも変わるわけじゃない。だから私は──もう、私の人生なんてどうだってイイってのが本音だ」
「……にわかには信じられませんし、信じるつもりもないです」
「巴がどう思うかは巴次第だ。それは巴の人生で、巴の主観の中で紡がれる物語のようなものだ。そしてそれは、私の物語とは違う」
何も、いえない。
……信じないワケじゃない。
何故なら、私だって、ある意味では──知弥子さんと『変わらない』のだから……。
信じられないような出来事も、この世には確実にあって、それは私の中でゆるぎないもので、私は――目を背けることで、逃げ出すことで、何とか自分を保つことができた。
でも、自分の人生を『どうだっていい』って思う気持ち、――そんなものを、私は知弥子さんとは全く違う理由で理解もできて、そしてそんなもの、理解なんてしたくはなかった。
「……本当にその手で殺したワケじゃないですよね。もしそうなら……知弥子さんなら、罪から逃がれようなんて考えないと思う。逃げるとするなら、それこそ、無実の罪をきせられた時だけじゃないかな、って」
「今回のようにか? まあ……間接的にだ。銃を握って、刃物で刺して、そうして殺したわけでもない。いや、銃を撃ったこともあるし刃物で人を刺したこともあるが。でも、私が昔、ある男を殺したのは……事実だ。死ぬように仕向けた」
信じがたい話。ありえないような話……。
何より、知弥子さんがそんなことをするような人だとは私には信じられないし、信じようがない。たとえ知弥子さんのことを、何もわかっていないとしても。
「どうして……」
「珍しくもない、ありがちで下らない話だ。奪われた物を奪い返すならまだ理に適っている。しかし、砕かれた物を砕き返したところで何になるわけでもない。その過程で、私は更にいくつかの物を失った。愚かな話だ」
「……ゼンゼン、わからないです」
「わからなくて良い。……こんな話、誰にもしたことなかったし、これからもするつもりはない。幾ら巴でも、私の心まではわからない」
「……わかりません」
わからないけど……わからなきゃいけない。
信じないといけない。
知らないといけない。
そうしないと、きっと知弥子さんをここから出すことは私にはできないから。
でも、今の私には何もわからない。わかりようもない――。
「でも、ある意味では、わかるはずだ。巴も、私と同じ目を持っている」
ギクリとした。
「……否定は、しません」
何故、わかるのだろうか。私は知弥子さんのことなんてわからないのに。
無表情なまま、知弥子さんはじっと私を見て口を開く。
「一々詮索はしないが、巴には死線を越えた者独特の、ある種の達観があるのはわかる。だからこそ、お前にだけは通じる話もある」
「……それは、直感的な判断で、でしょうか?」
同じ目、とかいわれても。
「私はその昔に一度『死んだ』んだ。その時期に、全ての人生が終わった。あとの余生はオマケのようなものだ。……巴も、そんな目をしている。ある種、精神病だ解離性障害だ何だとレッテルも貼られるが、徹底的な客観性で事象の切り離しが出来、まったく次元の違う視点から物事を鳥瞰する。探偵舎の、推理ごっこの好きな他の小娘たちとは違う立ち位置にお前はいる。だからお前は、どんな理解し難い話でも、論理的に解体することができる」
無表情なまま、知弥子さんはじっと私を見ていた。
「巫者の『死と再生』の通過儀礼のような話ですけど……理解は……出来ます。でも、納得は――しません。……私は……知弥子さんとは違います。同じじゃない。知弥子さんみたいに……強くはないです」
「私が強いわけはない」
「……私は、逃げた。私は、私も……小学生の時に……あの夏に、全てが終わった。私は……逃げ出したんです」
──何を、いってるんだろうか、私は。
なんで、こんな話を……!?
手が小刻みに震えているのが自分でもわかる。
その昔に一度『死んだ』んだ――知弥子さんのその言葉――それは、わからないはずもない。他ならぬ私自身、同じようなものじゃないか。だけど――。
隠し続けていた心の奥底を、この瞬間に見透かされたような、そんな気分。
「……私は……逃げ出した。友達から。私は……知ってしまった。知らないで良いコトを。暴かないで良いコトを……私は……」
ぽろぽろと、涙がこぼれた。
止められない。
「私には、闘う力なんてない。殺すことだって出来ないし、考えたこともないけど――。でも、私はわかった。私は──きっと、殺される、って。ただ死ぬならそれで良い。人生の重みなんてわからない。子供だもん。死ぬのは構わない、だけど……あの子から殺されることだけは、イヤだった。……ヘンだ。ヘンですよ、私って……」
感情がたかぶって、まくし立てるように口から出た。
「うむ。何をいってるかサッパリわからん」
「……知弥子さんにわかるわけないですよ!」
また、叫んでしまった。
どうしちゃったんだ、私って。
一度は、決意したのに。
立ち向かうことを。過去から逃げないことを。先輩たちの手を取った時に。そう、私はもう、独りなんかじゃない、って。なのに――。
「……私は、探偵の器じゃない。探偵の資格だってないんです。かいかぶりで……。私には、そんなコトできるような人間じゃない……だって……!」
ダメだ。
弱音を、また吐いている。
どんなに強がったって、自分の弱さを誤魔化せない。




