6.遠い気配
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それから、ラファエルが着替えたあとで、二人は町に出向いた。
そこで分かった事として、ラファエルの自宅はカントリータウン商店街より南側の山沿いに位置し、田舎町でも更に遠い場所にあったということ。もちろん自宅周辺にポツポツと家はあるが、近所同士は物理的に遠いこともあり、あまり交流はしていないようだ。
また、その反面、商店街は予想以上に賑わいがあった。
赤レンガで彩られた一本道の両脇には様々な商店が立ち並び、冒険者と思わしき武器を携えた人々と、観光客のような一般客が多く往来し、朝だというのにあちこちから楽し気な声が聴こえる。遠くには緑の山々が良く映え、その風景は、自分が生きていた時代には考えられぬほど、只管に平和という言葉が相応しいものだった。
だが、ルリアにとって、その平和は秩序の象徴であると共に苛立ちを隠すことが出来なかった。
(し、信じられん。信じられん、信じられん、信じられん! 本当に魔族と和解しているとは、この目で見ても信じられんッ!! )
それは、魔族と人間が共存しているという事実。
ルリアの時代には全ての魔族は殺し合いの対象であったというのに、今や商店街を談笑する人々のうち半数は魔族である。
(人と魔族が共に歩く姿など、誰が想像出来たものかっ! )
獣耳を生やした獣人族。
ヒトの三倍以上の背丈を持つ巨人種。
逆に小柄過ぎる肉体の妖精族や、異形を成す生き物とすら呼ぶのが難しそうな魔族までも。
純粋な人間と共に手を取り合い、生きているのだ。
(あまつさえ、愛し合っているものすら居るようだ。人間と魔族のハーフと思われる子供すら居る。有り得ぬ、有り得ぬっ! これでは、私たちが命を賭け、人間による人間のための世界を造ろうとしていた意味はなんだったのだ。死んでいった仲間たちは、一体ッ! )
このように成った世界、あまりにも解せない世界。
流れに身を任せて生きようと願ったばかりだというのに、目の前の現実に腹が立って仕方ないというのは、やはり自分が古い人間だからなのだろうか。
「くっ……! 」
今すぐに、すれ違う魔族を切り殺してやりたい。
(どうして魔族がのうのうと生きている。私たちの犠牲の意味は……)
きっと今の私はドス黒い顔をしているに違いない。
……しかし、それは仕方ないこと。
だとすれば、やはり私はこの時代に来るべき人間では無かったのだろうと―――。
「お姉さんっ! 」
不意にラファエルがルリアの手を握り締める。
「ご、ごめんなさい。やっぱり、嫌だったよね。ボクの所為で、お姉さんに迷惑をかけて……」
「……あっ。ラ、ラファエル」
握り締めるラファエルの手が震えていた。
彼は、子供ながら、私の表情と気配に、ルリアの黒い感情を察したのだ。
「……すまない。心配をかけてしまったな」
ラファエルの言葉に、少しばかり落ち着く。
「大丈夫? やっぱり、家に帰った方が良いかな」
「い、いや問題ない。何も心配は無い、このまま進もう」
この時代に生きるためにはそれに納得して進むしかない。
ルリアは「すまない」といま一度謝ってから、再び商店街を歩き始めた。
―――そして、二十分後。
商店街を抜け、畑のあぜ道を進んだ先には鬱蒼とした森の道が拡がっていた。例の酒場はこの先にあるというが、最初このような場所に酒場なんてあるのだろうかと首を傾げた。だが、足下の土には多くの足跡が残されていることに気づき、荒れ道に大勢の客が行き交う場所であると分かった。
(と、いうことはこの先に……)
やがて、森の道を歩き続けると、急に辺りがひらけ、向こう側に、三角屋根の小さな木造建築物が見えた。
「ラファエル、もしかしてアレか? 」
「たぶん……」
二人は怪しみながらその建物に近づく。
誰の気配もしてはいないが、一応、玄関横の窓から中を覗いてみた。
……と、そこには。
狭いながらも立派な造りをした"酒場"があった。
(おっ、やはりココが噂の酒場で間違いなさそうだ)
席数は、テーブル席が五つ、カウンター席が六席と、見た目通りやや狭い。それぞれに洒落た火魔石の小型ランプが置いてあったり、壁際には大きな古時計と様々なメニューと値段が書かれた木版が打ち付けられ、昔ながらの趣ある酒場のようだ。だが、何より目を惹くのは正面の酒棚だった。
(……凄い数のお酒だな)
