5.ウワサ
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【 そして、次の日。 午前七時過ぎ 】
この世界で生きることを決意してから、ルリアはラファエルの自宅にすっかりお世話になっていた。
「……なるほど、私たちが生きた時代は古代時代と呼ばれているのか」
リビングのソファに腰掛け、倉庫から引っ張り出してきた本を参考に、現代という時代を知るため、勉学に励む。
「私たちの時代に遺された建物は、古代遺跡となって人と魔族の垣根を越えた冒険者たちの時代か……」
歴史の本に書かれる一ページ。
短い文の中に、全てを物語るには充分であった。
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―――遥か昔。
人間と魔族が熾烈な勢力争いを繰り広げた"古代戦争時代"に遺された遺跡群。
忘却するほどの時間の果て『 現代 』において、それは失われた叡智と宝物が眠る迷宮『 ダンジョン 』と呼称された。
そして、いつしか眠りについた宝物と名誉は人の夢となり、命を賭す夢の旅人たちが現れる。
―――世界は彼らを『 冒険者 』と呼んだ。
故に、英雄冒険家と呼ばれた『 ヘルト 』の言葉を耳に刻め。
世は冒険時代である! と。
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「私たちが戦いで遺した宝物を求めて、いまや冒険時代か。昨日まで確かに私はその時代に生きていたというのに。なんとも複雑な気分だ」
パタン、と本を閉じてソファに深く腰を落とす。ふぅーっ、と、深いため息を吐いた。
「……ま、そうなってしまったのだから仕方ない。今は今を生きることだけを考えよう。部屋もだいぶキレイになって過ごしやすくなったしな。衣服にも不自由しないし、今のところ、生活については悪くはない」
昨日、この家に住むことを決意したあと、直ぐに掃除を始めたこともあって、すっかり室内はキレイになっていた。
掃除がてら探索したラファエルの自宅は、木造平屋の小さな一軒家で、リビング、キッチン、ベッドルーム両親用と子供用で一つずつ、バスとトイレは一緒だがバスルームも完備し、生活には事欠かない。衣服についても母親のを拝借したし、ボロ布服の生活も終わりを迎えた。
……それらを全て無に返してしまう、ある問題を除いては。
(う~む、お金が無いから、水や火魔石の購入が出来ないのが痛手だ。夜は真っ暗になるし、バスルームがあるのにシャワーも浴びることが出来ないとは。今は夏の時期というおかげで、近くの川で汗を流すことは出来るが、冬場は厳しくなるぞ)
早々に、この問題は解決しなければならないだろう。
(とはいえ、大きな問題とは思っていないが。どうやら、戦争が無い分、お金を稼ぐ手段は豊富なようだし)
本で得た知識の一つに、この時代にも"魔獣"の類は多く生息しているとの情報があった。狂暴な害獣を討伐することで、お金を稼ぐことは出来るらしい。加えて、この周辺の山々はラファエルの土地ということもあり、ゆくゆくは魔獣狩りだけでなく、畑なども広げて自給自足生活という形も悪くはない。
(いずれにせよ、屋根のある場所で、まともな服を着ることが出来るだけで充分だ。どのような状況であっても、悲願することなど無い。全ては気の持ちよう一つ、そういうものだ)
ルリアはギュっと拳を握り締めた。
……と、そこに、ベッドルームから目を擦って眠そうな顔をしたラファエルが現れる。
「おはよー、お姉さん……」
「おはよう、ラファエル。ずいぶんと眠そうな顔をしているな」
「うん、まだ眠い……。お姉さんは、よく寝れた? 」
「睡眠はしっかり取ることが出来たよ。キミのおかげだな、ありがとう」
ラファエルは子供部屋の自室、自分は両親の使っていたベッドを借りることで、ゆっくりと休むことが出来た。
「ううん、お姉さんが寝れたら良かったよ~……」
「ああ、私は良く眠れた。それにしても、キミの目はまだ細すぎるぞ」
「だって、まだ朝七時だもん……」
「目が覚めるには充分な時間だろう。ほら、顔を洗ってシャキッとするんだ」
ルリアはラファエルの傍に近づくと、背中を押して外に連れ出す。ついでにバスルームから歯ブラシも持ち出し、自宅近くに流れる川に赴き、顔に水をかけてジャバジャバと洗わせた。
「うぶぶっ、冷たい! 」
「ついでに歯も磨くんだぞ」
