第十六話『ボーイズ・ミーツ・ガールズ』(後編・その5)
「まて。逃がさん」
駆け出したミノルを、知弥子も追う。
「逃げねえよ! 聖堂みてくるんだよ!」
「おい、待てってミノル! バカか? さっきさんざん見たろ? 誰もいなかったぞ?」
「いや、オレら真剣に調べてねーし! 何一つ触ったり確認したりもしてねーだろ?」
ンなこと今更いったってなぁ……。
チラっと、香織の方を見る。
こくりと彼女もうなずいた。
「私達も向かいましょう」
だな。どうせ逃げられってこねーんだし、あの女からはよ。
走り出した二人を追って、俺たちも一斉に聖堂へと向かう。
誰か見張りの教師でも立っているかと思ったら、そんなのは誰もいなかった。
まあ、神父を運び出した後でいちいち現場に人を残す意味もないか。
立ち入り禁止の札だけが無造作に貼られてあるが、構やしない。
両開きの扉には、さすがに鍵がかかってた。
「……帰納的に考えるなら、ここに犯人が居たってコトだろ? 発想の飛躍でも何でもなくさ!」
「だ、だからなァ、ミノル!」
息も絶え々えな俺たちをよそに、特に逃げる様子もないミノルから関心を移したか、知弥子は扉をジっと睨んでいた。
「ん。旧式の鍵だな。これなら別に問題はない」
鍵穴に何か長い物を突っ込んで、知弥子はガシャっとねじり回す。
……え、なにそれ。
「ちょ、そんな簡単に開けられるんなら……裏口の方も、誰か中にいたなら開けられたんじゃねーのか?」
「開け閉めした音をお前らは耳にしたか」
「ええっと……」
施錠の有無こそ確認してなかったが、ここまで簡単に開けられるなら……いや、誰か逃げ出てたなら、外の部活連中から確認されてるか。
学校の反対側、つまり聖堂の正面口の方は鎖があったから、あっちからは出入りできない。そこは間違いない。
問答無用で知弥子は扉を蹴り開く。
果たして、聖堂はもぬけの殻だった。
裏口の扉は相変わらず、見ただけじゃ鍵がかかってるかどうかは、わからない。
正面口の方は、金の飾りチェーンははずされてる。救急隊員が出入りしたからだろう。
壁際の椅子と血まみれの床には、青いビニールシートがかけてあるが、強烈な血の匂いがたちのぼり、どうにもイヤな気分だ。保全のためか? いやまあ、だったら相当に雑な話だな。ま、素人のやることだしな……。
この狭いところに誰かが? まさか。しかし、一度その考えに捉えられたせいか、まるで凶暴な何者かが潜んでいるような気がしてならない。……素人の感じる「気配」なんて、そんなもんだ。アテにもならねえ。
大量の血の跡を前に、全く怯む様子のない二人の女子高生にも、少し驚かされる。
……もしかして、見慣れてるのか?
いや、さすがにそれはないな。
警察はまだ呼ばれていない。この点から考えて、神父の命には別状無かったのかもしれない。確証はないが、何となくホッとする。
いや、まだ本当の所どうなのかはわかんねーけど。
「証拠品……どうかしらね。人が入りすぎたわ。初動で出遅れたのは致命的だったわね」
「そ、それより犯人だろ! いや、さすがにもういねーだろうけど、どこかに必ず……」
隠れるスペースが? ねーだろ、やっぱ。
ミノルには悪いけど、改めてそう思う。狭すぎるし、見通しが良すぎる。椅子がない聖堂ってのは、こうもカラッポなのか。文字通りの伽藍堂だ。
まあ万が一、俺らの頭がどうかしてて見落としていたとしよう。で、犯人が潜んでいたとして。救急車が来て、救急隊員が来て、教師が来てたはずだ。中庭口も表扉も開いて人が出入りして、まあ逃げてるわな。
そういや野次馬まで来てたって、さっき女どもがいってたよな。部外者が校内にまで入れるわけはないが、その機にも乗じれるか。
「まあ、仮に犯人がいたとする。じゃあどこに隠れてたか調べるなり、考えるなり……」
バカなこといってるな、と自分でも思う。
馬鹿だけど、ミノルの焦りやテンパリだってわからなくもないんだ。
ちゃんと調べてもいないし、確かに混乱もしてた。でも、あの状況で、このガランとした伽藍堂に誰か潜んでたか、って?
衝立の一つもない。椅子だって畳んで壁際で、人一人しゃがんで隠れる隙間すらなかったんだ。
でも、仲間が犯人じゃないなら、もはやこの状況、他に犯人が「いるしか無い」んだ。じゃあ、俺ら、何でそれを見落としたんだ?
「ああ、そうか。違う犯人なら来たかも知れない」
知弥子がワケのわからないことをつぶやいた。……なに?
