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006 ヤバい。殺される。

 ガウルがエルを引き取ってから、一週間が経った。

 ランチ営業を再開したとは言え宵闇亭はまだ縮小営業中で、宿屋部分の営業再開は目処が立っていない。


 エルの監禁生活は順風満帆だった。なんせ上げ膳に据え膳、洗濯まで任せきりという殿様のような生活である。

 服装も、最初こそガウルが予備用に確保していた男物のシャツを着ていたエルだったが、最近はエミリィが用意してくれた空色の可愛らしいワンピースを着せられている。

 気楽なので、寝る時や食事時などはシャツ一枚で過ごしているが。

 小さな下着を渡された時は葛藤もあったが、さすがにノーパンで過ごすわけにも行かないので色々と諦めて着用している。


 食事も豪華だ。

 肉類や野菜類も豊富で、栄養バランスも良い。味付けも意外と繊細で、塩っ辛すぎるような事もなく素材の味をしっかりと活かした料理が多い印象だ。


 ただ、エルには重大な問題が一つ発生していた。


(……暇すぎる)


 そう。

 暇なのだ。


 最近は、無理にここから脱出する必要もないのではないかと思っている。

 一週間の付き合いではあるが、エルの面倒を見てくれる二人が悪い人間ではないと感じているからだ。


 山賊の頭は風貌こそ蛮族感があるが、初日以外は意外と小ざっぱりとした服装をしており、対応も紳士的だ。なにより、持ってきてくれる飯が旨い。


 奴隷商の女性もまた、とてもエルに優しくしてくれる。毎日お湯で身体を綺麗にしてくれるし、折を見ては様々な物をプレゼントしてくれる。

 その殆どが子供向けの玩具なので、エルにとってはただのインテリアでしかないのが残念ではあるが。


(この人達なら、変なところに売り飛ばされる事もないかもしれないし。もし売られた先がヤバそうな所だったら、その時に逃げればいいか)


 そんなお気楽なことを考えていたエルは、いっそ開き直って監禁生活を楽しむ事にしたのである。


 そして、気が付いたのだ。

 やる事がない、という事実に。




 エルは前世の記憶を頼りに、異世界転生のセオリー行動を考えてみた。

 幼児期に行える訓練と言えば、やはり魔力強化だろう。

 幼い頃から魔力を枯渇するほど使い続けることにより、莫大な魔力を得ることが出来るのだ。……物語の中では。

 しかし実際に異世界転生を体験している身としては、馬鹿にできるはずもない。物は試しだ。どうせ暇なんだし。


 エルは、さっそく魔力修行に取り掛かった。

 ベッドに胡座をかいて座り、目を閉じ、リラックスして身体の中に何かが巡っている想像を巡らせるのだ。

 まずは、体内に流れる魔力を感じられるようにならなくてはいけない。

 呼吸を整えて、身体の中にある「何か」に意識を向ける。深く、深く……意識を向ける。心臓の鼓動、血流、へその下……丹田を意識しながら、ゆっくりと、深く息を吸って吐く。

 次第に身体がぽかぽかして来た。魔力によって身体が活性化されているのかもしれない。いい調子だ。そのままもっと深く、深く、身体の中に意識を向け……


「エルちゃん、身体の調子はどう……あら、お昼寝してるのね。ふふっ、寝顔は年相応ね……天使みたい」


 リラックスして目を閉じ、体内の鼓動を感じていたエルはあっというまに眠りに落ちていた。


 ちなみにこの世界での魔力は周囲からかき集めるか、予め宝玉などに充填しておくものであり、体内から自発的に生み出す類の力ではない。

 目を覚ましたエルが「失敗しちゃったけど、間違いなく何かを感じている気がする……! これが魔力……?」と興奮していたのはまったくの勘違いによるもので、「ポーズをとって力を溜めていたら、なんか手が暖かくなってきたので、今ならかめ○め波が撃てる気がする」というのと大して変わらない。

