009 謝らなきゃ
この話から、ガウルたちの言語は「」、エルの言語は『』として表記されます。
お互いに言語は理解できていません。よろしくお願いします。
『うん……どう見ても食堂だコレ』
エルは、呆然として呟く。
想像は的中していた。ここは山賊の砦なんかじゃなく、食堂だ。
(つまり……山賊の頭だと思っていたのは、この店の店主。奴隷商だと思っていた女性は……奥さん、かな? それにしては年齢差があるから、知り合いなのかもしれない)
エルは、漠然とそう思った。
(……そんな事より、謝らなきゃ)
助けてもらったにも関わらず、「囚われの身だから」と思い込んで自堕落な生活を送っていた事。
色々与えてもらったのに、感謝の一つも伝えようとしなかったこと。……言葉が通じなくたって、感謝の気持ちを伝える事くらいはできた筈だ。
そして、勘違いで怖がって大泣きしてしまった事。
そういった事を、エルは謝りたかった。
ちらり、と山賊の頭……改め、店の主人を見る。
傍目に見ても手際がよく、幾つかの料理を並行して仕上げているようだ。塩を摘んで振り入れる動作も堂に入っている。熟練の業を感じさせる手つきだ。
その目つきは真剣で、人相も相まってかなりの迫力を醸し出していたのだが……同じ料理人であったエルには、主人が料理に対して情熱を持って接していることがひと目で理解できた。
(こんないい人を、悪い人間だと思って怖がっていたのか、僕は……)
エルの心が罪悪感で一杯になる。
見ず知らずの子供を助けてくれた上に、おいしい料理をたくさん食べさせてくれた。
彼の料理が愛されているのは、食堂に集まる人々の表情を見れば一目瞭然だ。誰も彼も、幸せそうな顔をして料理を口にしている。
自分が思っていたことが全て勘違いだった事を、エルは心から理解していた。
ふと、店主と目が合った。
エルは泣きそうになりながら、必死に手を伸ばす。
(何か言わなきゃ……伝わらないかもしれないけど、何か言わなきゃ……!)
鼻をぐすぐすと鳴らしながら、言葉を紡ごうとするエル。
けれど、胸が詰まってしまって言葉がうまく出てこない。
『うぇ……ひっく……』
代わりにこぼれてきたのは嗚咽だ。
不甲斐なさ、情けなさが胸の中でぐるぐると渦巻いて、涙が溢れてきてしまうのだ。
それを見たガウルは、また怯えさせてしまったと心を痛め、カウンターの奥にある厨房へと引っ込んでしまう。
『ま、待って……!』
エルが口にようやくできたか細い声は、喧騒に飲まれて言葉どころか音すらもガウルには届かない。
(ガウル……辛いだろうけど、ごめんね。今は、エルちゃんを優先しないと)
ああ見えて面倒見の良いガウルが意外と子供好きである事は、エミリィも十分に理解している。
本人は「……別に、そんな事ぁねえよ。普通だろ。大人が子供を可愛く思うのはよ」なんて言っているし、本人もそうだと思っているようだが、エミリィから見ればガウルは十分子供好きに入る。
さすがに引き取ると言い出したのはエルが初めてだったが、近所の子供達に「見た目は怖いけど優しいおじさん」として認識されたのは、ガウルなりに悩んだり努力したりした結果であるという事を、エミリィは知っている。
そして、子供に怖がられたり泣かれたりする度に……ガウルが落ち込んだり悲しそうにしていた事も、知っているのだ。
だから、今のガウルの気持ちについては容易に想像ができる。
それでも今大事なのは、エルを安心させてやる事だ。それについてはガウルも同じ事を願っている。
今は怖がられてしまうかもしれないけれど、いずれエルが落ち着いたら、少しずつガウルと打ち解けることもできるだろう。
(ガウルを見て少し取り乱しているようだけど、大丈夫そうね……うん、このまま『木もれ陽亭』に向かいましょ)
ガウルの事を想うと胸が痛む。
しかし、エルを慣れない喧騒の中にいつまでも置いておくわけにも行かない。
幸い、『木もれ陽亭』までは歩いて5分もかからない。エルを怯えさせずに済むように、と願いながらエミリィは宵闇亭の出口をくぐった。
(……え? なんで?)
