第十五話『Moppet's Detective』(前編・その3)
「え? な、なに?」
「なにごとじゃ?」
急に声を張り上げた私を前に、先生も、みんなも、ザワっと騒ぎ出した。
眠そうに目をこすり、茲子さんもムクっと起き上がる。
「ふゎ……。ん、なァに?」
チラっと窓の外を眺め、そのままの姿勢で、眠そうな顔と声で一言、私に訊いた。
「巴さんは推理小説とか、好きなの?」
「え? ま、まぁ……」
「なるほど納得」
そういって、何事もなかったかのように表情ひとつ変えず、茲子さんはまた寝ようとした。
「いや、そーじゃなくてェっ!」
信じられない。
「てゆーか、何なのよさ巴っちょ」
ガラリと窓をあけて茄子菜が身を乗り出す。
「……なんじゃこの異常状態」
一瞬で気付いてくれた。ここはさすが茄子菜だと思う。
「だ、……だから中でっ!」
「皆川せんせー! すぐ職員室いって、カギとおとな二、三人、それと救急車ね。はいダッシュ! そっこーで! GO!」
「え? な、何なの……?」
さすがに、先生も困惑している。
「行けばわかるし行かなきゃわかんないことだからサッサと行くべし!」
「わ、私からもお願いしますっ!」
「そんな説明じゃわかんないって! 咲山さんまで……ええっと……裏庭の、物置小屋?」
不思議そうな顔で、二三首をかしげながらも、それでもチラリと裏庭の小屋に目をやった後に、先生は教室の扉を開く。
「ええっと。みんなー、自習してて! すぐ戻ってくるから」
え、今の茄子菜の説明だけで、確認に行けちゃうの? ……優等生の私の口添えも、少しは効いたのかも知れないけど。
何が何やらの顔のまま、皆川先生はタタタっと廊下を走ってゆく。
……うん。たぶん、私の言葉だけじゃない。変な子だけど、茄子菜には何故だか、先生たちから妙に信頼されている所もあったりする。
信用はされてないくせに。
「一体、なにがどーしたの……? あれ、あそこって誰かいんの?」
ソヨカさんが首をかしげる。
騒ぎを横目に、面倒臭そうに茲子さんもつっぷした状態から首だけを上げた。
「ん。どっちかっていうと警察、法医師の出番じゃないの」
「まだ死んでるとは限りませんって!」
思わず声を張り上げる。
「だからさぁ、巴も茄子菜も、あと茲子も、何があったかくらいはさァ……」
「だっ、だからっ……」
ばら色に染まる肌──。
ヘモグロビンの変色、これは、間違いない。
一酸化炭素中毒だ。
「あー、それで茲っちょ、さっきあんなコトを巴っちに」
死因特定で変色の描写は、確かにミステリーの定番だけど。
「だ、だから! ほら、はやく手当てしないと、死んじゃいますよ!」
今の私の声に、教室のみんなもより一層、ザワザワ騒ぎ出した。涙目を浮かべる子もいる。
「巴さんは案外、わかってないね」
つっぷした状態から首だけをあげていた茲子さんが、ぼそりとつぶやく。
「え?」
「パニックを起こさせてどうするの」
そういって、面倒そうに立ち上がった茲子さんは、両手をパンっと鳴らした。
「はい、注目」
視線が集中する。
「お前たちの誰かがそれで死ぬわけでもない。黙れ」
抑揚もなく、それでも良く通る声で力強く、茲子さんはそう言い放つ。
一瞬のうちに教室は静まった。
……ていうか、彼女の一言の前には、強烈すぎて誰も何もいえなかった。
言葉少なに、それでも不安そうに、クラスの全員が窓にはりついていた。
皆川先生と男性教師二名が、駆けてゆくのが見える。
「なーなーなー。ソヨカはさー、確か目、イイよね。サンコンさん並に」
「幾ら何でも、そこまで良くないっちゅうの。まあ左右2.6くらいかな」
「野蛮人だ」
がしっとアイアンクローで茄子菜の頭をわし掴みにしながら、ソヨカさんは目をこらす。
「……ああ、確かにこれは『異常』だな」
え、な、何が?
次の瞬間に、私にもそれが理解できた。
先生たちは、扉をガチャガチャと確認し、南京錠にキーを差し込んだ。
──あぁっ!
