第十七話『愛と死と』(前編・その3)
もう一つのジップバッグを取り出す。こっちには、デジカメを搭載した顕微鏡で接写して、カラープリントしたものが入ってる。
科学的根拠のある話にして持ち出せば、ミキだって、そしてカレンだって、きっと私の話にもっとちゃんと耳を傾けてくれるに違いない。
「これ、たぶん下書きなんじゃないか、って思うの」
「え?」
「まず、紙自体は薄めのもので、罫線入ってないヤツだよね」
「無地上質紙の、まあメモ帳ならポピュラーなんじゃないの」
「私さ、罫線入ってないとまっすぐに文字書けないのよね。左に寄っちゃったり、行が斜めになったりするの」
「書き癖は誰にだってあるし。それ、チカのことだから姉ちゃん関係ないだろ」
「んと。私ね、左ききから矯正して両利きになったのよ。だから、今いったのは右ききで書いた時の書き癖の話なのね」
別の白い紙を取り出し、九〇度横倒しにして、シャーペンをカチカチっとノックする。
「本来の左手でも、今だって文字は書けるよ。でも、その場合はこうやって書くの。この書き方だと、左に寄ったり斜めになったりしないで均等に書けるのね」
さらさらっと、90°右倒しになった私の書き文字を見てミキは目を見開く。
『 ミキのおたんこなーす
やーい変なメガネー 』
「メガネが変なのはカレンだろ! っていうか、えっ。なにコレ変なの!」
うん。
「紙を九〇度右に倒して、文字も九〇度倒して、更に右から左へアララビア語みたいな『横書き』で書くの。改行は上へ書き足すカンジね。なんでかっていうと、左手で鉛筆持って、右上から下に書くのって、すっごい面倒だもん」
「こっちのが面倒だろ、ふつー」
「知ってるでしょ、人間の目はもともと上下左右反転で受像してて、それを脳で補正してるんだからさ、映像認識での反転や横倒しは、訓練次第ですぐ対応できるんだよ」
「あー、そういやピンホールカメラの原理だもんな、水晶体と網膜の受光体って。普段は二回ぶんの反転補正した上での認識だっけ」
そうそう。理科の得意な者同士だから、こういった話の理解度が早いのは助かる。
「お姉ちゃんも左利きだったのよ。それで、子供の頃は同じ書き方してたんだ。まあお姉ちゃんのを見て覚えたようなもんだしね、私」
「クリントン元大統領が横書きを右に倒して縦書きで書いてたって話、そういや聞いたコトあるなぁ。縦書きでもイケんじゃね?」
「ん~伝えにくいけど、改行の方向がわからなくなるのよ。ピンクレディーのケイちゃんとかこんなやり方してたって聞いたコトあるけど」
「そんな感覚わかんねえよ! っていうかそもそもピンクレディーってのを記録映像でしか見たことねえよ」
「いやそれは私もだし、それはあたりまえっ!」
「だから、そもそもそれとこれと何の関係があるんだよ? ちゃんと順序立ててだなァ、」
「今から説明するってー!」
ミキったらほんと、せっかちだなァ。
「まず、罫線ナシで均等で平行に書かれている点ね。長方形の紙の上部にのりの部分があって、紙じたいは横にして縦書きに書かれてるから、左手で書いてるのは間違いないと思うの。日めくりカレンダーみたいな閉じ方の白紙ノートパッドよね、これ」
中綴じの右開きか左開きの普通のノートなら、この書き方だといちいち寝かせて書かないといけないから、この選択はわかる。
「まあ別に、部屋ん中で誰に見せるでもないなら、どんなノートでどんな書き方やってても、問題ないんじゃね?」
「うん、そうなんだけど……『端書き』ならこっちの方が楽で良いのよね。お父さんやお母さんからは怒られるけど」
そう、子供の頃に怒られて矯正したんだ。特にお姉ちゃんに対しては、幸迦がこんな書き方をするようになったのは風架のせいだ、みたいに厳しく叱ってたから、なんだかすごく悪い気がした。
そんなコトもあって、私とお姉ちゃんは、左手で書く時の「書き癖」が共通してる。右手で書いたときに斜めにずれるのも、同じ時期に同じように隣で一緒に矯正したから、それも被ってる。同時に、「ただの気を抜いて書いた時のメモ」か、「罫線のないノートで均等な文章を書きたくてやっている」かの判断は、イマイチつけられない点もある。