エミリィの行動に驚いたのはエルだ。
てっきりエミリィが間に入って主人と顔を合わせる事になると思って覚悟していたのに、急に店の外に連れ出されたのだ。
店の外が町中のそこそこ大きな通りになっていたのは、先程の店内を見た時から薄々そんな気がしていたので驚きはしなかった。が、問題はなぜそんな所に連れ出されたか、である。
エルを抱きかかえているエミリィは、迷いなくスタスタと道を歩いて行く。とは言え、店の前の通りを少し進んむとぶつかった大通り、そこを真っすぐ歩いているだけだ。
変な場所に連れ出されるような雰囲気ではない。
中世風のいかにもなファンタジー世界といった趣のある町並みや亜人種、剣や槍を持った冒険者風の人々など驚くべき要素は多々あったが、今のエルはそれどころではなかった。
(どこに向かってるんだ、この美人さんは)
エルは頭の中でエミリィの事を「奴隷商の女性」から改め、「美人さん」と呼んでいた。
エルフさんと呼ぼうかと思ったが自分もエルフだし、珍しい種族ではない気がするので他のエルフが現れた時に困る。
スッと浮かんできたのは「おっぱいさん」だが、いくら脳内の呼び方とは言え失礼極まりない。エミリィもまた恩人であると認識したエルは、さすがにその呼び方を採用するのをやめたのだ。
そんな美人さんに連れられてファンタジーな町並みを移動すること数分、エルを抱きかかえたエミリィは一つの建物に入っていった。
外観が宵闇亭とあまり変わらない、木造の大きな建物。ここは、エミリィの友人が営んでいる宿屋『木もれ陽亭』だ。
宵闇亭とは違い、食事処としての営業は行っていない。一応宿泊客用に料理を出すことのできるキッチンは備えているが、宵闇亭と比べるとささやかなものだ。
その代わり客室は宵闇亭よりも多く、グレードも高い。
ガウルが宵闇亭の宿屋部分を臨時休業できたのも、近隣に『木もれ陽亭』という受け皿があったからこそなのだ。
エルが眠っていた日中の間に話を通していたエミリィは、入り口で女将であるナルリアに目線で軽く挨拶をすると、予め押さえておいてもらった部屋へと向かう。
特に反応が無かった所を見ると、打ち合わせ通り鍵を開けて、すぐに部屋に入れるようにしておいてくれたのだろう。
部屋に到着したエミリィは、ベッドにエルを寝かせて毛布をかけた。
そして、その頬を優しく撫でてエルが落ち着いていることを確認してから、ナルリアとこれからの話をするために部屋から出ていった。
状況に流されたままエミリィ運搬されたエルは、混乱の極みにあった。
(え? ここどこ? なんで移動させられたの? もしかして追い出されたのか?)
エルの懸念はもっともだ。あれだけの恩を受けておきながらふてぶてしくもダラダラと引きこもり、挙句に顔を見て大騒ぎした挙句粗相までしてしまったのだ。
勘違いとは言えあんなに失礼な真似をしてしまったのだ、いくら優しい人とは言え怒るのも無理はないだろう。
幸いにも美人さんはまだ愛想を尽かさずにいてくれるようだが……。
(なるほど、ここ、宿屋だったんだ。って事は、あそこもそうなのか。……そうだよなあ、何が監禁部屋だよ……。ちょっと考えれば分かるだろ)
外観を見て玄関の受付を通り、部屋に入る所までを見ていれば、いくらエルでもここが宿屋である事は分かる。
それを踏まえた上で、宵闇亭の自室として充てがわれていた部屋を思い出せば、あの場所が宿泊施設の一部である事はすぐに気付くことができた。
エルが宵闇亭を監禁部屋だと勘違いしていたのは、目を覚ましてから見ることの出来た場所が少なく、それも換気用の窓しかない部屋だったり、入り口から見た宿の区画が完全に袋小路になってる構造だったりしたせいだ。
が、何の事はない。この世界にある宵闇亭のような格の宿屋では、それが一般的な構造だ。大きな窓が付いている部屋など、いつ不審者に侵入されるか分からない。
廊下にも窓や裏口がついていないため、客室のある区画には受付を通らなければ入れない。閉鎖的な構造は、セキュリティを維持するための物。
外界と一切繋がっていない区画の事を、エルは外に出られないようにするためだと勘違いしていたのだが、実際には逆だ。外からまったく侵入できない構造にする事で、客に安心感を与えるためのものだったのだ。
内側だけしか見ることのできなかった時にはそれが分からなかったのだが、今こうして外側と内側を見たエルには、それが理解できた。
(ってことは、あの人は僕の命を助けた上にタダで泊めてくれて、料理まで出してくれて……なんだよ、めちゃくちゃいい人だったんじゃん。そんな人にあんな態度取って……僕、本当にただのクズじゃんか……)
自らのしでかした事を今更理解して、あまりの不甲斐なさに涙をこぼすエル。
(許されなくてもいい……謝らなきゃ……)
主人はさぞかし怒っていることだろう。その上、言葉は通じないし分からない。許してくれる可能性は低いだろう。
それでも、エルは主人に謝りたかったのだ。
そう思った瞬間、エルの身体は動き出していた。
曲がったのは一箇所だけで、宵闇亭の前の通りだって決して狭い訳ではないから、すぐ分かるはずだ。徒歩5分の距離で迷う事もないだろう。
部屋の扉を開けて外へ飛び出したエルは、記憶を頼りに宵闇亭に向かって駆け出していった。
「――エルちゃんが居なくなったのッ!!」
「なんだと……!?」
顔を真っ青にしたエミリィが宵闇亭に駆け込んだのは、それから程なくしての事だ。
ナルリアとの話を終えて部屋に戻ったエミリィは、もぬけの殻となっていた部屋を見てからも、暫くの間は「トイレにでも行ったのだろう」と思っていた。しかし、待てど暮らせどエルは帰ってこない。
心配になり宿の中を探し、宿泊している客に声をかけ、そして一人の客から――
「銀髪のエルフの子供? あぁ、なんかさっき凄い勢いで走ってったよ。え? いや、外。そうそう、玄関から普通に飛び出して行ったけど……」
――という証言を得て、血の気が引いた。
(どうして……? いや、エルちゃんが不安定な事は分かってたのに……ッ! なんで私はあの子から目を離したの!?)
