第十九話『在りえない、知りえない』(前編・その2)
香織さんや、ここに来るまでに警察や弁護人の方から教えてもらった話を要約すれば、だいたいこう。
巡回の警察官がH駅裏手にある、人通りの少ない高架脇の駐車場の近くを通った際に、倒れた男性と、血まみれのナイフを握った「特徴的な制服」の少女を発見し、問いただそうと近寄ったところ、いきなり警官の一人は回し蹴り(!)を食らい、もう一人は背負い投げで飛ばされた。
その直後に、連絡を受けた警官数名がパトカーで向かい、少女を取り押さえた。
殺人容疑はともかく、公務執行妨害と暴行傷害に関しては完全に現行犯逮捕だから、そこは言い逃れもできなかったみたい。
……フツーだったらまあ、全然まったくありえない話。そんなムチャクチャな女の子なんてこの世にいるわけがない。
そんなことを平然と出来る女の子なんて、私の知る限り、後にも先にも地球上に一人しかその存在を知らないし、そして私は幸か不幸か、そんな女の子の存在を事前に知ってしまっている。
だから、「そこ」はまあ……本来ありえないような話だけど、「あり得た」として。
……そして、思いっきり蹴り飛ばしたことで傷害致死って話ならまだしも(まだしも、っていっちゃうと何だけど)、「ナイフで相手の胸を刺す」なんて、いくら何でも知弥子さんがするわけはないだろう。……たぶん。
でも、一応は重要参考人……ってことで身柄を押さえたのだろうけど、今の警察での扱いを見る限り、ほぼ「被疑者」と目されている……そう思って間違いはなさそう。
未成年だから、決定的な証拠もないまま、そう長い時間ここに留めておくことは出来ないだろうけど。
取り調べも……きっと、上手くは進んでいないかもしれない。
かもしれない、っていうか、まず色々無理だとも思う。何たって、相手は知弥子さんだもの。警察の人も検察の人も、さぞ頭を抱えていることだろう。
「……あの。良いですか? 知弥子さん。いくら証拠不十分でも、捜査や調書で論証物証証言をかためて公訴提起、司法の手による公判へと送るような、警察の一般的な過程とは、全然別モノなんですからね、少年法の場合は」
「うむ」
わかっているのか、いないのか……まるで他人事のような顔だ。
「何でも、ずっと非協力的な態度だって聞きましたけど……。このままだと、どうなるかわかっていますよね?」
「どうなるか、というと……そうだな、妥当で刑務所……いや、鑑別所? 少年院? 無実だがな」
まあ、まずは家裁送りだけど、そこからの措置がどうなるかは……おそらくは保護観察等の軽い物では済まないだろう。
「無実であるかどうかはこの際、重要じゃないんですよ。極論するなら、『あやしい』ってだけで更生施設行きもあり得るんです。もちろん、冤罪なんて以ての外な話ですけど……」
「何故?」
もちろん、これが「殺人」という凶悪犯罪である点も重要だけど。そっちの方は、むしろその後の処遇にかかっている話。
まずはその前段階から危うい。
「未成年の犯罪は全件、家庭裁判所で判断されますが、そこはおとなの裁判と違って『調査官』と呼ばれる人たちによって全ての記録、調書、面談による判断がなされ、その報告をもとに裁判官が処遇を決定します。付添人として弁護士を選任することで、調査官との面談による調査報告を有利に運ぶこともできますが、一般的なおとなの裁判での弁護士、検事による罪の可否、事件性の白黒を決議する形式ではないんです」
「む」
「だから、調査官や裁判官から『この子はヤバい』って認められたら、もう問答無用ですって。何故なら『処罰』じゃなく『保護』なんですから。未成年者は、罪に問い刑罰を与えるのではなく、保護観察の上『更正』って話なんです。普通なら」
そう、普通なら。ただ、近年では少年法の改正案が通り、ある特定の犯罪に関してはその限りではなくなったはず――。
つまり──故意による殺人、傷害致死事件とか、そういった凶悪犯罪の場合は。いわゆる「逆送措置」対象。
知弥子さんはすでに十六歳以上だから、保護ではなくきっちり「刑罰」対象にもなりかねない。そうなれば家裁から検察に戻されて(これがいわゆる「逆送」)、そこから普通の裁判所で公開による手続きが為され、有罪の場合は懲役刑だってある。
「……十七歳で良かったですよね、十八ならもう色々とアウトです。まあ、でも逆送や懲役は最悪のケースですけど、最善でも保護対象として更生施設送りになるのは、今のままでは避けられないとは思います。こういっては何ですけど、知弥子さんの行動や態度は保護観察対象で済むレベルを超えてます」
「それは理解している。だが、なんで私が保護されなきゃいけない?」
「……えーとー。いや、いま説明しましたよね? ヤバいって表現がアレでしたら、ようは野に放つと問題ありそうって判断されると――」
「だから、なにが問題なのだ」
自覚がないのか。
そもそも、捕まる前段階で警官に暴行を加えているのだから。それだけでも絶望的だ。
「何にせよ、中一のくせに色々詳しいな。優等生だけのことはある」
詳しいっていっても、コレ全部付け焼刃の一夜漬け知識なんだけど。
「いえ、私が優等生とかどうとか、ソレは今の状況で何の関係もないですし。ともかく、どうして素直に『第一発見者』として名乗り出なかったんですか」
「無茶いうな。現行犯逮捕みたいな形じゃないか。第一、いきなり掴みかかってきたから、蹴って逃げるしかないだろう」
「なんで逃げるんですか!」
「犯人じゃないし」
「犯人じゃないなら逃げることないでしょう?」
「だから、無茶をいうな。逃げるが勝ちに決まってるだろう。そこまで自惚れてはいない。不意打ちで一人蹴り倒したとはいえ、すぐ起き上がってくる。見た感じ、格闘をかじってそうな肉付きの大の男相手に二対一だ。正面から素手で戦って勝てるわけがない」
「いやいやいやいや」
逃げずに戦えなんていってないし!