 それでもエルなりに手応えを感じていたので、それ以来エルの「魔力操作修行」は日課となる。


 エルにお昼寝の習慣が付いた。そう受け取ったエミリィは、ようやく少しだけエルの緊張が(ほぐ)れたと思い、優しい微笑みを浮かべながら布団を掛けなおしてやるのだった。




 魔力操作修行と並行して、脱出のための情報収集を行う事にしたエル。

 すぐに脱出する必要は感じていないが、もしもの事もある。情報は多いに越したことはないのだ。


 朝一番の時間帯には、山賊たちは広間に居ないことは分かっている。自堕落な生活をしている山賊たちは、やはり朝に弱いのだろう。

 最近は昼間でも広間が騒がしい。何か大きな仕事を済ませて浮かれているのかもしれない。

 それに、昨晩と今朝の食事は奴隷商の女性が運んできてくれた。山賊の頭は出払っている可能性がある。

 だとしたら、調査を行うには絶好のチャンスだ。


 寝起きのトイレを済ませたついでに、これまで近づかなかった広間への扉に近寄り、耳を澄ませてみる。


(……やっぱり、誰もいないな。扉よりこっちには監禁部屋とトイレくらいしかないから、脱出するには絶対にここを通らないといけない。確認出来るといいけど、そんなに簡単に行くとは……開いてる……っ!?)


 てっきり施錠されていると思っていた広間への扉は、ドアノブを回すだけであっさりと開いた。

 その扉は食堂と宿屋を繋ぐもので、「臨時休業」の札がかかっているのだが、当然そんな事には気付かない。


「あれ?」


 意外と広くてきれいな空間だった。

 大きな窓こそないものの、高い位置にある採光兼換気用の窓からは朝日が差し込んでいる。食堂は朝の静謐な空気をいっぱいに取り込んで、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


 板張りの壁や木製のテーブルは、古びてはいるものの手入れが行き届いており、見るものに安心感を与えてくれる。

 エルが見上げたカウンターの上にあるグラス類もぴかぴかに磨かれていて、ガウルの意外な几帳面さがよく表れているのだが、それらを見たエルの感想は「なんか、お食事処みたいな雰囲気だな」であった。

 それはそうだ。だってここは食堂なのだから。


 恐る恐る、エルは入り口の扉に近づいて聞き耳を立ててみた。

 ざわざわとした喧騒が聞こえる。何か叫び声を上げている者もいる。ガチャガチャと何かがぶつかりあう音や、動物? の鳴き声のような物も聞こえてきた。


(音の感じからすると、この扉の向こうは外だな。でも人が多い……訓練でもしてるのかな? ずっと声を張り上げている男がいるけど……教官かな? 意外と本格的な山賊だなあ……山賊というより、傭兵集団みたいなものなのかもしれない)


 そう判断したエルは、扉に鍵が掛かっていることを確認してそっと離れた。

 ちなみに、エルが聞いた「ずっと声を張り上げている男」が喋ってる内容は、


「いらっしゃーい! らっしゃい! 今日はカポロ(キャベツ)が安いよ! 旬のものだから味も良い! お、ハマさんいらっしゃい! 一個でいいのかい? あいよ!」


 という、お向かいの八百屋さんによる掛け声だった。




「ーーーー?」


 扉から離れたエルは、背後から唐突に掛けられた声に驚いて振り向く。


「ひっ……!」


 そこに立っていたのは、山賊の頭だった。

 ただ、いつもの姿とは違う。初日と同じ蛮族スタイルで、そのシャツには赤黒い染みが点々と付いている。


(返り……血……!?)


 別に、べったりと血が付いている訳ではない。が、「軽く飛んだ」という感じで控えめについているそれには、逆にリアリティがあった。

 片手には、大きな鉈のような物が握られていた。よく見なくても、脂で刀身が曇っているのが分かる。いや、それどころか……薄っすらと血の塊のような物がこびりついているではないか!


