4.流された決意
「ど、どうした。私が泣かせるような言葉を口にしてしまったか? 」
どうして彼が泣きそうになっているのか、ルリアは慌てて尋ねる。
「ボ、ボクが変なことをしなければ、お姉さんを巻き込むことは無かったのに……っ」
……なんだ、そういうことか。
ルリアは「はあ」とため息を吐いて、半ば笑いながら言った。
「おいおい、勘違いはするな。別に私はキミを恨んだりする気はない」
「えっ? 」
「全てが偶然という名の運命だ。それに、キミの気持ちは良く分かる」
ルリアは手招きし、近くに来たラファエルの頭をそっと撫でる。
「両親を想うことは子供なら当然のこと。それより、魔法陣から出てきたのが母親では無く、私のような女ですまなかった」
「……お姉さんが謝ることなんて無いよ! 」
「うん、そうか。キミは優しいな。なら、キミも謝るのを止めて欲しい。私は今を受け入れるからな。それだけで良いんだ」
優しく微笑みかけたルリアに、ラファエルはドキリと胸を高鳴らせた。
「お、お姉さん……」
「だから、それ以上は何も言わなくて良いっ。私はこの世界で生きる事を決めたからな! 」
そう言ってルリアは立ち上がり、その場で大きく背伸びした。布の服一枚、大きな胸をたゆんと揺らし、ラファエルは顔を赤くして目を逸らす。
「……どうした? 」
「な、なんでもないっ! そ、それより、お姉さんはこれからどうするの? 」
「私か。これから私は、え~と、ふむ……」
生きることを決めた、とは豪語した。が、この時代には、当てに出来る相手も居ない。世界に訪れた変革や情勢など知るところではなく、明日を生きることすら危うい状況であった。
「……行く当てもなし、だからな」
すると、ラファエルはルリアに、ある提案をしようとする。
「それなら、お姉さん! どこにも行くところが無いなら、い、一緒に……」
「うん? 」
"それ"を、言い掛けた瞬間。
不意に部屋の外からドンドンドン! とドアを叩く音、男性の怒鳴り声が響いた。
「オイ、クソガキ! 居るのは分かってんだ、出て来いやァ!! 」
その声を聞いたラファエルはびくりと肩を震わせた。慄き、呼吸を荒げる。
「……誰の声だ? 少々穏やかでは無いように思えるが、ラファエルの知り合いか」
「し、知り合いじゃない! あんなやつ、知り合いじゃない……! 」
この怯えようから、相手は声色さながらラファエルにとって宜しくない存在であると分かった。ルリアは「分かった」と一言呟き、歩き出す。
「あっ、お姉さん、どこ行くの! 」
「キミの代わりに私が出よう。どのようなお客だけ伝えて貰えれば、対処するぞ」
「アイツはボクの土地の権利書が欲しいって乱暴してくるんだ……で、でも怖い人だよっ! 」
「なるほどな。ふふっ、どんな相手だろうと問題ない」
ラファエルの制止も聞かず、寝室から出て行くと、埃に汚れ切った居間を抜け、正面の玄関に向かう。ドンドン叩かれるドアの閉まっていた鍵を回し、それを開いた。
「なんだ、居るなら最初から素直に出て来いテメ……って、んおっ!? 」
男は真っ黒なサングラスを身に着けた無精ひげの汚らしい姿だった。彼は、いつものようにラファエルが出てくると思っていた分、突然、銀髪の美女が現れたことに驚きの声を上げた。
「オ、オイ! なんだテメェ、どうしてクソガキの家に居る!? 両親は死んだハズだし、血縁者は居ないハズだぞ……」
「さあてな。それより、貴様はこの家になんの用だ」
両手を腰に充て、堂々たる姿勢のルリア。
男は彼女に言い知れぬ気迫を感じつつ、ルリアの背後に立っていたラファエルを見つけると、声を荒げた。
「あっ、クソガキ! テメェ、やっぱり居るじゃねえか! つーか、なんなんだよォ、この女は! 」
「えっと、お姉さんは、その……」
「お姉さん? お前にゃ姉なんか居なかったハズだろ。こんな女、俺は知らねえぞコラ」
男はルリアに目を向ける。
……と、改めて彼女を見て、随分と汚れた格好をしていたものの顔立ちの美しさやそそる体つきに気づき、ゴクリ、と生唾を飲み込む。
「……な、なんだよ。格好はアレだが、中々良い女じゃねえか」
「ほう、それは嬉しい言葉だな」
男性の目つきなど、存外、女性にはバレているもの。ルリアは、彼の目つきに呼応するよう、自らの胸に右手を乗せて、微笑んで見せた。
「ごくっ……。け、結局お前は何者なんだ。そこのガキとなんの関係がある! 」
「関係を聞かれると難しいな。強いて言えば、この世界では、たった一人となる私の大事な繋がりだ」
「あァ? なに言ってるか分からねえよ。保護者か何かってコトかよ」
「今はそのような者と思って貰って構わない」
「ほう、そうかよ」
男はニヤリと口角を上げ、言った。
「……なら。権利書を渡す気がないなら、お前の身体を自由にさせて貰おうか―――! 」
サングラスの隙間から細めた瞳で見つめ続けたルリアの肉体。右手を伸ばし、その身体に触ろうとした。ところが、ルリアは彼の手が自らに触れる寸前、男の手首を弾き落とす。更に左手で首を掴み、締め上げるよう持ち上げる。
