第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その25)
「そうして考えればわかります、楓さんは克太郎さんと揉み合って死んだ――。つまり、事故死、または克太郎さんによる、正当防衛での死亡です」
「……面白いお話ね。考えたこともなかったわ、そんなの。克太郎さんは、あの事件以来、ろくでなしの脅迫者として村中の誰もが認識してたわ。……あの女探偵さんも、その前提で推理してたとは聞いたわ」
他ならぬ実行犯の喜一さんが、探偵に詰め寄られ、おそらくは衆人環視の中でそう告白したのだろう。喜一さんにとって、それは「真実」に違いなかったから。もちろん、何が「真相」かは、私にだってわからない。「真実」は人の数だけあるのだから。
「きっと、真冬さんはそのことを理解していたと思います。死者の名誉回復ではなく、一番上手く収まる方法を選んだ。克太郎さんには、その死を嘆くような、身寄りも一切いなかったのかもしれません。もしそうなら、真冬さんは探偵失格ですよね、十分」
あの事件について、ろくに記録を残していない、話したがらない、その理由も全て、これで腑に落ちる。学校内での「首切り事件」には、香織さんがあそこまで詳細に語れるほど記録を残しているのに、やはりそれは不自然だったから。
もちろん、今、私が話しているこれは、あくまで「仮説」に過ぎないけれど、現状の材料で一番納得の行く「事態の落とし所」は、今の私にはこれくらいしか考えられない。
「……えぇ。もしそうなら……探偵が、そんな、真実をねじまげるようなことをして良いわけないわ?」
「しかしこの場合、楓さんの『犯行の理由』を開陳することは、誰も望まない結果にしかなりません。真か偽かは今の私には判断できませんが、八幡家の醜聞にも触れる話になります。幼い力輝さんはどうなっていたでしょうか。もしそれが真相なら、知れば喜一さん、自殺でもしかねませんよ」
「……それは、そうだけど」
「誰かを憎み、恨むことで、それが逆恨みであれ、まだ喜一さんが生きて行けたなら、私はその行為を否定はできません。謎と秘密を暴くことより、生きている者のためにそうした。探偵として、心に刃を向けるような行為だったんじゃないかって、そう思います。苦渋の決断だったんじゃないかって」
「……つまり――ありもしない虚偽を楓おば様に吹き込まれて、喜一さんは、八幡家の皆殺しを目論んでいた……って話になるのかしら」
「ええ。それはつまり、今のあなたと同じように。それを考えれば、あなたが今やろうと計画していることは、楓さんこそが主犯、と考えて良いのかもしれません。半世紀以上の時を超えて、その願いを、恨みを、呪いを、成就せんがために。粂さんにあることないこと吹き込んだのが楓さんならば、ですが」
数秒、綺羅さんは無言になる。
「……とんだ茶番ね。何よそれ。全て逆恨みってこと?」
溜めたように、零すように、少しだけ震える声で、それでも彼女はまだ、姿勢を崩さないままでいた。
「自由になりたかった。楓さんにあったのは、ただそれだけかも知れません。だから……家族皆殺しを、八幡家の壊滅を夢見た」
――そして、若くして自らの命を落とした一人娘のその胸の裡の秘密を、やがて粂さんも知る。
どこかに書き記していたのかも知れない。どうやって見つけたのかはわからない。そして、この家に嫁いでから馴染みもできず、籠の鳥のように暮らす粂さんだって、同じ思いを抱いてて、しかも我が子に先立たれてしまった。
「なのに、ひょんな所から忘れ形見が現れて、実の娘に生き写しの……孫? ひ孫?」
あははっと綺羅さんは笑う。
力ない笑いだった。
「あの人は……お婆さまは、おかしな因習の村の出身なのよ。そこでは、人は死ぬとミイラのように保存されていたんですって。『私もそうなりたい』と、お婆さまは私に頼んだわ。別に、お父さまを殺せだなんていってない。あなたの勘違いよ、お婆さまは主犯でも何でもないわ。楓さんはどうだったかはわからないけど」
「そんな変な因習、聞いたこともありませんけど……あるんですか?」
末期的な修験道で、病死僧侶を梁に吊して燻したり、ミイラ化失敗者を加工する等は聞いたことがあるけれど。僧籍でもない一般人が? さすがに、首を傾げる。
「さぁ? 私も、嘘に騙されていただけかもね。お婆様の願いを叶えようにも、どうせ暮正月を超えて隠し通せるわけもないわ。永代祀るのは無理だけど、一つは叶えたわ。だから次はもう一つ……最後にお婆様は、息をひきとる時にこうおっしゃったの。――真っ赤に燃えるこの家を、この目で見たかった、って」
うっとりするような微笑みで、狂気のようなことを口にする綺羅さんを前に、私も、少し声を張り上げる。
「……そんな『遺言』を、怨念のようなものを、あなたが継承することはないんです!」
「どうして? ええ、そうよ。あるわ、殺意。私には。認めるわ……もう、それはどうにもならないほどに」
「だから、わかりません。あなたが自らの出自の謎を知ったことで、悲観に暮れるとか絶望するとかは、わかります。でも、それが殺意に結びつくものかは、私には理解できないんです」
「それは、あなたが幸せだからよ。ふふ……ともかく、お見事なものね、探偵さん。九十五点……って所かしら。あなたにあと欠けているのは調査力、それと医療知識かしらね。KClは高濃度じゃ激痛を伴うのよ。そんなの、お婆様に打てないわ。だから希釈した点滴……ね。全てお婆様がご自分でなされたわ、私の手を煩わせたくない、って……」
綺羅さんは、緩やかに微笑んだ。
曖昧な笑み――。
「今いった私の話、信じる?」
「……信じます」
粂さんの自死、そしてその幇助の告白――。
のらりくらりと躱すのでもなく、ハッキリ、彼女はその罪を認めた。
「でもね、ホラ、やっぱり呪いは、存在するじゃない? したじゃない? ……ひどいなぁ、まだ何もする前に暴き出すなんて」
「まだ、だからです」
ザッ、枯れ草を踏む。一歩、前に乗り出す。




