第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その24)
「代々そうだったから、今更それに文句をいうだけ野暮な話かもね。信仰も持たないくらい常識がない家だったのよ。禁忌だって道徳だってないわ。あるのは誤魔化しと口封じ、代々そうやって生きてきたの、八幡家は」
「それが、あなたのおっしゃる『呪い』でしょうか」
綺羅さんはキツい表情を崩し、微笑んだ。
「そう。だから呪いは、実在するの。私がこんな体で産まれついたことで、どうやっても忘れるわけにもいかないの」
綺羅さんは両目からカラコンを外し、金色の瞳を向けた。さすがに、少しひるむ。
「私の部分的アルビノが、代々続く近親婚の産物とはいわないわ。でもね、八幡の人はおかしいの。わかるわよね、もう」
宝堂姉妹が、小さく息を呑む声が背後からステレオで聞こえた。私も、声を失いかけたけど――でも、ここで怯むわけにはいかない。
「……嘘を嘘で塗布して生きる、真を偽にする。偽を真にする。八幡家の方々が、恒常的にそうしてきたことは窺えます。でも……」
呪い、祝い。信じること、信仰。
幾多となく幾度となく、私はここに来て「それ」を考えさせられた。
ロザリオを手首に巻き、十字を持ちながら、私はクリスチャンでも何でもない。
無信仰、無宗教、見る人によればそれは悪魔的所行かもしれない。
ないことは、不安だったのだろうか? それもあっただろう。――でも、きっとそれだけじゃない。
カバラの秘術に先々代がハマったのは、自らの出自に安心したかったからだろう。あきらかに「八幡家の血」は、ユーラシア大陸から来た、中東から欧州にかけてのものに思う。ユダヤ人? いや、そうとも限らない。
私が思うには……流浪の民、ロマの血だろうか。
コナン・ドイル「まだらの紐」での、邦訳の際にあまり機能しないものとなってしまったロマの楽団と、 紐 とのタイトル上でのひっかけ。私のお父さんが好きでよく観ている、エミール・クストリッツァの「ジプシーのとき」のVHSビデオ。私にあるロマの知識なんて、せいぜい、それくらい。
ただの思い込みで、勝手なロマンを押しつけているだけ、そこには何の根拠もない。
「呪い……たしかに、そうですね。あなたが誰かの復讐の道具になってしまったこと。それ自体がきっと呪いです」
「……私と、お婆さまの共通の意志よ」
「それを、『洗脳』と呼ぶんです」
粂さんの殺意の理由……ここも、正直なところ私にはまだ、わからない。
「確信はありましたか? 粂さんのお話に。あなたは実の家族が平然と不倫を行う情交の現場をのぞき見でもしましたか? もしそれが、粂さんの被害妄想から生まれた話ならどうでしょうか。カバラの趣味があるだけで、徳夫さんも暁夫さんも善夫さんも、ごく普通の常識人の家庭人だったのかも知れませんし」
「そんなわけないでしょうッ!?」
「だって、私には何の証拠もないんです」
「ひどい探偵だわ!」
「えぇ。ですけど、ここでも一つの『仮説』を立てて考えてみました。秋津克太郎さんが何者であるか、の点で」
「……えっ?」
虚を衝かれた顔を、感情の見え難い金色の瞳で、それでもハッキリと、綺羅さんはそれを浮かべる。
「もしかすると、彼は『探偵』だったのかも知れません。主たる目的は、八幡家の調査。そして彼は幾つかの『秘密』を知る」
「……探偵?」
「これは、私たちしか知りえない情報のみでの推理で、いうなればアンフェアです。それでも、かつてここで探偵の行った行動が――善しか悪しきかの判断に迷う――正義であったとするならば……。それが探偵失格の何かだとするなら、私はそこから一つの仮説を、あの事件の構造から新たに描き出すことが出来ます」
「……あの事件に、八幡家の者すら知らない何かが、まだあったというの?」
「現に、あなたと粂さん以外のご家族は誰も、楓さんの目的を知らないじゃないですか?」
「……それも、そうね」
同時に――それは、粂さんも綺羅さんも真相を知らない可能性をも示す。
「楓さんは、『秘密を知られたこと』を知る。だから、何としてでも口を封じたかった。タエさんと喜一さんに、あることないこと吹き込んで、共犯として利用した。しかし直前で気が咎めたのでしょうか。一人で決行することに決めた」
「……な、何をいってるのッ!?」
綺羅さんの顔に、焦りが見える。そう、これは彼女が想定もしていなかった話だろう。
「楓さんがあなたのような性格なら、そう判断した方がスムーズなんですよ、過去の事件の犯行って」
欠けていたピース。私は、楓さんという人を知らない。だから、ホワイダニットには届かなかった。今なら、それはわかる。
「……否定はしないわ。でも、秘密って……確かに、ろくでもない淫蕩の家よ。近親婚を繰り返し、オカルト趣味のイカレ頭の当主に、使用人として育ててるあいのこは御令嬢の子、しかも自宅に火を放って座敷牢暮らしの狂人よ? 知られたらたまったもんじゃないわね。それで克太郎さんを殺した、ってこと?」
「そして……恐らく楓さんが本当に計画していたのは、最初っから八幡家の皆殺しでしょう。克太郎さんは、それを止めようとした。だから殺された」
正義の人、というわけでもないかも知れない。実際には脅迫者だったかも知れない。
それでも、克太郎さんという人が、その不自然な位置に居て、不自然な振る舞いの暮らしぶりの長期逗留者が、この園桐にいたということから推測できるのは――それくらいだ。
彼もまた、探偵だった。目的は? 依頼者は? そこまではわからない。でも、そう考えれば全てが腑に落ちる。
探偵同士――克太郎さんの不名誉な死は、それ自体、間諜として織り込み済みの物かも知れない。名誉回復は為されたのだろうか。魅織さんと真冬さんの間で、そこで何らかの悶着があったのかもしれない。