「ぐおっ!? 」
「ふふっ、生憎だが私はその辺の女とは違う。下手な事をすれば痛い目を見るぞ」
「な、なにモンだテメ……」
「言う義理は無い。それより、いくつか質問させて貰う。答えなければ首をへし折るぞ」
「ひっ……な、なんだ。なにを聞きたい! 」
「土地の権利書を欲しがっていたようだが、どうしてだ」
「そ、それは、えっと……」
握られた首元に、彼女の小さな手からは見合わぬ強い力を感じた。このままでは本気で殺され兼ねないと思い、素直に打ち明ける。
「ラファエルの親は、この辺の山をいくつも持ってる地主でよォ。親が死んだって聞いて、金を貸したことにして奪おうとしたんだ! だけど、悪いコトは出来ねぇもんだ……へへっ」
男は苦しそうにしながら言った。
それを聞いたラファエルは男を指差して「ふざけないでよぉ! 」と叫んだ。
「やっぱり、お金を貸してたなんてウソだったんじゃないか! 」
「ああ、そうだよ。ちっ、もう少しで山の権利書を貰えたんだけどなあ……」
「お、お母さんとお父さんをバカにするなあ! お前みたいな男に、お金を借りるわけないだろおっ! 」
「けっ。ここまで来てバレるとは、俺も運が無い男だぜ」
全ての計画が破綻してしまった男は「ちっ」と舌打ちした。
対し、ルリアは両親を亡くした弱みに付け込む男に心底苛立った様子で、握っていた逆の手、右手に赤色の魔力を具現化させる。それは、炎の魔法。手のひらでメラメラと燃え上がり、構えた二本の指先を、男に向ける。
「んあ、なんだそりゃあ!? お前、魔法まで……! 」
「子供の弱みに付け込み、全てを奪おうとする悪鬼め。その命、この世にあっても意味は無いだろう」
「まさか……、俺を殺す気か!? ひ、人殺しだぞ、待て、ウソだろ!? 」
「本気だ」
ルリアは瞳を淀ませる。炎を燃やす右手は、今にも身体を貫きそうな勢いだった。
「待て、待て待て。悪かった、俺が悪かった。改心する、もう俺はこんな事はしないからぁ! 」
男は、必死に謝罪の言葉を口にした。
「……聞く耳など持たぬ。その命、ここに散らせ」
「ひぃぃいっ!? 」
ルリアは彼の顔前に右手を突く。が、寸でのところで手を止めた。
「……と、思ったが。お前の命に私の手が汚れるのは不快だ」
炎を消して、掴んでいた腕を放し、地面に転がす。
男は「助かったあ! 」と、ガクガク震えながら、その場から去って行った。
「ふん、2,000年以上経った未来には、これほど軟弱な男が居るものなのか」
彼の消えた道先を眺めつつ、両手をパンパンと払った。
「さて、これで事は済んだな。もう大丈夫だぞ、ラファエル」
「……う、うん。凄いや、お姉さん。すっごく強いんだね! 」
「これでも部隊の副隊長を任される実力だったのだ。女とて、甘く見るでないぞ」
フフン、と鼻息を鳴らし、ドヤ顔で言った。
「すごい……。助けてくれてありがとう! 」
「お礼なんて要らないさ」
「ううん、お礼はちゃんと言わないとダメだもん。……それとね、お姉さん」
「なんだ? 」
「あの、お礼っていうか、その、お願いがあるんだけど……」
「お願いだと。私に出来ることなら、言ってみると良い」
ラファエルは、先ほど言い掛けた言葉を、今度こそルリアに伝える。
「お姉さん、行く場所が無いんだよね……? 」
「ああ。この時代に生きることを決めたと言っておいて、どうするか悩んでいた所だ」
「そ、それならさ。ウチに一緒に居て欲しいんだけど、ダメかな!? 」
「キミの家に、私が? 」
「う、うんっ。汚くて狭いし、貧乏だけど……一緒に居て欲しいなって! 」
長く独りだった事に寂しさの限界を迎えていたラファエルの願い。
それを聞いたルリアの答えはと、いうと。
「……私が居て、邪魔にはならないか」
「ならない。絶対にならないよ! 」
「そうか。元々、私は流れに身を任せてきたようなもの。なら、ご厚意に甘えさせて貰おうか」
「本当!? 」
「ああ。見知らぬ世界のそこで、屋根の下で眠りにつければ充分。此方からもお願いしたい」
ルリアは優しい表情を浮かべ、彼に握手を求める。
「この世界の事を教えてくれ。キミの家に厄介になっても構わないかな」
「……うんっ! 」
ラファエルは、笑顔で彼女の握手に応じた。
そして、この瞬間。
東方大陸の山々に囲まれた田舎町、更にその端の端で。
遥か時空の彼方から訪れた美しい女騎士と、世界に絶望していた少年の、奇妙な共同生活が幕を開けたのであった。
(さて、そうと決まれば。まずは汚れ切った部屋の掃除から始めるか。お金が無いとはいえ、大自然に囲まれているし、食うことには事欠かないだろう。あとは倉庫にあった書庫で現代の事を勉強したり……ふむ。やるべきことはあまりに多いが、中々どうして、楽しめそうだ)
………
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