「う、うんっ」
ルリアに見守られながら、ラファエルは朝支度を済ませる。
「……ふうっ、スッキリした」
「フフッ、目が覚めただろう。あとは、朝ごはんも済ませてしまおう」
「えっ? 」
ルリアは、川の近くに育つ天然の木の実の樹木に近寄る。アカノミはそれなりに高い位置にぶら下がっていたが、樹木の一部に右手を引っかけて高々と飛び上がり、一つばかりもぎ取った。
「……よいしょっと。ほら、栄養満点のアカノミでも食べて今日も一日頑張ろう」
膝を曲げて着地し、笑顔でアカノミを投げ渡す。
ラファエルは「ありがとう! 」とそれキャッチし、早速、そのまま頬張った。
「はむっ。……わあっ、甘くて美味しい♪ 」
シャリッ! とした軽快な歯ごたえに、甘い果汁がじわりと舌を潤す。
「はあ~、本当に美味しいや。でも、お姉さんってば本当に凄いね……」
シャリシャリと食べながら、ラファエルは樹木を見上げた。とてもじゃないが、自分はあんな高い位置まで飛び上がることは出来ない。改めて、女騎士と名乗る彼女の身体能力の高さが伺えた。
「なあに、鍛錬を積めばキミもこれくらいは出来るようになる」
「本当に!? 」
「ああ。なんなら、私が稽古をつけてやっても構わぬぞ」
「やった。そしたら、強くなれるよねっ」
ラファエルは、ルリアの隣でシュッシュッと拳を突いたり引っ込めたりする。ルリアはその姿に微笑みながら、朝日に反射し煌めく流れる川の先を見つめ、思う。
(……いつの時代も子供は変わらないのだな)
昨日より本を読み漁り、この時代の事を色々と知ることは出来た。
とはいえ、魔族と仲睦まじい事は未だに信じられないし、本によれば、錬金術の進歩により様々な便利な道具が開発されたりもしたようだし、巨大なビルが建築物として存在するのは当然だし、何もかもが信じ難い。
(そんな中で、こういう昔ながらの田舎町に転移したのは不幸中の幸いだったかもしれないな。私の頃と生活水準は大きく変わらない場所だし、一つ一つこの時代の物事を知ることが出来る)
ルリアは目を閉じて、様々な思いを馳せるよう静かに呼吸した。
……と、ラファエルは「お姉さん」と、話しかけた。
「お姉さん、どうしたの? 」
「ん。ああ……なんでもない、大丈夫だ」
「そっか。それなら良いんだけど……」
「ああ。それで、訊きたい事があるんだが、キミの知り合いに、大人のひとは居ないか? 」
「知ってる大人のひと? 」
「うむ。私もこの世界に来たばかりで知りたい事が多くてな。色々と話をできる人が良いんだが」
「う~ん……」
ラファエルは頭を抱えた。
それもそのはずで、もしも知り合いの大人が居れば、少年が独りで生活するなんてことは有り得ないだろう。その質問が非道だったと気づいたルリアは「しまった」と思ったが、彼は何も気にしない様子で、ある人物の名を上げてくれた。
「あっ、えっとね。ボクはお話したことないんだけど、この町にすごい人がいるって聞いたことがあるよ」
「……すごい人? 」
ラファエルは「うん」と頷き、カントリータウンの中心街を指差す。
「あっちに商店街があるんだけどね、そこを抜けて、ず~っと端の森に、酒場があるんだって。そこの店長さんが、世界で一番の冒険者なんだ~って言ってた気がする……」
「世界で一番だって。ハハハ、田舎町に世界一の冒険者が居るのか」
きっと、父親は我が息子をからかったのだろうと思った。……が、昨晩からルリアが読み漁った本のうち、ある記憶が頭の片隅から蘇る。
(……待てよ。そういえば、冒険者時代となってから、世界有数の冒険団に所属していた部隊長が田舎町に移り住んだという記事を読んだ気がする)
だとしたら、あながちラファエルの言っていることは間違いでは無い。一応、そう遠くない場所だし話を聞きに行っても良さそうだ。
(本当なら一杯の酒を飲んでから話を聞かねばマナー違反だな。でも、生憎こちらは文無しだ。門前払いにされるかもしれないが、ダメもとで行ってみよう)
時刻は、朝八時前。
丁度良い機会だ、町並みを観察しながら、その酒場に赴くとしよう。
「ラファエル、家で少し休んでから、その酒場に行ってみないか」
「うん、良いよ」
「何を買える訳でもないのだが……話だけでも聞きたい。ついでに、町を案内してくれ」
「全然大丈夫っ。今からでも良いよ! 」
「そうか。それなら善は急げというし、ラファエルがパジャマから着替えたら、早速出かけよう」
「うんっ! 」
………
…