足跡は『行き』の一つだけ。
他に外に出た足跡はない。
つまり、中に先生が入って、何らかの『事故』が起きた可能性は、確かにある。
でも、『外に』カギがかかっている!?
……誰のしわざで?
……どうやって?
「これって……」
「面白くなってきた」
何事につけ無表情で無関心そうな茲子さんが、ボソリとそうつぶやいた。
……いや、コレって面白いとかそんな状況じゃないってば!
「やっかいな話になってきた」
眉間にシワを作って茄子菜は腕を組む。
……確かに、やっかいかも。
だって、『誰か』の手の介在する『事件』って話じゃない!?
それからの数十分は、目まぐるしく過ぎて行った。
もちろん、こんな状態で授業になるわけもなかった。まず、皆川先生が気絶して、医務室に運ばれた。一応主任の先生が簡単な説明はしてくれたけど、そんな話をきかされて、落ち着いて自習なんてできるわけがない。
体育道具や教材置場のあの小屋で、何らかの事故(事故?)による一酸化中毒(おそらく)で倒れていた滝元先生は、救急車で運ばれて行った。
今のところ続報はないけど、少なくとも滝元先生に、まだ息はあったみたい。
……といっても、危険な状態なのは間違いないし、後遺症ナシで回復するかどうかも、正直わからない。
事情聴取なんてできそうもないし、そもそも事態が事態だけに、先生たちも警察はまだ呼んでいないらしい。
そして。果たしてこれは、事件か、事故か。
いや、事故って、こんな状態でそれは考えられないし。でも、私たちが思う以上に、先生たちはそれを「不思議がっていない」事実が、私には逆に不思議だった。
「当たり前じゃない。異常な状況とか、不可能状況とか、そんなものウッカリ目にしちゃったなら、フツーに社会常識のあるオトナならどうすると思う?」
醒めた意見をアッサリ茲子さんが口にする。
「まー、見て見ぬフリだやね。ソレがオトナってことだぁね」
ウムウムと腕を組んで茄子菜は相槌を打つ。
「何かの事故ってコトで片付くわけじゃん」
「そんなバカなことって……!?」
つい、声が荒らむ。
だって、誰がどう見たって異常な状況じゃないの? 外から南京錠を開けて、中に入ってる人を救急車で運んだなら、絶対にそれに気付くはずじゃないの!?
「ん~。そりゃ、人が死ねば話は別だよさ。もしそうなりゃ、よりいっそう大げさになって、科学捜査でイチコロだぁね」
「もしくは動機、理由のある誰かを重要参考人として任意同行で拘束、誘導尋問か懇願恫喝洗脳同調の調書でイチコロだね」
こんな時だけ気が合う茄子菜と茲子さん。
「でも、巴っちょは納得いかないんだ」
「……私だけじゃないよ、きっと」
「うん」
茄子菜は、ちらりと目線を教室に向ける。不安そうな顔が、幾つも見える。
重苦しい空気がただよっていた。
誰もが不安そうにしていた。
「うぬむ。まァ何だよ。騒ぎを落ち着かそうってのが先立ってたとはいえ、茲っちょの今のはないよ。君のケースは無茶すぎるし特殊すぎるんだ。誰もを君のモノサシで計っちゃーいけないよ。君ほどじゃないにせよ、ここの子たちだってきっちり傷ついてんだ、PTSDとかね。恐怖体験ってものは、何かキッカケひとつで簡単にフラッシュバックするんだし」
「いわれなくてもわかってる」
茲子さんと茄子菜はじっと見詰め合う。
「じゃあ、ぼくチンは調査するよ。良い?」
「私にうかがいを立てる意味がわからない」
タンっと音を立て、机の上に茄子菜は仁王立ちになった。
「うしゃ、皆のしゅう安心めされ!」
人差し指を突き出し、ビシっとポーズを決めて茄子菜はこう宣言した。
「この事件、華麗な美しょうじょ名探偵のこの私ちゃん様が解決してみせるさ!」
教室中、ノーリアクション。
……うん、まあ、ね。
こんなのどう対処して良いか、誰もわかんないし。
水をうったような静けさの中で、こりゃあ茄子菜もいたたまれないだろう、と思った。