「警察の検分が来てないなら、証拠品が持ち出されたなんてことは、ない筈よね?」
血まみれのビニールシートを、平気な顔で香織はめくっている。この女も、何なの。
香織は床に目を落とし、知弥子は天井を見上げる。
「天井は高いが、照明がない。これでは暗くて見通せんな」
「犯人がスパイダーマンみたいに上に張り付いてたとか? ンなの無理だろ」
「そんな話はしていない」
「床は……血が結構拭かれちゃってるわね。もし捜査になった時は、どうするのかしら」「床、板張りなんだぜ。血溜まりをそのままにできねーだろ」
スイッチングのように、知弥子が床を見下ろし、香織が天井を見上げる。
確かに俺たちは平面でしか考えなかったから、いきなり立体的に目を向ける彼女たちの発想には少し驚かされた。
まあ天井の低い聖堂なんてあまり聞かないし、アーチ型に曲面がつけられているのだから、誰かが天井に潜むなんてさすがにないだろう。足をひっかける梁や棚だってない。
上を見たってしょうがない。俺は床に目を凝らす。ミノルのやつはキョロキョロ祭壇付近に視線を泳がせる。遮蔽物になりそうなのは確かにあそこくらいだが、人一人潜めるスペースは、冷静に考えてみてもやっぱり無いか。
壁際の畳んだ椅子は? 脚部の隙間、あそこって這いつくばって隠れる隙間ある?
「棚やシャンデリアのようなものもないわね。『上から事故で何か落ちてきた』可能性も……普通なら、無いわ」
「いや、ねーだろ。朗読台の上なんて別に何もねえし」
天井にはスプリンクラーとか、暗幕を吊り下げる用のフックくらいしかない。だから、そんなことを思い付きもしなかった。
照明は、壁面の大人の頭の高さより少し上の位置に、燭台風のLED電球が並んでいる程度で、左右正面のステンドグラスから、薄暗いとはいえ昼間の採光には十分な明るさがある。夜間は夜間でうす暗いくらいで丁度良いのだろう。
だから天井の方に視線が向かなかったのも、それはそれで不思議じゃない。
「普段は絨毯が敷かれていたんだな?」
「それがどうかしたか?」
「床板に、新しめの瑕」
「この聖堂、わりと近年建てられたって聞いてるけど、それでも築十年以上は経ってんだ。瑕くらいあんだろ」
「最近絨毯をめくったのはいつだ?」
「……ああ、そうなるか」
キズ……? そんなの血を拭かなきゃ気がつかねえよ。何だ?
椅子がバウンドでもしたか? 神父が倒れ込んだ程度で付くか?
「おい坊主ども。前に見た時と足りない物はないか?」
わかんねーよ!
俺、ウォーリーを探せとか苦手なんだよ、ああ畜生!
「えーと、神父」
ヨシオがボケなのか素なのか答える。そりゃそーだ。
「突っ込まんぞ。それ以外は?」
歪んだパイプ椅子はまだ転がっている。
もし警察が来たなら、真っ先にこれが鑑識にもって行かれていただろう。
あとは、血ですっかり床にはりついた皮の神父帽、聖杯、えーと……、
あれ?
「待て、なんで壁際の椅子にビニールシートがかけてある」
「知らねえよ」
床……祭壇、俺たちはそこに目を凝らす。
脱出するなら裏口から出る以外にはない筈で、朗読台の位置から5、6秒でダッシュして逃げるならギリギリ……いや、無理か。潜むには空間がない、遮蔽物がない。なのに一体どこにどうやって……あぁ、クソッ!!
「ふむ。さっき見たヤツがこの現場に……」
知弥子が怪訝そうな声でそういった。
ヤツ? its? he?
えっ? と思って振り向くと……椅子の束にかけたビニールシートの中からもぞもぞっと、『誰か』が飛び出し、一番近くにいた香織のそばに飛び掛った。
キラリと何か光るモノを、香織ののど元につきつけた。
え、なに?
……ちょっと、待て!
いたのか、犯人!?
ありえねええええええええええっ!!
ちょ、ちょっと待ってくれよ!
「お……おい、糞がぁッ! 動くなよォ、ガキ共! ちょっとでも動くと……」
何それ!? もう、展開が俺の理解をこえている。
待て待て待て待て。こんな大男が、もしかしてずーっと現場にいたのか?
それに俺ら、気付かなかったの?
うそー?
アタマ大丈夫か? オレら。
……この男の顔も、確か見覚えがある。まるで何かのウソか冗談のようだ。
あるのか? そんな話!
あぁ、そうとも。俺はこいつの顔を、中高一貫のこの学園に通い続けたこの四年九ヶ月の間じゅう、ずーっと毎日目にしていたさ!