「ーー、ーーー」



 ヤバい。

 殺される。



「や……いやああああああああぁああああ!!!」


 そう思ったエルは、背を向けて必死に入り口の扉にすがりつき、ドアノブを握ってガチャガチャと押し引きするが……そこは先程エルが確認したとおり、鍵が掛かっている。


「ー、ーー……!」


 山賊の頭が一歩、踏み出してきた。

 エルの恐怖は頂点に達する。


「あ……ああ……」


 腰から力が抜け、扉を背にぺたんと座り込んでしまうエル。

 同時に、股間に温かいものを感じた。エルは、あまりの恐怖にお漏らしをしてしまったのだ。


 よく見れば、山賊の頭――ガウルは、慌てた様子で一歩下がり、握っていた鉈にようやく気付いたのか反対の手に持ったそれ(・・・・・・・・・・)ごと後ろの床に放り投げ、両手を上げて害意はないとアピールしている。

 しかし、恐怖に囚われたエルにはそれがまったく見えておらず、虚ろな目でガウルを恐ろしい存在として捉えていた。



 元々、前世のエルはそこまで怖がりだった訳ではない。

 どちらかと言えば理知的で度胸があった方だ。男の中の男とまでは言わないが、未知の体験に対して進んで向かっていくタイプの人間だったのだ。


 しかし、今生のエルは些細な事でも泣いてしまったり、暗闇に恐怖してしまったり、感情をコントロールできなかったりする事が多い。

 身体に精神が引っ張られているためだ。

 前世で一人前の大人とまでは言えないが、十分社会に出てやっていけるだけの年齢を重ねていたエルが、時々独り言でも「ふえぇ……」とか言ってしまうのはそこに理由がある。


 そんな訳で、幼い精神の波に飲まれて泣いてしまうが、成熟した思考で声を押さえて男泣きをする面倒な生物と化したエルの事を、エミリィとガウルは虐待された子供だと勘違いしているのだが……今回は、それが悪い方向に働いてしまった。

 冷静になれば、ガウルに害意がない事くらいは簡単にわかるだろう。

 しかし、今回は「返り血」「いかついオッサン」「脂で曇った刃物」という要素を成熟した思考で認識し、幼い女の子の精神で受け止めてしまった結果……パニックを起こしてお漏らしするという事態になってしまったのだ。


 そして、揺れていたエルの淀んだ瞳が、ある一点で……止まる。


「ーーーーー!? ……ーーーーー!?」


 その瞬間、宿の方にあるドアを開けてエミリィが飛び出してきた。


「ーーーーー!? ーーーー、ーーーーーーーーー……! ーーーー、ーーーーー」

「ーーーーーー!? ーーーーーー……ーーーーーーー! ーーーーー、ーーーーーーーーー」


 ガウルと何事か言葉を交わしたエミリィは、恐怖に蹲り身体を丸くしてしまっているエルを、正面から抱きかかえて宿に繋がる扉へと向かう。

 エルのおしっこがエミリィの服にも染み込んでいくが、エミリィには全く気にする素振りもない。そんな物より、今はエルの方が大事なのだ。


 エルは、目の前のエミリィに必死でしがみついた。どういう思いでエルガ自分にしがみついているのか、エミリィには分からない。けれど、この手は絶対に離してはいけない。そう思った。

 エルは何も見たくないとでも言うように、その頭をそれ(・・)に埋める。


「ーー……!」


 エミリィが妙に艶めかしい声を上げたのには、エルもガウルも気付かなかっただろう。

 そうして、エルは世の男性諸氏の誰もが羨むような状態――すなわち、エミリィの豊満な胸に顔を埋めた状態――のまま、宿へと運ばれていった。





次話の更新は本日18:00です。


地の文がエル視点に寄っている時は、異世界言語を理解できない文章として描写する事があります。逆に、エルには理解できていないけれど、描写としては普通の文章として描かれる事もあります。

特定のルールや仕込みが毎回あるわけではなく、割と雰囲気です。だいたい、ザッピングの前兆みたいなものだと思っていただければ……そんな感じでお願いします。

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