2.ママじゃない!
「……ママ? 」
ラファエルは魔法陣より現れた彼女を母親だと勘違いして、恐る恐る近寄る。
だが、ルリアは目の前に居た子供に気づくと、貶すように口を開く。
「だ、誰だお前は! 」
「えっ……」
「どこの子供だ! ア、アトラスのヤツはどこに行った! 」
「……あとらす? わ、わかんない。お、お母さんじゃないの? 」
「母親? なにをワケの分からないことを言っている。貴様、よもやアトラスの仕掛けた罠ではあるまいな! 」
「罠? あ、あの……お母さんじゃない……の……? 」
一瞬こそ目の前に現れた女性という存在に母親の面影を感じてしまった分、他人だった事を理解した途端気持ちは大きく落胆した。ラファエルは全身を震わせ、グスグスと涙を浮かべた。
「お母さんじゃない……んだ……っ」
ラファエルは何が起きているのか分からずメソメソと泣き出すが、理解出来ていないのはルリアも同じであった。むしろ、彼女のほうが気づけば狭い倉庫の中に立っていたという分、始末が悪い。突然泣き出す子供は誰かも分からないし、泣きたくなるのは此方のほうであった。
(な、なんだ。この子供が泣き出したの理由が、さも私の所為であるかのように! そもそも、この子供が誰なのかも知らないし、私は気づいたらここに居ただけで……)
どうしたら良いのか分からないルリアは、取り敢えず現状を把握しようと辺りを見回す。と、自分の足元に拡がる魔法陣に、濡れた足場から感じる微かな魔力。加えて、子供の足下に落ちている魔本を見て、あることを察する。
(あれは魔術が描かれている魔本じゃないか。よもや赤の書ということは、上位魔術の本か。そういえば、この足場に敷かれた魔法陣も、よくよく見れば転移系の秘術の一種。……まさか、この子供)
ルリアの表情が険しいものとなる。
そして、ツカツカとラファエルの傍に近寄ると、顔を近づけ、怒鳴り気味に口を開いた。
「おい、貴様。どういう理由かは分からぬが、この私を転移術で引っ張り出したな。この場所はどこだ。よもや、騎士団の指示で私を助けてくれたのか。 だとすれば、ミュール大佐殿の命令か、早く答えろ」
ラファエルは涙を浮かべながら彼女の話に耳を傾けるが、まるで彼女の喋る内容は理解できない。仕方なく、ただ自分が行った事実だけを話した。
「わ、分かんない。ボクはお母さんとお父さんに会いたくて、この本を使ったから……っ」
「母親に父親? なんだ、お前の両親がどこかに囚われているのか」
「とらわ……違う! お母さんたちは、流行りの病気で死んじゃった……から……」
「むっ。なにやら話が合わないな。お前は、アトラスやミュール大佐とは無関係なのか」
「そんな人たち、誰かも知らないよお……」
「……そうか。それなら、状況を整理したい。まず、お前の名前を聞かせて貰おう」
その問いにラファエルは「ラファエル・クロフォードだよ」と、名乗った。
「ラファエルというのだな。私はルリア・アルバトロスだ」
「ルリア……さん」
「そうだ。そしたらまず、話をお互いに分かるように進めよう」
ルリアは「ンンッ」と咳払いし、ラファエルに質問する。
「お前はどうして転移術を使ったのだ」
「てんいじゅつって……なに? 違うよ。ボクは、転生術をやろうと……」
「なっ、転生術だと!? 」
ルリアは、ハッとして、落ちている魔本を拾い上げた。
いくつかのページを捲り、何度も読み返されたであろうページに辿り着いたあとで、その内容を見て、眉を細めた。
(……なるほど、両親を転生術で呼び出そうとしたのか。しかし、転生術は結局は眉唾モノであったはず。代わりに、その過程で生まれたのが転移術だとも聞いたな。と、いうことは……)