「一応いっとくけど、左利きは別に障害じゃないし、矯正って考えは正しくないぜ。前時代的な親御さんだなァ」
「ん~、それはわかるけど、でも実際左手だとハサミにしろ自販機にしろ何から何までふべんだから、両利きの方が色々お得なんだよ。これは実際、なってみないとわかんないコトだし」
「……ふむ。ま、つまり走り書き、下書きみたいな物じゃないかってチカのいう根拠は、そこら辺か」
「まだ根拠とはいい難いのよねぇ。それでね、まあ今のは大前提なの。ホラ、裏からみて、エンピツの黒鉛粉が文字と七〇%ほど重なっているの。これって、どう思う?」
「ん? いやべつに、それはふつーなんじゃないの? シャープペンシルでしょ。ノートとってたら普通に……」
ハッと、ミキも何かに気がついたような顔をする。
「……めくる型式のノートパッドで、下の鉛筆が転写される、ってのはないな」
「そそそ。普通は上から順番に使うよね。下から使うなんて、ふつーはしないと思う」
「ま、使わないとも限んないけどさ。例えば私ゃ、ノートを一枚目からは使わないよ。パラっとめくって真ん中から使う」
「ええええええ!? な、なんで~!?」
「だって後で何か書き足すことあるかもしんないじゃん、前方に。それにさ、平綴じじゃなく中綴じのノートだと、一枚目って湾曲して使いにくいじゃん、だからド真ん中から使う。開きやすいし、向かって左側を縦書き、右側を横書きって対応できるし」
「ケチくさ~い! 一冊のノートで授業全部対応させようとしてるぅ~!」
「うるせぇな良いだろ別に。あれこれ使い分けなくて良いんだし。だいたい紙は一次記録で必要情報は全部デジタルに入れてんよ」
「……まぁ、変なミキちゃんは置いといて。まじめなうちの姉の話ですよ。めくる型式のノートを『下から使う』……もう、これだけで十分おかしいよね? まして、端書きに清書ってないと思う。清書でもないけど」
「断言はできないけど。例えばさ、『絵を描くのが趣味』だったら、後ろから使う人って結構いると思うんだよ。上から重ねて清書、あるいはデッサンの直しとか、小物を書き加えたバランスを見るとか。アニ研の子とかよく窓際でパラパラやってんじゃん」
うん。そういった趣味を持ってて、恒常的にそういったノートの使い方をしてたなら、文字だってその延長でそういった書き方をすることもあるかもしんない。でも、
「うちの姉、絵なんて描かないよ」
「む……」
「漫画も読まないし、模写だってするの見たことないよ。私はよくケムンパスとかニャロメとか描いてたけどさ。子供の頃からずーっとみてるんだから、そこは確かだと思う」
「いつの時代の子だよオメーはよ。……まあ親姉妹にも見せられないエグい絵描く趣味が、知らない間に身についたとかあるかもしんないし」
「ないないない」
チョップをピシピシとミキの脳天に当てる。
「そーゆー同好の志がいて、何か見せあうとか文通とかならわかるよ。でも、……いないと思うなぁ。部活やサークルやってるって聞いたことないし」
「いちいちそんなの、家族に報告してないだけなんじゃね?」
「届いた年賀状とかもそのまま机の上に投げ出してるくらいだし、……まあ交友関係そんなに広くはないし、隠し立てもしないタイプだと思うよ、お姉ちゃん」
ちょっとその年賀の量も、お姉ちゃん宛にはビックリするほど少なかったけど、その話はさすがにしない。
まあ「クラスメイトの住所」すらわかんないこと多いしね。何だっけホラ、個人情報保護なんちゃらで。
「まあでも、だったら確かに下敷きくらいは挟むかな。文字だけなんだし。薄い紙っていってたけど……ああ、確かに薄いなこれ」
ジップバッグに挟んだメモを、ぴらぴらとミキはひるがえす。
「この類の無地ノートだと、もっとグラム数の多い厚みある紙だよなー」
そそそ。私の着眼点もそこ。