バックバーには、バリエーション豊かな大量の酒瓶が並んでいた。それだけでこの酒場が人気なのだということが伺えた。
(なるほど。こんな町外れにまでお客さんが来てくれる酒場なら、本当に世界有数の冒険者が経営しているのかもしれない。是非、話を聞ければとは思うが……)
まだお天道様は中心にも昇っていない。
こんな朝方から、酒場が開店しているわけがなかった。
(仕方ない。分かっていたことだが、あとでまた来るとしようか)
とりあえず自宅に帰宅しよう。
そう思い、振り返った、その時。
「おや、そこのお二人ー! お客さんかなー! 」
森の道の向こう側から、青色の作業着を身に着けた一人の男性が手を振りながらこちらに歩いて来ていた。
「あ、誰か来たみたいだよ、お姉さん! 」
「うむ。もしかしたら、あの御方が酒場の主人―――……はっ!? 」
そして、その瞬間。
ルリアは目を丸くして、ガタン! とその場に両膝をつく。
「……そ、そんな!? 」
「どうしたの、お姉さん!? 」
「あ、有り得ぬ。どうして、ここに"ミュール大佐"が居るのだッ!? 」
「えっ!? 」
その男性がこちらに近寄ってきたところで、ルリアは彼に叫ぶよう話しかけた。
「……ど、どうしてミュール大佐がここに!? 」
「はい? 」
彼は首を傾げた。それでもルリアは一心の願いを込めて、彼を大佐と呼び続けた。
「あ、あの!? まさか、ミュール大佐もこちらの時代に飛ばされたのですか!? 」
「……うん? た、大佐とは? 」
「あなたは、ミュール大佐では! 」
「ふむ。確かに俺の名前はアロイス・ミュールだけど、大佐って呼ばれた経験は無いかなあ」
「へっ? 」
「誰かと間違えていないかな。自分はこの酒場の店主のアロイス・ミュールです」
「あ、えっ……! 」
アロイスと名乗る男は笑顔で返事し、両膝を着くルリアに手を差し出す。
「立てるかな。ほら、手を……」
「ど、どうも」
ルリアは彼の手を取って立たせてもらう。と、改めて、彼の顔を見つめた。
(べ、別人なのか。でも、似ている。似すぎている。やはり、ミュール大佐本人ではないのか)
彼は、ミュール大佐に瓜二つであった。
黒い短髪と彫の深すぎない男らしい顔つきに、作業着越しにも浮き出た隆々とした筋骨、強き戦士たるオーラを全身から感じる。名前も"ミュール"と被っているが、しかし、落ち着いてみれば、本来のミュール大佐とは大きく違う点があった。
(……結婚しているのか。ミュール大佐は独身だったはずだ)
彼の左手の薬指には、銀色のエンゲージ・リングが輝いていた。そもそも私を知らないという事を踏まえても、彼は彼の言う通り、ミュール大佐とは関係の無い人間なのだろう。
「ん~、申し訳ない。そんなに自分を見ているということは、もしかして俺がどこかで貴女と会ったのを忘れていたりするのかな。だったら申し訳ない、どこで会ったか教えて貰えれば……」
アロイスは首の後ろに手を回して「不味いことをしたなあ」といった表情を浮かべる。
ルリアは、ハッとして、それを否定した。
「あ、いえ。こちらこそ申し訳ない。どうやら私の勘違いだったようです! 」
「ああ、そうでしたか。でも、世界には自分に似たような方がいるものなんですね」
「……はは、本当ですね」
「今度会ってみたいものだ。それはそうと、お二人はお客さんでよろしいんでしょうか」
お店を開こうとしているのか、アロイスと名乗った男性はポケットに手を突っ込み銀色の鍵を取り出し、ガチャガチャと酒場の扉を開き始めた。
「あ~、いえ。私たちは客であって客ではないんです」
「お客ではない? 」
「その、ミュール大佐……じゃない、アロイスさんは、世界一の冒険者とお聞きしまして」
ルリアが訊くと彼はドアを開いたあとで、こちらを振り向き、返事した。
「世界一かどうかは分からないけど、確かに自分は元冒険者ですね。お二人は酒場ではなく冒険者としての自分に用事があるということでしょうか」
「……はい。今の私にとって、世界一の称号を持つ冒険者ならば色々とお話をしたい事情があります」
「お話ね……、なるほど。どうやら事情がありそうだ。ふむ、それならその話、ゆっくりと聞かせて貰えるかな」
ルリアの真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、アロイスは、二人を酒場に招き入れたのだった。
………
…