弾かれたように表に飛び出して、「エルちゃんーーッ!! エルちゃんーーー!!」と叫びながら走り回ること数分。
少しだけ頭が冷えたエミリィは、こんな探し方では見つかるものも見つからない事に気付いて、猛ダッシュで『木もれ陽亭』へ戻る。
ナルリアに事情を説明して、エルが戻ってきたら確保してほしいと頼み込んでから、再び全速力で宵闇亭に向かったのだ。
「私が……わたしが、めを、はなしたから……ッ」
「馬鹿野郎!! そんな事は今はどうでもいい、エルを探すぞッ!!」
言うやいなや、カウンターから飛び出して入り口に向かっていくガウル。
「ガウル! ちょっと待って、お店はどうするの!? お客さんは!?」
「あァ!? そんな事気にしてる場合かよッ!!」
「放っとく訳にもいかないでしょ!!」
ガウルがここまで短絡的に動くとは思っていなかったエミリィは、慌ててガウルの腕を引いて引き止める。
しかしガウルは、その手を荒々しく振り払った。
「そっちは後でどうとでもなるだろうがッ! エルに取り返しのつかない事が起きたらどうすんだよッ!!」
既に空は茜色に染まっており、じきに陽は落ちる。少しずつ寒くなっていくこの時期、太陽はつるべ落としのようにあっという間に沈んでいくのだ。
この街は治安が悪いわけではない。それでも、場所によっては女子供が夜に出歩けるような場所でもないのだ。
きっと、何も分からないエルは”怖い大人”たちから逃げ出したのだろう。その引き金を引いてしまったのは自分だ、エルは何も悪くない。
けれど、このまま放っておいていてはエルが本当に”怖い大人”に捕まってしまうかもしれないのだ。
そうなったエルがどんな目に遭うのか……想像もしたくない。
そうなる前に。エルの身に何かが起きる前に。
怖がられても嫌われてもいい、早くエルを見つけて保護してやらなければ。
ガウルの頭は、その想いで一杯になっていた。
「……行って来るといい、ガウル。お店は私が見ておくから安心したまえ」
そんなガウルに声を掛けたのは、カウンターに座ってちびちびとワインを飲みながら、ガウル特製の大猪の腸詰めをつついていた一人の紳士だった。
「……頼めるか、カルロ」
「ああ。まあ、料理まではできないがね。酒を出すくらいなら出来るから、適当に場を繋いでおこう」
「すまん」
馴染みの常連客であれば、この場を任せても問題ないだろう。
そう判断したガウルは、その場を彼に託して今度こそ街へ飛び出していく。
「……っ、私も……!」
その姿を見ていたエミリィも後を追って飛び出していった。
カルロは念のため看板を裏返して”CLOSED”の表示にしてから、顔なじみの客に事情を説明する。
一通りの客に声をかけた後、元のカウンター席に戻ったカルロはすっかり冷めてしまった腸詰めを見て一瞬だけ悲しそうな顔をした。
そして。
「ふむ……ガウルがあそこまで取り乱すとは……念のため、こちらでも手は打っておこうか」
そう呟いたカルロは、胸元のポケットから緑色の小さな水晶を取り出した。
一方その頃。
『あれ? こっちの道でもない……いやいや、大通りから一本曲がるだけのはずでしょ!? なんでこんなに迷ってんの僕!?』
エルは、特定の人種のみに発動する呪い……その、道や町の特徴に関する記憶が欠落し、自分の座標が把握できなくなる恐ろしい効果が発動し、危機的な状況に陥っていた。
その呪いの名は”方向音痴”。陥っていた危機的な状況とは――迷子である。
次話は4/8(日) 12:00に更新予定です。