「まあ、結果がこの通りだから、逃げるのが最善策ではなかった、という点も事実だな。そこは確かに反省せざるを得ない。一旦身を潜めて追っ手や仲間の有無を確認し、慎重に突破すべきだった」
「いやいやいやいや」
反省するべきは「そこ」じゃないでしょう!? っていうか、なんか話がゼンゼン噛み合ってないし!
……つくづく、アタマを抱える。
ほんと、何考えてるんだよぉ、知弥子さんって……。
「……で、どうして私なんですか」
そう。そこが、まったく理解できない。わけがわからない。
「まず弁護士だの何だの、そんなうさん臭い連中信じられるか。じゃあ他に知り合いはというと、結局子供しかいない。私も子供だからな」
「理解できるような理解し難いような滅茶苦茶な意見ですけど……まあ、そこは一応納得も出来ます。でも!」
そもそも、子供って感じでもないんだけどなぁ、知弥子さんは。
いや、未成年だし「少女」ではあるのだけど。肉体的にも外見的にも既に「美女」と表現した方がしっくり来るタイプだけど。
もっともそれは、私がまだ十三歳の子供だからそう見えるだけで、大人の目から見れば知弥子さんもまだ、あどけない少女……なのかもしれない。にわか信じがたい話だけど。
「そうすると、香織くらいしか思いつかないが、あいつにこれ以上借りは作れない。それに、色々考えると一番の適任は巴だ」
「適任……。私が、ですか?」
「うむ」
……どういった判断なんだろう。
「……他にいないっておっしゃいましたけど、面会、ご家族からも断ったって聞きましたけど?」
「家族はいない」
「おばさんと二人暮しって聞きましたけど……」
知弥子さんの親権を持っている人。
私は、その人から頼まれてここに来たんだ。
「伯母でも叔母でもない。だから、赤の他人。両親も家族も、とうの昔にみんな死んだ。あのおばちゃんは私の保護者として雇われてるだけだ。あまり私に干渉しないからまあ、悪くない」
それは私も知らなかった。わかっているようでいて、私はやっぱり知弥子さんのことは何一つ知らない。
「……嘆いてましたよ、おばさん」
「そんな感情もあるのか。珍しい」
……呆れる。
知弥子さんのおばさんからは、身の回りの物を詰めたカバンを渡された(でも、たぶんそれは拘留されている知弥子さんの手には殆ど届かないと思うけど……)。
善良そうな人で、知弥子さんが面会してくれないことを、おばさんはとても悲しんでいた。
これも完全に余談ですけど、この作品、平成十九年(2007年)の法改正前に書いた物でしたので、ノベルゲ化の際に色々加筆修正はしたのですが、この令和4年春からまためっちゃ大改正が来るのでさーてどうしたもんかなぁと色々考え込んだのですが、まあ成人年齢18以上からの「特定少年」に関わる部分が主なのでそこはぼんやり触れるだけにとどめました。まあちょっと書き方に誤解を招く点が(家裁関係とか保護関係などなど)あるなぁと思った部分は今回大きく書き直しましたけど。ちょい説明過多でクドくなり過ぎたかなーって感もありますね反省。
ともあれ、今回この加筆によって、この作品世界は「令和4年以降」となりました。
どんどん未来に進むなぁ! 元は20世紀だったのにね!
筒井康隆先生が「小説は時代を映す鏡であるから、価値観が変わって表現が古くなっても過去の作品を改変・封印するな」とおっしゃってますけども、個人的にはこの作品、発表媒体を替えるごとに「時代は常に今」ですので、手塚治虫先生なみに見苦しくどんどん書き換えていきますよ! いやまあ言葉狩りとかとちょい違いますけども! むしろ特定出版社から禁止指定されるタイプの語句は何の抵抗もなく使ってますけども! なにも積極的にサベツ語や猥語を連呼したい所存!というわけでもありませんけども!(してるけど)




