Ⅰ―①
第一章の①です。
「あなたは、誰なのでしょう」
暖かな陽の光が惜しみなく目の前の花畑に降り注ぐ。そしてゆるやかな風に吹かれて可憐な花々と自分の銀髪が揺れているのをレイラ=クロウはぼんやりと見つめた。
(いつもの光景ね)
しかし、しかしだ。いつもの和やかな、なんの変哲もないこの光景にイレギュラーなものが紛れているのをレイラは見逃さなかった。
ああ、またやってしまった。考える前に口に出してしまう癖を治そうとレイラは誓っていたのに。何も考えずふと口から出てしまった問いかけは目の前の人物に届いてしまったのだろうか。
レイラが生まれて初めて見る同世代の異性の姿はまるで物語の挿し絵で描かれるような容姿だった。
影のように黒い馬を従えた青年は濃紺の肩口で切り揃えられた髪の毛を艶やかに輝かせており、意思の強そうな潤んだ瞳は髪の毛と同色の紺色。人形のような形のよい輪郭は長めの前髪で大半が隠れてしまっているし、服装は染み一つない白いブラウスと黒いパンツ姿だがそれでも彼が容姿端麗であることは一目で分かる。
(綺麗な顔、、、きっと育ちのよい方ね。お付きの方みたいなのはいないのかしら)
思わず引き込まれそうになる感覚をレイラは感じた。
「あなたは?」
「失礼ながら、先に名乗るのが礼儀ではないでしょうか」
低く艶のある、しかし若さを滲ませた声に被せるようにレイラは威嚇した。失礼は承知の上だ。よく分かっている、人の言葉に声を被せるなんてことをすれば彼女のマナーの先生が容赦なくお仕置きをするレベルなんてことは。だがなんといってもこの美しい花畑は自分の家の敷地。勝手にはいられては困るではないか。
「、、、っはは!これは失礼をした、お嬢さん。私はセルという者です。ここはあなたの場所なのですか」
小馬鹿にしたような口調にむっとしながらも言い返すことはせず、レイラは上品に腰を折り挨拶をした。
「レイラ=クロウと申します。ええ、ここは私の家の敷地なのです、勝手に入られてはあなたの罪になってしまいますよ」
こちらの真剣な気持ちもしらず眼前の男、セルと名乗った男はくすくすと止めどなく笑みを溢していた。
(面倒くさそうな方と出会ってしまったわね)
少女はそっとため息を溢した。
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レイラの朝は、大神殿にて膝まづき手を組み合わせて、精霊に祈りを捧げることから始まる。
特別に精霊の祝福を受けた石材によって建てられた大神殿は国宝とされている。微かに青く発光している壁は実に神秘的で、太古の職人によって造られたときいているステンドグラスが朝日によって建物内を色とりどりに染める。ドーム状の天井には精霊王の麗しい絵が描かれていて、神殿の奥には『精霊の木』と言われる大木が堂々と生えている。どうやって根を地面につけているのかわからないが、とにかく薄い水色の葉を茂らせた大木が生えているのだ。
「――――精霊よ、すべての生きるものの光よ、我がサングスベルトをお守り下さい。天にお恵みを、地にお慈悲を与えて下さい。民にいつ何時にも幸せを遣わして下さい」
精霊信仰の祖の国と云われるサングスベルトの古い精霊賛美の祈りが、透き通った彼女の声によって精霊を奉る神殿に心地よく広がる。するとぽわぽわとした色とりどりの朧げな光がどこからともなく現れ、膝ま付いたレイラの回りに漂い始めた。
『レイラおはよお~今日も来てくれたのお~』
『あのね、あのね、今日は水精霊たちの機嫌がいいからあったかい晴れの日になるよ』
『ねえ暇?遊びに行こっかなあ』
(何て愛らしいのかしら)
幼い子供のような舌っ足らずの声が無数に響き思わずくすりと笑う。美しい宝石のような菫色の瞳を細めた彼女の美貌はいつもより柔らかく崩され、とても居心地よく感じているのがよく伝わるような微笑だ。
「おはようございます、精霊の皆様。今日は晴れるのですね。私は一日中塔にいますのでぜひ来てください」
『『『はあ~い』』』
ぽわぽわとした光は思い思いに点滅したり揺らめいたりしてじゃれる仕草を見せた。元気のよい愛らしいの返事をきいたレイラは、立ち上がって神殿の正面に深く頭を下げた。
今日もよい日となりますように、と。
祈ったはずだったのだ。
「レイ、おはよう」
神殿の入り口で光を受けて神秘的に煌めくステンドグラスを見ているレイラに優しく声をかけてきたのは、大国サングスベルトの政治を指揮する宰相であり父のクロウ卿だ。
「おはようございます、父様。お祈りに来られたのですか」
白く簡素なスカートを指で摘まんでゆったりと挨拶をしてから首を傾げると、いつもよりラフな格好のクロウ卿はにこりと笑う。朝に神殿で父に会うこと、というより常時多忙を極めるクロウ卿に会うことは珍しくレイラの心は少し弾んだ。レイラご自慢のお父様はロマンスグレーの髪の毛を軽くまとめた渋味のある、ダンディーな紳士かつ有能なのだ。
さっきの祈りがきいている、と黒い笑いすら出るのを止められなかった。
「ああ、お前の成人の儀がもうそろそろだろう。精霊の皆さんに挨拶をしておこうと思って」
「ありがとうございます、」
柔らかく微笑む父にレイラはそっと目を伏せ、表情を隠すとクロウ卿に入り口を譲り神殿を出る。
さっきまで微笑んでいた顔には表情がなく、心なしか元気のない様子に精霊が無邪気に声をかけるがそれも上の空。レイラにとって成人の儀というのは地雷ワードなのだ。
「とべ」
そっと力無く呟くと簡易的な魔方陣が現れ一瞬の内にレイラは姿を消した。
レイラとセルの出会い編スタートです