第十八話『幾星霜、流る涯』(後編・その2)
その一年間にあった出来事は、私の人生観を大きく変えるほどのものだったのは間違いありません。
ですが──最早それらは、思い出したくもなければ、誰かに語りたいような話でもありません。お婆様のように、記録に留めることすら、 憚れます。
……今にして思えばわかります。それは、私にとって明確な「挫折」と「敗北」の記憶でした。それを受け入れるには、随分と時間もかかりました。
そして私は、探偵としての活動にも「終わり」を感じ、ここで黙々と、本の整理整頓をこなすくらいしか、他にやることもなくなりました。
知らない間に麻衣さんが転校したと聞かされたショックも、少なからずありました。
私には、彼女に別れの挨拶すらできなかったのです。
またしても私は、姉の如く慕う人と、何ら別れの言葉を交わすこともできないまま……知らぬ間に自分の前から消え去った事実を、再び受け入れなければならなかったのです。
それは、途方もないほどの喪失感でした。……かといって、虚無感だけに覆われて、ただ俯いて生きて行けるほど、私は孤立もしていませんでした。
暖かな家族がいて、いつも勇気づけてくれる友もいて、これだけの挫折と喪失を抱えながらも、哀しみに浸り、後ろ向きに生きることすらできませんでした。私は、恵まれています。
それは、とても幸いなことなのでしょう。
……だから私は、佐和子さんの心を永遠に知ることもできないのかも知れません。
真の孤独も、死に至るような絶望も、私にはあまりにも遠い感覚です。それが、くやしくもあり、ありがたくもあり……今でも、自分でこの、喩えようのない複雑な気持ちを整理できません。
こうして、まだ中二の身で、まるで隠居の老猫のように、枯葉の舞う季節を、小雪の舞う季節を、書架の埃払いと読書ですごす日々となりました。
独り、この、あまりに立派すぎる魔女の庵で、本を広げ、お茶の杯を傾け、このまま何事もなく、私の中学生活は終わるのだろう……と。中二の半ばで、既にそんなことを私は、ぼんやりと考えていました。
私が中三になった春。
脚立を広げ、上の段の書架の整理している時に、一人の一年生が私の元を訪れました。
まるで綿毛のような柔らかな巻き髪の、華やかな雰囲気をもつ、小柄で可愛らしい女の子で、どこで噂をききつけたのやら、目を輝かせてその子は私や、私のお婆様の活動のことを尋ねました。
私が思っていた以上に、お婆様は有名人だったのでしょうか。
追い返すのも何ですし、この子は「探偵」というものに興味津々なようです。
部に入りたいならそれはそれで構わないし、それで何かおかしな事件に関わることも、最早ありはしないでしょう。さて──少し考えて、私は口を開きます。
一体、どんな話をすれば、この子は喜ぶのだろう……?
「そうねえ……この学園で、こんな事件があった話を知ってる?」
校内で起きた「首なし死体事件」の話を、その一年生──赫田ちさとさんの前で語りました。
その日から、一体なにが気に入ったのやら、ちさとさんは毎日のように探偵舎に通って来るようになりました。
聞けば、演劇部の期待の新星と騒がれていた子のようで、確かに華やかな雰囲気や容姿、やや大袈裟なしぐさや、よく通る声の張りは、女優向けの物かもしれません。
それでも、ちさとさん──ちさちゃん、と呼ぶようになりましたが──は、「女優より名探偵の方がカッコイイんですもの」と、あっけらかんと笑顔で答え、呆れて良いのか、はにかんで良いのか。
この、ややワガママで甘えん坊の、小さな一年生を前に、私も少し困ってはいたものの、まんざら悪い気もしません。
何故なら、私は誰かに甘えたり、頼ったり、我儘をいう立場ばかりでこれまで生きてきたのですから、こんな風に誰かに甘えられたり、頼られたりするのは、新鮮でした。
まるで姉妹のように、甘えられたり叱ったりを繰り返しながら、その一年間は私にとってはとても穏やかに、そしてゆるやかに過ごす事となりました。
ちさちゃんは書架を眺めては興味深そうにそれを手にとったり、時折、無理難題をもちかけたり、余計な事件を背負い込んだり、その度に私とちさちゃんとで、それら事件を解決しなければならない事態にも陥りました。
どうやらちさちゃんは、生まれ持っての「トラブルメーカー」の素質があるようで、彼女がひとたび動けば、何かと騒動の種は尽きません。
そうして、二人で幾つかの校内の難題解決をしているうちに、探偵舎は「名目上だけの存在」から、再び学校側からも認められるだけのものへとなって行きました。
それまでの探偵舎は、図書室の余剰書物倉庫のようなものでしたから……。
「それだけではありませんわ」
ちさちゃんは、部室に並ぶ蔵書、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」、はたまたモルモン経典やマルクス・エンゲルスの共産党宣言の本の背を、そっと指で撫でながら微笑んで……いえ、ニヤリと不敵な笑みを見せます。
「……ちさちゃん、それがわかるの?」
私がそれに気づくのには、もう少し時間がかかりましたから。
他のこと(事件)に気をとられ過ぎていたのもあったけれど。
麻衣さんから教わったわけでもなく、私はいつしか、ここのもう一つの側面に気づいていました。
「例えば、隔離……当然、その側面もありますわね。でも、それだけじゃないわ」
「申請があれば、貸し出すようにもなってるものね」
そう、そこが重要。
「むしろ……番人、といったところかしら?」
「……ちさちゃんったら、よくそんなことがわかるわね」
私が思う以上に、この子は博識で、注意力も考察力もあったようです。
「幾らこの二十一世紀、教令で習慣が廃止されようとも、こんな本がカトリックの女子校に置いてあること自体がおかしいですわ、お姉様」
これはヤリスギ、といわんがばかりに、アドルフの「我が闘争」を書架から指で引き、ちさちゃんはウインクで返します。
そう、
ここには「学園にとって好ましくない本」が、数多く収められています。
日本は表現の自由が約束された国だから、版元による自主規制的な発禁こそあれど、法的に禁書とされたものはありません(わいせつ図画として出版後に捕まったり、名誉毀損やその他法的問題で差し止められる物は、また別の話です)。
たとえバチカンから「禁書目録」に指定された物であろうとも。
異教徒異宗派の経典に、犯罪絡みの物、暴力的な文学作品、歴史的な資料性こそ高くとも、ポルノとして禁本とされているような物すらも、ここにはあります。
どれも女子校にあって良いような物では、ましてや厳格なカトリックの、少し前の時代まで全寮制だったミッションスクールの校内に、在るのは好ましくない本ばかりです。
勿論、七〇年代半ばには「禁書」じたい廃止されましたが、各教会では根強くその概念が残っていたとも聞きます。遍くこれら「資料」を必要としたのが、お婆様の独断だったのかどうかは、今となってはわかりません。
探偵の消えた「探偵舎」とは、それら禁書を図書室から隔離する場でもあり、そこの人員とは、いわば「番人」のようなもので、ここが「特別扱い」だったのもそのせいなのでしょう。
そういった事情もあってか、ここに置く本であれば少々無茶な本も備品として購入できる利点もあったようです。




