第十九話『在りえない、知りえない』(前編・その1)
第十九話『在りえない、知りえない』
(初稿:2005.05.17)
ありえない。
年配の人は「最近の若者は『ありえない』と『ぶっちゃけ』をすぐ口にする」というけれど――とはいえ、その「最近」は軽く十年以上「最近」なんだけど――
起こるはずもないことが起きたり、そうあるべきことがそうならなかったりすれば、やっぱり「ありえない」というフレーズは、つい、口から飛び出してしまうものだと思う。
私の通うミシェール女学園では、いわゆるギャル言葉……? といった喋り方をする生徒は、全くといって良いほどいないし、耳にもしない。
異空間というか、昭和の空気のままというか、大正時代辺りまでタイムスリップしても、たぶん今と何も変わらないんじゃないか、って感じの不思議な学校だけど。
それでも、「ありえない」はよく耳にするし、ついつい私も使ってしまう。
ありえない。
ありえない。
ありえない。
It cannot be!!
今日はその言葉を、口にこそ出さなくとも頭の中で、軽く五万回は復唱している気分。五万はさすがにサバ読み過ぎって気もしないでもないけど、そう、気分。気分の問題。
もう、その言葉以外に何も考えられない。
――ありえない。
震える足で、薄暗い廊下をゆっくりと進む。両脇には、婦警さんがぴったり寄り添うように私をはさんでいる。この段階でもう、「緊張するな」といわれようとも(いわれてないけど)無理というもの。いやもう、無理。色々。何もかも。
本来消音効果のあるはずの、厚みのあるビニールシートを貼った廊下から、意外なほどに自分の足音が耳に響く。
進む先の、重いスチール扉をあける。
蛍光灯の明かりがチラつく中、否が応もなく、心臓がばくばく高鳴る。緊張する……。
その奥には──。
「よ」
見慣れた顔が、軽く片手を挙げる。
「……なっ、何がっ『よ』なんですかァっ!!」
思わず、声を張り上げた。
何かんがえてんのよ、この人っ!!
「何って、そりゃ、挨拶」
「……だぁからぁ!!」
「私が巴を呼び出して、そして、こうしてちゃんと来たわけだ。べつにおかしくはないし、挨拶ぐらい普通する」
いや、その挨拶ぜんぜん普通じゃないし。そもそも、おかしいことだらけだし!
無表情なまま、知弥子先輩は淡々と、まるで他人事のように喋っている。
信じられない。
どんな神経してんのよこの人っ!?
「そっ……そりゃあ、来るしかないじゃないですかぁ!」
自分でも信じられないぐらいの大声で叫んだ。
そんなつもりじゃなかったのに。
ついさっきまで、私は動転してて、頭の中なんかグルグルで、何が何だか右も左もよくわからないこんな場所でこんな状況で、おっかなびっくりで、萎縮しちゃって、どうして良いのか、何をいって良いのかも、まるでわからなかったのに──。
この、平然とした態度の知弥子さんを見た瞬間に、何もかも吹っ飛んでしまった。
吹っ飛ぶどころか、なんちゅーか、その……。
アタマ来た。
むかむかむかっ! と。
「怒鳴るな。ここ、警察」
「……わかってるじゃないですか」
そう。
警察。
落し物を届けたり道を聞いたり。そんな用以外に来たことがない、そして、そんな用では絶対に通してもらえない奥の部屋に。
私が。
何でっ!?
っていうか、何で捕まってるのよ知弥子さんはっ!
いや、あらましは一応、耳には入れているけれど……。
ありえない。
何から何までムチャクチャだ。
「一時的な勾留だ。さすがに、あと何日かしないうちに回される先も決まるだろう。おそらくは観護措置か。証拠不十分だが」
「妥当で、家庭裁判所から少年鑑別所とか、その類でしょうか……? 未成年だから、教育的保護処分とか、そういった……」
「だから、私は無実だ」
「信じてますよ、そりゃ……」
無実の罪だというならもっとこう……切迫というか、焦るか怒るか悲しむか、感情をあらわにして欲しいところだけど……いつも通りの無表情。この人にそんなのを期待するだけ無理か。
「ウソこけ。証拠が不十分という時点で推理も不十分、巴がわたしを信じるに値する確証とて、ない」
「……それもそうですけど、前提として、まず犯行の理由がないじゃないですか」
いや、無実といった端から何いってんですか?
「理由の有無など現時点で判りはしないだろう。なくたって、私の指紋しか出ていないはず。状況から見るに、体温もまだ被害者に残っていた。蓋然的に考察するなら、私が刺したと考える方が、むしろ妥当とも考え得る」
「だ、妥当なワケはないでしょう!?」
「さわぐな。場所を弁えろ。それは、巴は私がどんな人間かを知っているからだ」
「……すみません」
「先輩後輩、そういったパーソナル情報を加味した上の目贔屓ともいえる」
……どうしたものだろうか。
また、知弥子先輩の屁理屈が、一々理にかなってるから始末に悪い。
現在、知弥子さんは見ての通り警察に捕まっている。
それも、よりにもよって「殺人」の容疑で。
ありえない。
勿論、そう断言できるほど、私は知弥子さんのことは知らないけれど……どう考えたって、彼女が殺人を犯すような人とは思えない。
捕まるとするなら、故意にせようっかりにせよ、暴行傷害とか、そんな粗暴犯でだと思う。その上での過失致死ならまだ、わからなくもないんだけど……。
いや、それはそれでダメだけど!
二週間ほど前に、H市内で殺人事件があったことは、私も新聞で読んで知っていた。
歓楽街の裏手、ひと気のない駐車場で、男の人が刺し殺されたらしい。
その記事には、それ以上の詳しい情報は何もなく、そしてその日を境に、知弥子さんはプッツリと学校に姿を現さなくなった。当然、部活にも顔を出さないし、「知弥子さんのことだからそれは別に珍しくもない」と、ちさと部長たちは平気な顔でいたけれど――。
先生がたも何もいわないし、香織さんは何か知っているような面持ちだったけど、何も話さなかった。
後に、私の聞いた事件のあらましはというと――。
わりと本当にどうでもいい余談ですけども、
冒頭部「ぶっちゃけ」「ありえない」っていうと言うまでもなくプリキュアですけども、
あれももう20近く前なのだなぁと思うとしみじみビックリですね!




