第十六話『ボーイズ・ミーツ・ガールズ』(後編・その7)
EXTRA EPISODE 16
「あの学校の司祭さんが、過去に窃盗団のメンバーだったって話……私にはとても信じられなかったけど」
その調査も兼ねて、聖修学園へ潜り込む為に、かなり強引に生徒会からその役目を奪ってきた知弥子に呆れながらも、香織は共に男子校に潜入した。
話によれば、そこの司祭さんはそれなりに信奉に篤い人らしい。
地域住民からの評判も悪くない。
元は前理事長と懇意にしていた人物で、助祭の元でボランティアをしていた住み込みの奉仕者だった。学校法人としてのみ受け継いだ現理事長の代になり、教会が上位修道会の管区に入った時点で、すでに教皇からの許可を得た前理事長(小教区司教)の権限で司祭――一般的には「神父」としての叙階(任命)を受けたことになっており、その詳細は不明だった。
本来ならば再審査、正式な秘跡(儀式)を執り行うはずが、その時点で他県(他教区)の神学院へ研修と履修を兼ねて数年間赴き、学位を取り、名実共に宗教学者としての資格を得ていた。
この辺り、「どうせ身分詐称目的だろう」とは知弥子の分析である。指名手配犯なのだから、名前も住所も全て虚偽なのは間違いない。生活困窮者や行旅死亡人の住民票を闇ルートで入手でもしたのだろうか。それか、海外を介して養子、入籍等で合法、あるいは脱法的に戸籍を変えたか。何にしても、それが新たに罪に問われることになるか否かは、今後の取り調べ次第だろう。
「でも、よくそんなので通せたわね。上位組織は欧州に本部のある、全国区の修道会でしょ? 小教区の司教さんが破門を受けかねないわ」
「宗教組織なんて案外適当なものだ。うちの学校のようにマリア崇敬を続けている異端もあるだろう。あんなものは偶像崇拝だ」
「ゴメン、私はそういった話にはあまり詳しくはなくて……」
そういった話は巴ちゃんが得意だったかな、と思い出す。同時に、先ほどの知弥子の巴ちゃんへの態度も思い出して、香織は少し笑いがこぼれる。
「香織は無信仰の私より、遥かに信心があるはずだろう。何もわからずに拝んでいるのか」
「……ええ、悪かったわね。でも……どうなのかしら、あの司祭さん。やっぱり、私にはまだ悪い人だとは思えないわ」
「ある種、ペルソナだな。後ろ暗い過去があるから、偽りの人格でせめて外ヅラを良くしようと無理をする。他人との接点の少ない生活なら、できなくもないことだ」
「司祭のお仕事をやってて、それはないわ。毎日のように、多くの人と触れ合わなければならない生活だもの」
その点からも、元……いや、現在進行形で逃亡中の犯罪者だとは香織には考え難かった。
その窃盗団の、最後の犯行と思われる事件の時効がそろそろ迫っていた。
今日か明日か、それくらいに。
最後の事件は十数年前のクリスマス。だからクリスマスに時効でもおかしくはなかった。
常習犯で、犯行日時特定の困難な現場が二、三あったため、検察で起訴状に確定し得る公訴時効の起算点が数日後となり、そのため今日、明日の微妙な日時になっていた。
「あの聖夜の日に、時効だと思って蜀台を出したのか? だとすると相当に間抜けだ」
「……わからないわ。もしかすると、反省してなのかも知れないもの」
過去の罪が消えてしまう日。それをただ、やり過ごせば良いだけだというのに。
「ないな。それは良いように解釈し過ぎ。整形までして長期に潜伏してた奴だぞ」
「でも、飾られてこその蜀台じゃない? 使われることもなく隠匿されて、埃にまみれさせておくのも正しくはないわ。まして、聖なる祭具なんですもの」
それを何故、人目に出したか。その真意にまでは、わからない。
「盗品だろう。見せびらかしてどうする」
「金目的ならとっくに売ってるはずだわ」
この辺り、知弥子との見解はいまだに一致しない。
正確な事は、やはり司祭の回復を待って訊くしかないのだろう。
それにしても、まったく、なんでこんな事件が起きたのか……。
そして、校内に侵入の機会を窺っていた『窃盗団の別のメンバー』は、救急車が来て一騒動になった場を見逃さなかったようだ。
昨今、一般人が学校の中にまでは、そう簡単には入れない。父兄やOBだって受付で身分提示と記入に、入館証の貸り受けくらいは必要だ。だが、この学校の構造なら、まして「学校内」ではなく、「聖堂」のみになら――
その機のごたごたに乗じて男は、裏門側の、ようは一般入口から聖堂に侵入し、「金の蜀台」を盗もうとした。正面入口のドアは知弥子のあけた鍵よりは複雑なはずだけど、おそらく先ほどの男には赤子の手をひねるような物だったのだろう。
既に重傷の司祭は運び出された後だったが、まんまと無人の聖堂の中に、燭台は残されていた。
まさか、その直後に「ガキども」が現場に来るなんて、考えもしなかっただろう。