倉庫内に描かれた魔法陣や使用された魔法具を見つめ、ある結論に辿り着く。
(これは稚拙な魔法陣と道具ばかり……だが、あまりにも拙い儀式が故に、偶然が重なったのか。たまたま転生術が転移術に化け、たまたま私を引っ張り出したということか……)
頭の回転が早いルリアは、自分の置かれた状況を魔本一つで理解した。
また、今の自分にとっては『 好都合 』であると思った。
「ラファエル……とか言ったな。キミのおかげで、どうやら私は助かったらしいな」
「ボクがルリアさんを助けたの? 」
「そうだ。実は私は、セントラルの王国騎士団の一員なんだ」
「えっ! ルリアさんは騎士団さんだったの!? 」
ラファエルは、ルリアの破れかけた布の服に目を向ける。随分とズタズタに切り裂かれた布を装備している騎士団もあったものだと、首を傾げる。
「……みすぼらしい格好だが、言い訳をすると、私は戦争地域で捕虜にされていてな」
「捕虜……? 」
「うむ。その上、危うく人型魔族のアトラスの奴に純潔を奪われるところで……」
「純潔ってなに? 」
「あっ! い、いや、なんでもない。それより、キミの行為は私にとって本当に助かったのだ」
「そうなんだ。お母さんには会えなかったけど、お姉さんは救えたの……? 」
「その通りだ。ありがとう。しかし、早速で悪いのだが、私は急いで中央国に戻らねばならない」
ルリアはラファエルの頭をぽんぽんと撫でて、言った。
「なにせ、魔族との戦争が道半ばだろう。私も早く前線に復帰する必要があるのだ」
「……魔族と戦争してるの!? 」
「むっ。キミは知らないのか」
「うん。魔族と戦争をしてるのって、絵本のお話みたい! 」
「絵本? ハハハ、巷では戦争が絵本になっているのか」
「うん。だって、ボクたちが生まれるず~っと昔のお話でしょ。まだ、戦争をしてるなんて知らなかった」
「ハハ、そうだろう。キミは子供だから知らな…………なにっ? 」
ルリアは笑いつつ、ふと、彼の台詞に、嫌な予感が走る。
「……待て、ラファエル。キミは今、なんと言った」
「戦争の絵本? 」
「違う。その後だ」
「ボクたちが生まれるず~っと昔のお話っていうところ? 」
「そう、そこだ。ちょっとばかり嫌な予感がするんだが……一つだけ、質問をさせてくれ」
「うん、良いよ」
勘の良いルリアは、どことなくソレを理解し始めていたが、信じ切れずに、それを訊いた。
「ありがとう。では尋ねるが、今は……"WA794年"で間違いは無いな? 」
「WA? 違うよ、今はマジックセンチュリー……"MC2087年"だよ」
「え、えむしぃ……!? 」
それはルリアにとって、馴染みの無い年号であった。加えて、2000という途方もない数字が聞こえた事に、目を点にする。
(ま、待て。待て待て待て、MC2087年だと? 仮にそれが本当なら、私は……! )
信じたくない真実に、フラつき、倉庫の壁に背中をぶつける。同時に、近くの棚から積まれた新聞紙がバサバサと落下した。
ルリアは「す、すまない」とそれを片づけようとするが、その内容を見て愕然とする。
「……莫迦な」
新聞紙の日付には、MC2087という数字がしっかりと刻まれている。しかも、一面には、敵対するはずの魔族と人間が笑顔で手を繋ぎ合っている写真が載っている。『 人と魔の和平二千年記念 』の見出しまで堂々と刻まれて。
「そ、そんな。私は本当に何千年もの時を……越え……」
あまりの驚愕と絶望に、ルリアは血の気が引いた。
そして、そのまま……。
「申し訳ありません、ミュール大佐……。私は、皆さんのもとには戻れそうに……」
ふらりっ。崩れるようにして、その場で気を失い、倒れてしまったのだった。
「ああっ、お姉さんっ!? 」
………
…