9.渓流の森
「うっ、日差しが眩しっ……」
太陽は燦々と輝き、目を眩ませた。雲一つない青空で、直射日光は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。だが、ルリアの言う通り、いつも半袖で痛いほど感じる日射が穏やかであることにラファエルは驚く。
「すこし暑いけど、いつもみたいなジリジリした感じがしない! 」
「長時間日光に当たるとと火傷になってしまうこともある。夏場に長袖は珍しい事じゃないんだ」
「知らなかった……。じゃあこれからどこに向かうの? 」
「とりあえず山の中に入る。準備がイマイチだし、あまり深い場所には行きたくないのだが……」
ルリアは腰に両手を充てて辺りを見渡す。
自宅を出て、右側には自宅の倉庫と河川。
正面は整備された商店街への道。
左側には背の低い木々で成る鬱蒼とした深い森。
自宅の裏側が、樹木間隔の広い針葉樹と広葉樹が入り混じった比較的歩きやすそうな山々への入口だ。
「……山が目的だし、左側の森は今日は入りたくないな。自宅の裏側から歩いて進もう」
「うん。あっ、でも裏山なら歩いたことがあるから、ちょっとだけなら何があるか分かるよ」
「そうか。なら、歩きながら話を聞かせて貰おう」
二人は裏山に足を踏み入れ、いよいよ山の散策を開始する。
「……で、こっちの山には何があるのだ? 」
「裏山はこういう木がず~っと続いてるんだけど、途中の川で、お父さんと釣りをしてたよ」
「ふむ。天然の川魚が釣れるのか」
「ゴツゴツした白い岩があるところなんだ。流れもゴ~って凄く早いけど、大きい魚が釣れたよ~」
ラファエルの説明は断片的だが、充分に想像は出来る。
恐らく彼は渓流釣りの事を言いたいのだ。
「なるほど。家の近くの川では何か釣れたりしないのか」
「釣れることは釣れるけど、小っちゃいのしか釣れないの」
「この先にある川は大きいのがいっぱい釣れるのか? 」
「うん、イワナとか釣れるよ! 」
「ほお。それは折角だから、そのうち釣りをしたいな」
「お家の倉庫に釣り道具があるから、今度やろうよ! 」
「ああ、そうだな」
正直言えば、それほど釣れる渓流ならば食料のために釣りもしておきたい心はある。しかし、周りの見えていない状況で確実性の無い事で時間を潰すのは好ましくなかった。
(今日は探索に集中しよう。それと、途中で食べれる物があったら確実に採っておかねば。今は家の近くに赤ノ樹があるとはいえ、いつまでも持たないし、熟しきる前に全て落としてドライフルーツにでもしておかねば)
いくら大佐と出会えたとはいえ、結局生きていく上で切羽詰まっているのは事実。常に最悪な結末にならないように考えておかねばならない。
(……おや? )
すると、その時。
木々の合間を縫うように、ザバザバ! と、水の流れる音が薄っすらと聴こえた。
「……水の音が聴こえる。少し先に、ラファエルの言った渓流があるようだな」
「えっ、ボクには聴こえないけど……」
「昔から耳だけは良くてな。木々に反音している所為で分かりづらいが、南西側か。こっちだ」
ルリアは水音を追い、ラファエルはルリアを追って山道を進んだ。
やがて、草木をかき分けて進んで数分後。
ラファエルが言っていたように、真っ白な岩石に囲まれた渓流が姿を現す。
「……ここがキミの父親との思い出の川か? 」
「あ、間違いないよ! ほら、白い岩がいっぱいあるでしょ! 」
思い出の渓流は、山を下るようにして形成されていた。ラファエルの言う通り、白い岩で形成されているが、それらは恐らく火山岩の類だろう。巨大なゴツゴツとした岩場の上を流れる渓流は、いくつかの小滝が水しぶきを返したり、緩やかな水面部分は太陽の木洩れ日にキラキラと光る。思っていたよりもかなり広く、その中心は緑色に淀んでいた。恐らく、かなり深度があるはずだ。
「確かに、釣り場としては最適だ。それに、川の流れがあるから涼しいな」
首元のローブをパタパタと動かして風を入れる。川で冷やされた風は汗ばんだ肉体に心地よく、ふぅ~っ、とため息が出た。
「涼しいね、お姉さん♪ 」
「うむ。少し腰を下ろして休憩をしようか。水でも飲んで落ち着こう」
その場で腰を下ろした二人はリュックから水の詰まった革袋を取り出し、それを飲んで喉を潤した。
「ぷはっ……」
水を飲み終えたルリアは岩場に腰掛けたまま、森の向こう側を見つめた。
彼女の銀色の髪色は太陽に反射してピカピカ煌めき、美しい横顔まで照り輝く様は、まるで彼女自身が太陽になったように美しいものだった。
(お姉さん、すごくきれい……)
銀の髪、長いまつ毛に端麗な顔立ち、透き通るような白い肌。服の上からでも分かる大きな|胸《バスト》と成るスタイルは人形ように美しい。それでいて、精神的にも肉体的にも強いとは最早反則の一言である。
そんな彼女に惹かれるように、ジッとルリアを見つめるラファエル。すると、目線に気づいたルリアは「どうした? 」とこちらを向いた。
「あっ、ううん、なんでもない! 」
「そうか。暑くて辛いなら素直に言うんだぞ」
「う、うんっ」
「出かける前も言ったが、夏の暑さは馬鹿にしてはいけな―――……むっ? 」
話の途中で、突然ルリアは後ろを振り返った。
ラファエルが「どうしたの」と尋ねるが、ルリアは唇に人差し指をあてて静かにするよう促し、リュックからタオルに巻いた包丁を取り出した。
「黒い気配がする。なにか……飛び出してくるぞっ! 」
ルリアが叫ぶと同時に、茂みが激しく揺れ動いたかと思えば『 紫色の何か 』がこちらに向かって飛び出した。ラファエルは驚いて悲鳴を上げたが、反してルリアは冷静で、握り締めた包丁の刃先で、得体の知れないソレを躊躇なく切り裂いた。
ギィィィッ―――!!
刹那、鼓膜を貫きそうな程の悲鳴。
ラファエルは思わず耳を隠す。
一方で、ルリアは切り裂いた物体のうち片方に近寄り、それを右手で拾い上げた。
「いやはや、包丁を持ってきておいて正解だった。山の浅い場所でこんなモノが出てくるとはな」
「い、今の声は何? お姉さん、何を切り裂いたの? 」
「あまり見て気持ちの良いものでは無いのだが」
ルリアが掴んだソレを前に突き出して見せる。
「うえっ……、そ、それってヒュドラ!? 」
「ほお、キミも知っているのか」
「魔本の素材で見たことあったから……。本物を見るのは初めてだけど……」
ソレは魔獣の一種で、奇妙な姿をした毒蛇のヒュドラであった。全身は紫色で二つの頭を持ち、鋭い八重歯からは人を死に至らしめる猛毒を滴せる。