「……おかしな話よね、こんなことになるなんて。それで、私たちは一体、どうすれば良いのかしら……?」
「何ともいえない」
知弥子は無表情なままだ。
今年の聖誕祭で一般開放された際に、聖堂内に盗品の金の蜀台に酷似した物があるのに気付いた者がいて、その情報で県警内々でも、検察でも、密かに調査をしていたらしい。香織が情報を仕入れたのは、そこからだった。
そして、同じく当時の共犯者もその事実に気づいたようだ。今回の事件の機に、元共犯者がここに侵入して来たのは、そんな意味では偶然ではない。
窃盗団で主犯格だった男は――偽装のため(?)に始めた「聖職者」が、すっかり板についていたのだろうか。
むしろ、名実共に敬虔なクリスチャンになっていたと考えた方が良いのだろうか。現職の実績で考えれば、そう考えてもおかしくはない。しかし……。
「あの子たちがいなければ、こんなことになるなんて判らなかったわね、本当に」
「正攻法でやっていたら、謎の傷害事件の後にまんまと証拠品も盗み出され、完全に闇の中だ。馬鹿には馬鹿なりに感謝はしないと」
「……馬鹿はひどいわ。それにしても、あなたはよく気付いたわね」
「なにを」
「……あなたが直感で人を判断するなんてしないでしょ。彼等の証言の、どこに根拠を求めたの?」
大抵の場合、知弥子が誰かに対して経験則で判じるようなことを口にする時は「ハッタリ」やひっかけなのを、香織は知っている。
「証言の正否なんて、本来なら拠り所にできない。だが、口裏を揃えるなら『見てない』なり、ありもしない犯人の逃走を口にする。わざわざ不可能状況を作る意味がない。ようは混乱状態から、嘘をでっちあげる頭も回らなかったのだろう。最初にブン投げておいて正解だった」
「……それを正解だなんて思わないで」
「どっちにしろ五人で一本の棒は握れない。実行犯が一人いて残り四人が口裏を合わせられるほど、あいつらに信頼関係はない」
ゆさぶりをかけたのは、ある種のコールド・リーディング目的……それこそ、ちさちゃんの得意とすることじゃないの、とは、さすがに口にはしない。
とはいえ……。
うぅん……と香織は小首をかしげる。表情こそ変えなくても、知弥子も何かを考えあぐねているのはわかる。
「どう、判断する?」
「落下地点が『朗読台』でしょ?」
う~ん、と腕を組み、香織は考えをもう一度整理する。
「正直、理解できないし、幾ら何でも無茶苦茶だとは思うけど……やっぱり、それしか考えられないわ」
「うむ私もだ」
クリスマスからの微妙な動きを察知してか、神父は自らの命運を神に委ねた。
裁かれるべきか、偽りの人生を貫くべきか。
朗読台の真上に「それ」を吊るし、日々祈った。いわば、「ダモクレスの剣」だ。
この世界中の誰でもない、自分一人しかそこに立つことの無い場所の真上に。
『神罰』は、想像以上に早く彼に下された。
「DVDで『ひょうきん族』ってのを最近見たが。確か、八〇年代のTVバラエティ番組」
「な、何の話?」
唐突すぎて、香織はさすがに怯んだ。
「神職者の元へ懺悔しに来た者に、面前で磔刑を模したイエス像が、神罰の是非を下す。こう……アタマからザブーンと、水を。それを思い出した。恐らくあのニセ司祭は、似たようなことをやったんだろう」
「……それはちょっと、めちゃくちゃ過ぎ」
……とはいえ、香織もそこは同意見だった。滅茶苦茶だし、それこそ飛躍しすぎの発想にも思えたけれど、あらゆる状況証拠がそれしか指し示してはいなかった。
「不思議なのは、彼らはどうして凶器……なのかな? その、血まみれの金の蜀台に気づかなかったのかしら」
一目見て、それとわかった筈だ。
例え、頭の上から燭台が落ちてくるなどという素っ頓狂な答えに至らなかったとしても、単純に「鈍器としてそれで殴りつけられた可能性」くらいは、思い至れなかったのだろうか。
もしそこに気づけていたなら、怪我の位置、角度から、彼等ももっと早くに真相に至っていてもおかしくはない。
「目に入ってなかったんだろう。目というか、脳か。『バウンドして変形したパイプ椅子』の方が先に目に入って、思い込んだってことも大きい。それに……」
「なに?」
「真面目なんだろう。祭具の燭台で人を殴るという発想に至れない程にお坊ちゃんだったんだ、あの坊主ども」
「それじゃ、まるで私の考えが暴力的みたいじゃない」
「うむ」
いずれにせよ、皮の球帽子を被っていなければ危ないところだったし、聖職者の道を選んだことによって、辛うじてその命は救われてもいたわけだ。
様々な偶然が、珍奇な結果を生み出した。
犯人なんて、最初っからいなかった。
それを二人は、とうに理解していた。
ちょっと彼らに悪いことをしたかな、と香織は思ったが、
それに関しては知弥子はいっさい、気にも留めていなかった。
To Be Continued




